第5回 哲学者 千葉雅也さんとの対話(前編)

2013年のデビュー作『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』が「紀伊国屋じんぶん大賞」を受賞、一躍「思想界の超新星」として注目を集めた千葉雅也さん。その後も著作『別のしかたで ツイッター哲学』(2014)、カンタン・メイヤスー『有限性の後で 偶然性の必然性についての試論』の翻訳(共訳)(2015)など、先鋭的な仕事を展開されています。そんな千葉さんがじつはBLについての造詣も深い方だと知り、「対話編」のいわば「理論編」としてご登場をお願いしました。

 

第5回ゲスト:千葉雅也さん
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インタビュアー:溝口彰子
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©Katsuhiro Ichikawa

 

BLという妄想は新しいゲイネスを示唆してくれた

 

溝口:『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』の書評をお書きいただき、ありがとうございました! 共同通信から全国の新聞に配信される書評記事とあって、コンパクトな文字数でしたが、簡潔に的確にご紹介いただくと同時に内容を応援、評価もしていただき、とても嬉しかったです。

 

千葉:『BL進化論』で面白いのは、溝口さんが、レズビアンの当事者として、BLを媒介してご自分のマイノリティとしての欲望のあり方を肯定された、と書かれていたことです。これは画期的だと思ったんですね。BLの紹介のしかたとして。今までBLは、ゲイ男性のあり方を女性が勝手に妄想したフィクションであって、とか、当事者と切り離されたところで展開されている妄想であってとか、批判的にいわれてきたし、腐女子自身も自虐的にそういったりしてきた。だから、どういう形で同性愛当時者とBLの回路が開かれるかということは語られるべきだったと思うのです。ちょっと先走っていいますが、溝口さんも書かれているように、やおいとかBLなんかは滅んでしまえ、といったアンチの意見がゲイ当事者の側から出たこともあったとはいえ、肯定的な見方をしていた人も相当、多くいたはずです。BLが男性同性愛の存在を日本社会のなかで公に肯定的に示したという価値があったことについて、誰もちゃんと論じてなかったと思うんですね。溝口さんの場合はレズビアンの立場からアプローチされたので、ある種のからめ手ではありますが。

 

溝口:ありがとうございます。千葉さんもBLを読まれていたんですか?

 

千葉:BLというより、古い言い方で「やおい」ですね。具体的には、90年代の『幽遊白書』の同人誌などです。初めてそういうものを目にしたのは。高1ぐらいのときですね。僕は宇都宮の出身なんですが、宇都宮の中心街にオリオン通りというアーケードがあって、そのなかに「落合書店」っていう昔からの本屋さんがあったんです。で、その落合書店がいつだったかマンガ専門の店舗になって、そこになぜかやおい同人誌を置いていたんですよ。委託だと思うんだけど。宇都宮は駅の近くにアニメイトがあって、そっちにもやおい同人誌はあったんだろうけど、そっちはうちから行くのは遠いので、落合書店のほうで買っていました。じつは親戚に落合書店で働いている人がいたので、その人に見つからないようにこっそり買う、といったことをやっていました(笑)。

 

溝口:書店にふつうに並んでいたんですね?

 

千葉:ええ、片隅にありました。思い出深いのは、十條かずみっていう同人作家さんです。「B-HOUSE」という個人サークルをやっている人で、その同人誌がなんだかたくさん落合書店にあったんです。どういう事情だったのかわからないけど。たぶん、この(画像を見せながら)『リヴィング・ウィル』っていう「くら×ひえ」の同人誌が一番最初に買ったものかもしれないな。1994年くらい。片方が死んでしまうという切ない系の話なんですけど、当時そういうのが好きでね。同じく『幽遊白書』ものだと、後に榎本ナリコとして一般デビューする野火ノビタの『飛行少年ズ』も思い出深いですねえ。あれは1995年です。オウム、『エヴァ』、インターネット普及のときと重なるわけですね。そのとき僕は高2ですから、青春まっただなかです(笑)。

 

溝口:コミケに行かれたりはしなかった?

 

千葉:行ってません。というか、同人誌というものがどういう流通をしているものなのか、よくわかっていませんでした。……それとそのころ、月刊誌も出て来始めましたよね。

 

溝口:そうですね。90年代はじめ〜なかごろは、アンソロだけではなく月刊誌や隔月誌がどっと増えた時期です。

 

千葉:僕が見ていたのは『いちばん好き』……『いちすき』って略す雑誌です。それから当時、もっとエロに特化したものも出ていて、高校2・3年のときは、毎月2誌くらい購読していました。落合書店みたいな中心街の本屋だけじゃなく、郊外の本屋にも置かれるようになってましたね。そのころとくに好きだったのは、『君は僕を好きになる』、通称「きみぼく」っていうあべ美幸さんの最初期の作品です。学園ものです。バスケ部が舞台で、背の高い、ちょっとツンとした「攻」にたいして、けなげで元気な、で、それゆえにウザがられもする「受」の子が、恋をして、最終的にハッピーなカップルになるっていうたいして毒のない物語なんですけど。その「受」にずいぶん感情移入しました。そうそう、ああいうマンガって、キャラがまるで「ノンケ」と区別がつかないっていうのが、インパクトが大きかったんです。従来のマスメディア的なゲイ・イメージって「オネエ」っぽいものが王道だったので。「オネエ」はそれはそれで大切な文化だと思うけど、そうじゃない可能性がゲイにあるんだということをBLが教えてくれたのです。「オネエ」的なもの、それは当事者の現実として今も昔も強力にあるわけですが、それをBLの「ノンケっぽい」表象は否認しているという批判もありうる。が、BLという妄想は新しいゲイネスを示唆してくれたのです。また後に述べますが、この時期は『Badi(バディ)』の登場なんかで、ゲイ・イメージが従来のものから変わろうとしていた時期でもありました。

