第86回 『G-men』、休刊!『ジーメン』と『バディ』の誕生秘話。 実は、この二誌は血を分けた兄弟だった!いや、まさしく姉妹誌(笑)。

 

『G-men』、休刊! このニュースを複雑な思いで受け止めた。『薔薇族』『アドン』『さぶ』『サムソン』『G-men』『バディ』『ザ・ゲイ』と、ひと昔前は7誌が覇を競っていたゲイ雑誌業界であるのに。いまや、紙媒体のゲイ雑誌は『バディ』と『サムソン』だけになってしまった。時代の移り変わりか。古いオカマの私は、ただただ途方にくれる。もっとも、ゲイメディア=ネット世代の若者たちには、「へ? なにそれ?」程度のニュースでしかないのかもしれないが。
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今回は、『G-men』について書こうと思ったのだが、無くなったばかりの雑誌にあれこれ言うのも気が引ける。ましてや、飛ぶ鳥を落とす勢いのゲイ・ネットメディアの最高峰『2CHOPO』の誌面で(笑)。『G-men』が果たした功績については、もう少し時を経てから検証するのが良かろう。そこで、『G-men』と『バディ』が、実は、血を分けた兄弟だったという話をしよう。まったくタイプも方向性も異なる二誌が、まさに“姉妹”誌であったのだ。
いまを遡ること、22年前。当時、私は『別冊宝島』ゲイ3部作の編集を手がけた関係で、その営業のためにゲイショップ「ルミエール」の平井社長(彼は、『バディ』のテラ出版の社長でもある)のもとに挨拶にうかがった。彼の強烈なキャラクターと2丁目への愛の深さに、一発でノックアウト。恋に落ちたのである。
その気持ち、以心伝心。相思相愛。間もなく、彼から呼び出しがあった。手伝って欲しいことがあると。ウキウキ気分でノコノコ出かけていったのが、運のつき。新雑誌創刊準備号の編集会議だったのである! もちろん、新雑誌とは『バディ』である。
その頃のゲイ雑誌業界は、『薔薇族』『アドン』『さぶ』の3誌がシェアのほとんどを占める体制が長く続いており、安定。言い替えれば、沈滞していたのである。そこに新雑誌創刊である! これは一大事件!! さぞかし編集会議も「こういうゲイ雑誌を作りたい!」とか、「それよりも、いま訴えるべきは…」といった激論が熱く飛びかう現場であろうと想像していたのだが……。
あにはからんや、編集会議にいた10数名のスタッフは、誰もが押し黙ったまま。皆、まわりの顔色をうかがうことと、自分の立ち位置を確保すること。そして、余計なことを言って、火の粉がかからないようにするのに必死であった(ように私には思えた)。沈滞してるのは、こっちの方だ(笑)。
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『バディ』創刊準備号(テラ出版/1994年 発行/無料)
決まっていたのは、新雑誌のキャッチフレーズぐらいなものであった。しかも、そのキャッチフレーズがなんとも……(笑)。当時の『バディ』を読んでいただいていた読者の方は覚えているかも知れないが、「強い男のハイパーマガジン」というのが、それである。それを聞いたときに、私は思った。「ダメじゃん!」と。80年代後期からのゲイナイトに象徴されるクラブシーンの勃興。そして、ゲイ・ブーム。そうした時代の空気感をまったくとらえられていないセンスであった(ように私には思えた)。
ここで、ゲイ雑誌各誌のキャッチコピーを比較してみよう。それぞれのゲイ雑誌の姿勢や、その時代時代のゲイのありようも浮かび上がって面白い。ちなみに、『G-men』創刊号には、タイトルのみでキャッチフレーズは載っていない。
『薔薇族』 「きみとぼくの友愛マガジン」
『アドン』 「男の人生を生きいきとさせる雑誌」
『さぶ』 「男と男の抒情誌」
『サムソン』 「Monthly for Men」
『MLMW』 「My Life My Way」
『BON』 「男のロマンとエロスを追求するグラフマガジン」
『恋男(こいびと)』 「FOR HOMOGENIZED YOUNG」
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『薔薇族』創刊号(第二書房/1971年 発行)
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『アドン』創刊号(砦出版/1974年 発行)
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『さぶ』創刊号(サン出版/1974年 発行)
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『サムソン』2005年4月号(海鳴館/2005年 発行)
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『MLMW』1977年10月号(砦出版/1977年 発行)
