第3回ガチホモコピペから読み解く愛とは何か

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あなたが初めてインターネットに接続したのはいくつのときでしょうか。どうも、大島薫です。

マイクロソフト社がWindows95を世に放ち、一般人でも手軽にインターネットを利用できるようになってから、早20年余りが経ちました。SNS、携帯電話、スマートフォン——ネットを取り巻く環境は目まぐるしく変化し、ボク自身、ネット初期の個人HPが乱立していた時代や、FLASHで作られた動画に驚嘆していたあのころを思い出すのも困難になってきました。

いまやその存在が当たり前に知られるようになった、「2ちゃんねる」ができたのは1999年のことだそうですね。ボクも高校時代、2ちゃんねるの某板で「パン工場で事件が起こるようです」というスレッドを立ててSSを投稿した時代がありました。どこかのまとめに上がってた気がするので、ボクの黒歴史に興味のある方は探してみてください。

閑話休題。さてでは、そんな2ちゃんねるに度々登場するコピペという言葉はご存知でしょうか?

ガチホモコピペ
コピペとはコピー・アンド・ペーストの略です。コンピューター用語そのままの意味だと、既存のデータや文章を複製して、別のところに転写することを指しますが、主に電子掲示板内になるとそれは「頻繁にコピー・アンド・ペーストされる特定の文章」という意味になります。テンプレともいいますね。

Twitter等のSNSをよく利用する方であれば、「おじいちゃんが犬を捨てに行ったら、犬のほうが先に帰ってきた」というような一口ジョークのような文章を見かけたこともあるかと思いますが、そういった文章の多くが元は2ちゃんねるに貼られていた定番のコピペだというケースも少なくありません。

今回はそんな2ちゃんねるに乱投されるコピペの中でも、絶大な人気を誇るガチホモコピペを元に、人を愛するとは何かについて考えてみましょう。

イサキは取れたの??
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(2ちゃんねるより引用)

ご覧いただきましたのは、一番有名なガチホモコピペといっても過言ではない「イサキは取れたの??」です。2ちゃんねるに不特定多数が投下するコピペの性質上、大変心苦しいのですがタイトルはこちらで勝手に付けさせていただきました。

注目すべきは、文章内でオジサンと呼ばれている人物の「おにいちゃん」という呼びかけです。

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(画像はイメージです)

古来より日本では少年愛が盛んだったことは皆さまご周知の通りでしょう。年長の武士が少年を保護し育てる中で、同性愛行為は公然の事実として受け入れられてきました。

育てる側の武士を「念者」、少年のほうを「若衆」と呼び、念者はいまでいうタチ役、若衆側はネコ役をすることが基本で、教育的な側面をもって行われます。ですので当時、大人になってからネコ役をやりたがる男性は『成熟していない大人』と見なされ、気味悪がられていました。

誤解を恐れずいうならば、ボク個人の見解として少年愛と同性愛は似て非なるものと考えています。それは衆道における同性愛行為が男性優位主義としての教育で、どちらかといえばホモソーシャル的な友情に近いのではないかと感じているからです。

上記のガチホモコピペにもその一端が見てとれます。もちろんオジサンがゲイであることは間違いないのですが、その言葉の端々に衆道のような尊敬の念からくる愛情を感じるのです。

「おにいちゃん」というオジサンの呼びかけから、投稿者の男性を年長者に見立てていることがわかります。そしてあまりに細かい状況設定と幼い言動は、投稿者がいうようにそれが過去にオジサンが経験した実際の場面というようにも受け取れるでしょう。

若衆が念者が行う同性愛行為を甘んじて受け止めていたのは、そこに年長者への尊敬や憧れがあったからです。若衆の場合、それは武道の腕前であったり、経験則からくる見識の深さでした。このオジサンの場合は、それがたくさんの魚を取れることだったのでしょう。大漁かどうかを訊ねるオジサンの台詞から、それが「おにいちゃん」に対する尊敬の基準であることが伺えます。

男性が男性を好きになる理由というのは様々あるかと思います。ガチホモコピペは愛情というものが単一的なものではなく、「あんな男性になりたい」、「あの人に認めてもらいたい」という尊敬の念も人を愛することにとって必要な感情だと我々に教えてくれます。

23歳のギャル系

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(2ちゃんねるより引用)

最初に申し上げておきますが、別にボクは生での性行為や、ドラッグを推奨しているわけではありません。ですが、このガチホモコピペからも複雑な愛情の一端を感じとることができます。

まず注目すべきは、この投稿者の男性が自身のタイプを表す表現として使った「ギャル系」という言葉でしょう。この「ギャル」という単語については、ゲイ業界では「ギャル男」を指す言葉として広く使われてきました。

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(画像はイメージです)