 

溝口:たしかにBLでは、「受」キャラが「攻」との関係性のなかでは「女役」とはいっても、BL愛好家の女性たちにとって、自分たちにはできないけど「男子だからこそ」できること、っていうのが託されていますもんね。私は「きみぼく」は読んでいないのですが、BLを読み始めた1998-99年ごろ、「攻」と気持ちのすれ違いがあってもやもやした「受」が、「攻」のことを呼び出して、みんなのいる前で「なんでおまえは俺のことを避けるんだ! いいたいことがあるならはっきりいえ!」ってつめよるシーンを見て、それはまわりの子は恋愛のもつれとしてではなく、部活の先輩(「受」)が後輩(「攻」)を叱っている、と見ているんですが、「ああこういうことかー」と思ったことがありました。女子キャラではそれは成立しないから。どんなにほっそり小柄で女顔の「受」キャラでも、あくまでも男子だから成立するし、女性読者はそれに憧れるんだなと。……千葉さんは「24年組」の「美少年マンガ」とかではなくて、90年代からなんですね。世代的には当然ではありますが。

 

千葉:そうなんです。僕にとってBL前史に当たるのは、長野まゆみの小説ですね。『少年アリス』が中2のころだったかな。それから『天球儀文庫』シリーズとか『テレヴィジョン・シティ』とか、90年代の作品。長野作品の、耽美的な少年とガラスと鉱物とかいう世界、稲垣足穂の影響を受けた女性の想像力。高校時代に僕は毎年、読書感想文の課題を稲垣足穂のエッセイか長野まゆみで書いていました。ひじょうに「軽薄」かもしれません(笑)。その読書感想文と、栃木県立美術館の企画展のレビューを書く課題が、僕にとって批評の始まりでした。なので、BL的なものへの入り口としては文学もあった。足穂はかなり熱心に読みました。『ヰタ・マキニカリス』とか『A感覚とV感覚』とか。そういったものが当時の僕には本当におしゃれに感じられましたね。足穂については、いつか新たな気持ちで何か書きたいと思っています。

 

溝口:ところで、90年代前半当時、読まれていたやおい同人誌やBL商業誌には、「俺はホモなんかじゃない」っていうホモフォビアの表明ともとれる定型表現があったと思いますが。

 

千葉:たしかにそれはありましたし、気になっていました。ところで、これは『BL進化論』でブルボンヌさんが対談でもいわれていましたが、1994年に創刊された『Badi』は画期的で、それ以前のゲイ雑誌、『薔薇族』とか『さぶ』とかは、それらもときどき読むことがありましたけど、まあ、しみったれた感じというか、内在化されたホモフォビアに満ち満ちたメディアで……。秘めたるものをのぞき見するような感じ、そしてどこかうら寂しい感じで。それに比べて、やおいやBLは、『Badi』よりも早く90年代前半には、明るい男性同性愛キャラを描いていたわけです。「自分は本当は女を好きなはずなのに、こいつだけにだったら許せちゃうし体もひらけちゃう」といったホモフォビア的葛藤が描かれるのはお決まりだったわけですが。そうではあっても、明るいBLがでてきたというのは、旧ゲイ雑誌の暗さからの切断として重要だった。つまり、旧ゲイ雑誌に見られた当事者自身に内在化されたホモフォビアに比べ、やおいやBLにおけるホモフォビア的葛藤の残存のほうが、後者には画期的な明るさがあったがゆえにましに思えた、ということです。

 

溝口:ブルボンヌさんがいっているように、「より前向きに自分たち(ゲイ)のことをとらえられる雑誌作りをしていきましょう」っていうのが『バディ』の編集スタッフのなかにはっきりあった、ということなんですが、より詳しい話を小倉東さんが座談会で語られたことがあって——小倉さんは、『2CHOPO』で連載をもっているマーガレットさんと同一人物です——、いわく、「顔出しなんかもってのほか。トラブルが起こったらどうするんだ」「顔を出すホモがいるわけない」という経営側の姿勢を変えさせるために、まず編集者をタレント化して顔出しさせるといった戦略をとったと。(対談「私たちの90年代」『クィア・ジャパン VOL.1 メイル・ボディ』1999、勁草書房、pp.71-100)つまり、「マチカドボーイフレンズ」で一般の若者たちがどんどん顔出しするようになったのは、そうしたいゲイの若者が現実に増えていたからそれをすくった、のではなくて、その気分自体を雑誌をとおして作り出していったんだ、ということなんですよね。

 

千葉:やっぱりそういう演出、虚構化の作用が現実を変えていくことがあるわけですよね。それは大事ですよ、すごく。死にそうな状況のなかで苦しみのディテールをじっくり考察することも大事なんですけど、それで「夢を見る力」を弱らせてしまってはしょうがない。もっと夢を見たらいいんです。しみったれたところに徹底的につきあうことこそが倫理のすべてなのではない。生きていくには幻想が必要なのです。ちょっとポジティヴ・ベースなことをいうとすぐに何か「騙し」があるという警戒心を抱く人がいるようだけれども、それでは袋小路ですよ。幻想の力がなければ現実は変わらない。

 

溝口:幻想、によって作られた表象によって、ともいえますよね

 

千葉:そうです。ミシェル・フーコーが「ゲイは懸命にゲイにならなくてはならない」といったように、発明すべきなんですよね。新しいゲイなりレズビアンなりのあり方を。

後編につづく


■参考作品
動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社
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