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『BON』創刊号(梵アソシエーション/1975年 発行)
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『恋男(こいびと)』創刊号(アロー・インターナショナル/1973年 発行)
『薔薇族』の「友愛」は良い単語であるが、限りなく逃げ腰(笑)。やはり『アドン』は「人生」という一語で、ゲイの生き方にまで目が向いていたことが分かる。『さぶ』は「抒情誌」と付けたことで、それが(エロな)ロマン溢れる雑誌であることが分かる。
しかし、どの雑誌も「男」である。「同性愛」「ホモ」「ゲイ」という言葉を使った雑誌はない。『恋男(こいびと)』の「FOR HOMOGENIZED YOUNG」は、ダブルミーニングとしては秀逸だが。でも、homogenizedじゃ、分子レベルの話かって(笑)。
いや、そんな中にあって、一誌だけ、名は体を表す。そのもののネーミングの雑誌があった! 『ザ・ゲイ』である。もはや、逃げも隠れもしません! という覚悟を感じる。さすが、東郷健の雑誌である(笑)。
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『ザ・ゲイ』創刊号(噂の真相/1981年 発行)
永遠にカーテンの上がらない幕間のような編集会議。ついに、しびれを切らし、業を煮やして、発言したのが間違いのもと。あれよあれよと編集をやるハメになってしまった。あぁん。無責任な立場だから、好き勝手に発言したのにぃ!(笑)
その編集会議の席には、平井氏(前述)と、同じくオーナーであるビデオメーカー「マンハウス」の若林氏と、ゲイショップ「BIG GYM」とビデオメーカー「ブロンコ」の寺本氏がいた。もう一人、忘れてはならないのが、ピンクベアこと長谷川博氏である。この内の寺本氏と長谷川氏は、『バディ』創刊から間もなくしてテラ出版から離れ、翌1995年、独自に『G-men』を創刊することになったのである。この決裂劇は、おそらく、雑誌の方向性をめぐるものではなかったか? オーナー間で、当時のシェアNo.1の『薔薇族』的な雑誌を志向する派と、『さぶ』的なアニキ路線を目指す派との確執があったのでは? この急転直下の事態の裏に、どんなに生臭いことが起こっていたのか、当時の私にはまったく分からないことであった(見て見ぬふり?)。というわけで、『G-men』と『バディ』とは、血を分けた兄弟ということがお分かりいただけただろう。里子に出した弟? 本家筋と分家? ま、そんなとこである(笑)。
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『バディ』創刊号(テラ出版/1994年 発行)
さて、『G-men』が創刊しても、寺本氏や長谷川氏は『バディ』にも関わっていた。血を分けた兄弟である。相互補完的に、協力体制が作られていたのである。とはいえ、核となるふたりがいなくなったのだ。すわ沈没か! と危ぶまれたが、私は逃げ出すことも出来ず、編集部の中核に留め置かれることになった。ええぃ、ままよ。死なばもろとも! 根が楽天的な私は、それまでのゲイ雑誌(特に『薔薇族』)に対するルサンチマンを晴らすべく、好き勝手にやらせてもらうことにしたのだった。
私に好き勝手やらせたら、そりゃ、ヤバイでしょ。さっそく危機感をおぼえたオーナーから呼び出しがかかった。膝詰めで言われたことは、「グラちゃん(と呼ばれていた)、ゲイリブとエイズの記事は載せないで頂戴。雑誌が売れなくなるから」という衝撃的な勧告であった! いまでは信じられないだろうが、そんな時代であったのだ。
ところが、オーナーさんよ。相手を間違ったようだな。勝ち気な性格の私は、「それじゃ、売れてさえいれば良いんですね」と啖呵を切って、その場を辞したのだった。それからというもの、事あるごとに「辞めろ」「辞めてやるぅ~!」「戻っといで!!」のくり返し(笑)。
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『バディ』1997年6月号(テラ出版/1997年 発行/無料) この号から新キャッチコピー「僕らのハッピー・ゲイ・ライフ!!」が登場。
それでも、なんとか“新しい”雑誌を作ろうという機運が根づいていったように思う。新しい雑誌とは、つまり、新しい時代ということだ。時代の求めるものを、ほんの少し先回りして、形づくって読者に提示すること。後押しをすること。それが雑誌の役割であるという高邁な思想にかぶれていたのであった。
それまでのクローゼットなイメージのゲイ雑誌から、オープンなゲイ雑誌へ。そのための戦略として、まずは編集者やライターが誌面に「顏」を出すことから始めた。幸い、ブルボンヌ=斎藤靖紀のような、出たがり目立ちたがりのスタッフもいたことで(笑)、これは見事、成功。後に、読者が気軽にゲイとして雑誌に顔を出すことを推奨した。時代は、ゲイであることをオープンにしたがっていたのだ!
