第41回 セックス・ポジティブであるということ

 

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「セックスが好きで何が悪い!」

この言葉を堂々と言えるようになるまで、とても時間がかかった。

長い間、セックスを自分のものだと思えなかった。どちらかといえば、いつの間にか社会から与えられた義務のように感じた。思春期の頃からセックスは身近にあったのに、面と向かって話せる相手ではなかった。周りを見渡せば、セックスを縛るルールがあちこちに貼られていた。オナニーのし過ぎは悪いこと。アダルトビデオを観るのは恥ずかしいこと。セックスしないと男性は一人前ではない。セックスばかりしている女性はふしだら。男性がコンドームをデートに持って行くのは下心。コンドームを買う女性はヤリマン。セックスをしろというプレッシャーとセックスは淫らという声の間に挟まれて、身動きが取れなくなっていた。

ゲイだということもあって、自分とセックスの関係はますます気まずくなった。そんな状態でセックスをしても気持ち良いわけがない。セックスをするまで緊張しっぱなしで、セックスの最中は恥ずかしさと戦いながら、セックスの後は罪悪感に押しつぶされる。セックスなんてもう絶対しないと決めた後、自分の奥底から溢れ出す衝動を抑えきれずにまたセックスに手を出してしまう。そのサイクルが続けば続くほど自分が嫌いになった。余裕がないから思いやりも忘れて、自分だけではなくて他の人も傷つけた。

ゲイコミュニティで友達が増えてから、当時の自分とは真逆な人たちがいることを知った。端から見る限り、彼らは恥じらいもなくセックスを満喫していて、セックスについてオープンに話していた。つまらないルールを押し付けることもしないばかりか、お互いのセックスを楽しそうに祝福していた。下ネタで笑うこともあれば、真剣にセックスのことを語ることもできた。素直にそれが格好良いと思えた。彼らを「ゲイが差別される理由」と批判する声もあったが、自分はそうやって自由にセックスを楽しめる人がただ単に羨ましかった。音楽が好きな人やスポーツが好きな人を責める必要がないのと同じように、セックスが好きな人を責める必要もない。やっとそれに気付いた。

セックスが自分のものになるまでたくさん汗が流れた。今でも緊張するし、恥ずかしいし、罪悪感もあるが、それも全部含めて自分とセックスの関係を受け入れることができるようになった。セックスを良い悪いというレンズで見ることも減った。自分の好き嫌いを相手に伝えることにも抵抗を感じることが少なくなった。HIVやクラミジアを感染症として見れるようになった。自分や相手のカラダに対するネガティブな感情は好奇心に変わった。何より、思いやりを忘れずにセックスを楽しめるようになった。そんな姿勢がセックス・ポジティブと呼ばれていることを後々知った。

「キャシーさんがするセックスの話はいやらしく聞こえないから不思議」

いつかセックスセミナーの講師を担当したところ、こんな言葉をもらった。自分ではいやらしいと思っていたのでビックリしたのを覚えている。もしかしたら、セックスへの向き合い方が変わったことで、言葉遣いにも変化が現れたのかもしれない。もちろん、これで一件落着というわけではない。現在進行形で、セックスにどう向き合えばいいのか自分なりに日々悪戦苦闘している。周りの雑音がうるさくて、白黒ハッキリしたものでもないから、死ぬまで納得できる答えに有り付けないかもしれない。しかし、それでもいい。次の目標を目指して、今日も一歩ずつ前に踏み出せばいい。

「変態なセックスが好きで何が悪い!」

そろそろこの言葉を堂々と言えるようになりたいが、もう少し時間がかかるかもしれない。

 

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