第83回 訃報 デヴィッド・ボウイ。 世間を騒がせたバイセクシュアル発言を検証する。

 

デヴィッド・ボウイが、死んだ。
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遺作となったアルバム『★(Blackstar)』より、『★(Blackstar)』。
40代、50代のロック好きにとって、彼の死は大きな衝撃だろう。かくいう私も……と言いたいところだが、実は、さしたる感慨もないのである。というのも、彼の代表作である1972年の『ジギー・スターダスト』や、その翌年の『アラジン・セイン』をオンタイムで聴いていなかったせいかもしれない。
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デヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)』(EMIミュージック・ジャパン/ASIN: B00005GL6O)
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デヴィッド・ボウイ『アラジン・セイン(Aladdin Sane)』(ワーナーミュージック・ジャパン/ASIN: B0017W7FEY)
当時の私は、まだチンコに毛も生えていないような子供であった。音楽といえば、テレビの歌番組の花の中三トリオや新御三家に熱を上げていた頃だ。それでも、山本リンダや、金井克子『他人の関係』、大信田礼子『同棲時代』がお気に入りだったのは、やはりオカマ。栴檀は双葉より芳し、ということか(笑)。
私がデヴィッド・ボウイを知ったのは、兄が買っていた『MUSIC LIFE』誌に載っていた『ダイヤモンドの犬』の広告だ。半身半獣のボウイが横たわっているイラストが、不気味でありながら、魅惑的に映ったのだった。
ちなみに、『MUSIC LIFE』誌はもう廃刊になってしまったが、当時、人気のあった音楽雑誌で、洋楽全般を扱い、豊富なグラビアが魅力であった。こっそりと兄の部屋に忍び込んでは、『MUSIC LIFE』を隠れて眺めるのが楽しみであった。もちろん音楽のことなど、まったくわからなかったのだけど。そこには、上半身をあらわにしたミュージシャンの写真がたくさん掲載されていたからだ。ジミー・ペイジの胸毛や、汗まみれのスティーヴン・タイラーなど、目をつぶれば、今でもまぶたに浮かんでくる。幼い日のオカズ写真だったのだ。赤白ストライプの、ぴたぴたの細身のパンツに下半身をつつんだ、マーク・ボランの股間のふくらみ(右寄り)には、いったいどれだけお世話になったことだろう(笑)。
当時はまだ、一家に一台、“ステレオ”があればいい方で、子供が好き勝手に自分の好きな音楽を聴く環境はなかった。しかも、LPレコードが2千数百円もしたのだから、小学生がおいそれと買うことも出来なかったのだ。おまけに、兄は、グランド・ファンク・レイルロードや、シカゴといった、ゴリゴリのアメリカンロック好きだった。どうもデヴィッド・ボウイは、お好みではなかったようだ。そんなわけで、私はデヴィッド・ボウイとすれ違ったままになってしまった。
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デヴィッド・ボウイ『ダイヤモンドの犬(Diamond dogs)』(EMIミュージック・ジャパン/ASIN: B00005GL6R)
私が、デヴィッド・ボウイにふたたび関心を持ったのは、彼がホモであると公言していたと聞いたからである。とはいえ、今のように、ネットで検索すれば、あらゆる情報が手に入る時代ではなかった。ボウイ・ホモ説は、ロック通の中でささやかれるうわさ話のようなものであった。知る人ぞ知る、といったものだ。それでも、ホモと聞いたら、捨ててはおけぬ。私は、あらゆる音楽雑誌をしらみつぶしに調べたのだった。
ようやくたどり着いたのは、1983年の『ローリングストーン』誌のインタビュー。しかし、そこには、かつてバイセクシュアルであることを公言したことを「私が犯した人生最大のミス」であり、「私はいつもクローゼットのヘテロセクシャル(異性愛者)だった」と、自身のホモ説を真っ向から否定する発言であった。私は、絶望をおぼえた。裏切られたとさえ思った。
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ここに、ボウイのインタビューでの発言を集めた『デヴィッド・ボウイー語録 ─ プラスティック・ソウルの未来人』という本がある。マイルズなる人物が、1980年に出版し、日本では1983年に翻訳出版されている。この本から、彼のホモ説を探ってみることにしよう。
 14の時、突然セックスが何よりも重大になってきた。セックス体験でありさえすれば、相手なんかどうでもよかった。だから、どこかの学校の教室にいた可愛い男の子かなんかを家に連れて帰ってね、2階の自分のベッドで、イカすファックをしてやった。それだけ。(1976年2月)