しかし、編集者が誌面に顔を出すことについて、先輩編集者の一人から「編集という仕事は裏方であるべき」という嫌味とも、叱責ともつかぬアドバイスを受けたのも事実だ。でも、めげなかった。だって、「まず隗より始めよ」って言うじゃないか。
私が編集長代行(当時は、編集長という役職を置いていなかった)を勤めていた頃の目標が2つあった。ひとつは、『薔薇族』の売り上げを追い越すこと。もうひとつが、「強い男のハイパーマガジン」というキャッチフレーズを変えることだった。
売り上げは順調に伸び、機は熟したと思えた97年。ついに、私は、キャッチフレーズ変更に手をつけることにした。新キャッチフレーズは「僕らのハッピー・ゲイ・ライフ」。私が勝手に決めた。これには社内でも賛否両論あったろうが、勝てば官軍の勢いに乗る私を止めることは、誰にも出来なかった(笑)。タイトルまわりに「ゲイ」を謳ったゲイ雑誌の誕生である!(『ザ・ゲイ』に次ぐ2番目だが)
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『バディ』2014年2月号(テラ出版/2014年 発行) 故郷に錦を飾るというか(笑)。レーザーラモンHG氏と共に『バディ』の表紙を飾った。このときのキャッチフレーズは「GAY LIFE MAGAZINE & DVD」。
その後の『バディ』のハッピー路線は、馬鹿にされ、なじられ、呆れられながらも、定着していった。もはや、誰にも、私の傲岸不遜ぶりを制御することは不可能であった。挙げ句、「『バディ』には、女装とフィストファックのことしか載っていない」とまで陰口を言われるように(笑)。調子に乗っていたのである(反省)。貧乏人が小銭を稼いで、成金気分。一番タチの悪い状態だったのだ。
この新キャッチフレーズ。その頃、『サムソン』編集部にいたサムソン高橋氏からは、徹底的におちょくられた。執念深い性格なので、この時のことでいまだに私はサムソン高橋のことが大嫌いなのである(笑)。まだ根に持っているので、積年の恨みを晴らすべく、アイツが買った家に火をつけにいってやろうといまも計画中である。でも、アイツのことだから、火災保険で焼け太りしそうであるが(笑)。
それは、冗談。たしかに、あの時代、「ハッピー・ゲイ・ライフ」などといって浮かれていられたのは、都会に住む、限られた一部のゲイだけだった。時期尚早であった。しかし、夢見ることが出来なければ、その夢を叶えることなど出来るわけないじゃないか! 嘘を承知で付けたキャッチコピーである。そんな欺瞞とからくりを見抜いていたのがサムソン高橋氏であったのだ。ゲイ雑誌編集者として一目置いた、ただ一人(?)。尊敬に値する。好きよサムソン。愛してる(笑)。
ほどなくして、もうひとつの『薔薇族』の売り上げを超すという目標も達成。私は『バディ』を離れることを決意。大袈裟にいえば生きる目標を失ったようなもので、その後、心と体を病み、完全に引きこもり状態に。世の中のゲイがハッピーになっていくのを横目で見ながら、私自身は不幸という幸せを噛みしめていたのであった(笑)。
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『G-men』2016年4月号より、『ゲイ雑誌の過去・現在・未来 ─ ゲイ雑誌がこれまで果たしてきた役割とこれからの可能性を考えて』と題された、編集長の対談。2月号から3回にわたって連載された。
『G-men』は、今後、オリジナルのゲイ・アプリや、インターネットを中心とした運営へと変貌するらしい。いずれにせよ、メディアは世界を変える。そう信じている。今後の発展をお祈りする次第だ。
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『G-men』2016年4月号(メディレクト/2017年 発行) 惜しまれつつも、この号をもって休刊。

 

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