この発言が発端となり、彼のセクシュアリティは注目の的となった。それを面白がるかのように、彼はステージで、ギターを弾くミック・ロンソンの前にひざまずき、腰に手を回すパフォーマンスを演じた。それは、あたかもフェラチオをしているかのようだった。
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ミック・ロンソン(左)とデヴィッド・ボウイ(右)。
 あのことが最初に知れわたった時をおぼえている。あるインタビューで誰かに、ゲイ体験があるかどうかをたずねられた。それでぼくは、「もちろんですとも。ぼくはバイセクシュアルですから」っていったんだ。相手の男は、ぼくの意味するところがわからなかったらしい。「何ちゅうこった、それじゃ、こいつはコックもカントも持ってんのか」って具合で、ハトが豆鉄砲くらったような顔していた。ぼくは自分の性的関心が、ここまで大きく騒がれるとは思ってみなかったね。あれはほんの思いつきでいったまでなのに。たぶん今までで最高に気のきいた発言だろうな。(1976年2月)
さらに、当時のボウイの妻であったアンジーが、ボウイとミック・ジャガーが同じベッドに裸で寝ていたことを暴露。彼女自身もバイセクシュアルで、「結婚式の前日に、男と女と同時に寝た」とも発言。世の中にショックを与えた。
時は、グラムロックの花盛り。ボウイ自身も華美なメイクアップや奇抜な衣裳で両性具有的なイメージを売りにしていた。彼のバイセクシュアル宣言は、大きなプロモーションとなったことだろう。オネエが女性ファンに受けるのは、今も昔も変わらない(笑)。彼も、それを解ってやっていた節もある。次の発言からもうかがえる。
 ほんとだよ、ぼくはバイセクシュアルだ。だけどその事実を、充分利用させてもらってきたことも否定できない。あれはぼくの身にふりかかった最高のことだろうな。おもしろいし。(1976年2月)
そんな彼が、後に、「私が犯した人生最大のミス」とまで言い、自身のバイセクシュアリティを否定したのは、なぜだろう? その謎を解く鍵は、インタビューの録られた1983年という時代にあるのかも知れない。
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デヴィッド・ボウイ『スペイス・オディティ(Space Oddity)』(EMIミュージック・ジャパン/ASIN: B005C8V0RW)
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デヴィッド・ボウイ『世界を売った男(The Man Who Sold The World)』(ワーナーミュージック・ジャパン/ASIN:B0109T027C)
デヴィット・ボウイが、『スペイス・オディティ』『世界を売った男』を発表し、その名を知られるようになったのは、1960年代末。アメリカで「ストーンウォールの抵抗」が起こり、ゲイ・パワーが花咲く前夜である。時代は、同性愛に追い風を吹かせていたのだ。彼のバイセクシュアル宣言は、そうした時代の機運に後押しされていたのかもしれない。続く、『ジギー・スターダスト』『アラジン・セイン』で押しも押されぬ大スターとなったボウイに怖いものはなかった。バイセクシュアルであることを積極的に売りにしていたとも考えられる。
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デヴィッド・ボウイ『レッツ・ダンス(Let’s Dance)』(EMIミュージック・ジャパン/ASIN: B00005GL6Y)
しかし、時は過ぎ、彼にもスランプの時代が訪れた。過度の薬物摂取の影響から立ち直るために、拠点としていたアメリカからドイツに移り住み、ひそやかに音楽活動を続けた。再起をかけてアメリカに戻った彼は、1983年『レッツ・ダンス』で大ヒットを飛ばし、見事、返り咲いたのである。
そして、バイセクシュアリティを否定したインタビューは、その頃に録られた。時代は、エイズ禍。ポップ・アイドルであるボウイにとって、バイセクシュアルであることは、すなわちエイズをイメージさせるリスクとなったのだ。だから、過去の発言を全面否定せざるを得なくなったのではないか。私には、そう思えるのである。
昔、本当のことを語ってしまったから、嘘をつかざるをえなくなった。それは、あまりにも皮肉である。
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マイルズ『デヴィッド・ボウイー語録 ─ プラスティック・ソウルの未来人』(新興音楽出版社/1983年 発行/ISBN4-401-61095-4)

 

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