通常、一般の男女にギャルという言葉のイメージを聞くと、奇抜な髪型や露出度の高い服装をした≪女性≫を挙げることが多いかと思います。ゲイ業界に男性しかいないとはいえ、すでにイメージが固定化されたこのギャルという言葉を、あえて男性に当てはめるのはどういう心理でしょうか。

また、「いっぱい出してガキ孕ませてくれ」という台詞や、「マ〇コ」という単語についてもそうです。我々男性が妊娠をしないことや、女性器のないことなど百も承知の彼らがあえて自分を女性に見立てる意味とはなんでしょうか。

ここでまた再度、衆道の話に戻ります。なぜ過去ここまで男色文化が流行したのか。それには当時、女性の身分が異様に低いものとして見なされてきた男尊女卑の歴史が関係しているようです。

日本の男色は戦国時代に最盛期を迎え、女性は汚らわしい存在で男色こそ崇高な行為だとして賞賛されることさえありました。前述で大人になっても女役をやりたがる成人男性が、軽蔑の対象になった理由もこのあたりが原因といえるでしょう。武士の世界は崇高な男色行為で自らを下等な女役に貶めることを良しとはしなかったのです。この辺りは古代ギリシャの少年愛文化と非常に似通っていますね。

例に挙げた「23歳のギャル系」コピペも、そういった男尊女卑的な観念から来る表現だったのではないでしょうか。決して女性を劣った存在と書きたいわけではないということはご理解いただきたいのですが、力では絶対にかなわない男性に組み敷かれる概念としての女役に自分を置くことで、マゾヒスティックな快楽を得ようとしていると考えられます。

ゲイに限らず、マゾヒズムというのは依存的かつ、ナルシシズムな側面をもっています。「この人のいうことに従っている自分」や「こんなことをされても我慢できる自分」という自分ありきの考えは、被虐性欲において非常に重要な感情です。ガチホモコピペはいかに人間が、主観的に人を愛しているのかということを我々に教えてくれます。

コミケ!
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(2ちゃんねるより引用)

こちらは正確にいうとガチホモコピペとは違うのですが、ボクが書くコラムにまったく女装の話がないのもどうかということで取り上げさせていただきました。女装子が投稿者なだけに、「23歳のギャル系」のコピペで述べた概念としての”女役”がより顕著に感じられるかと思います。

また投稿者が女装レイヤーだということにも注目したいところです。女装をするということとコスプレは非常に密接な関係にあります。元々アニメや漫画の仮装という認識だったものがコスプレという呼び名が付き、ここまで発展を遂げたのはやはり1975年ごろ発足されたコミックマーケットと呼ばれる同人誌即売会の影響が大きいでしょう。

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コスプレイヤー人口がまだ少ない時期、数人しかいなかった女装レイヤーも次第にその数を増やし、各地のこういった同人誌即売会イベントで見かけることが多くなりました。それに伴い、更衣室の問題やイベントでのトラブルも多くなり、男性の女装コス禁止を掲げているイベントも少なくありません(まあ、本当にこの投稿者のような行為におよぶ女装レイヤーがいるとするなら、それも致し方ない処置ともいえますが……)

とはいえ、規制されるということはそれだけ多数の女装レイヤーがいるということでもあります。若い世代で普段から女装している方やMtFの方の中には、元は女装レイヤーだったという方も増えてきました。男装、女装に限らず、ゲイの方も、自分のセクシャリティーを認識するきっかけがあるかとは思いますが、そういった方たちの場合はこれがコスプレだったわけです。

なぜ女装とコスプレが親和性が高いのか。それはどちらも変身願望がその根源にあるからではないでしょうか。「〇〇のアニメの××というキャラクターになりたい」と、「〜で〜のような女性になりたい」は非常に近い感情ということです。理想の体現とでもいうのでしょうか。

上記のコピペの中に登場するアニメのキャラクターは、元々男の娘キャラというわけではないですし、クローンで作られた実験体という設定があるだけに、原作中はおとなしく見た目より幼い設定です。そこから鑑みるに、この投稿者はアニメのキャラクターを再現しようとしたわけではないことがわかるかと思います。つまり、彼の理想の体現はそこではないのです。

また、これより前に出てきたガチホモコピペ2つが相手の見た目や性格について触れる描写があったのに対して、この「コミケ!」では一切触れていないところにも注目したいところです。つまり、投稿者にとって性行為の相手の容姿や人となりは問題ではないのです。

エロ漫画のジャンルの一つにモブ姦と呼ばれるものがあります。モブとは個々の名前が明かされない群衆のことを指す言葉ですが、そういった特定の登場人物でない相手にヒロインが犯されるシチュエーションをモブ姦といいます。この手法をとることによって、犯される側であるヒロインが引き立ち、よりストーリーが明確になります。

つまり、投稿者はこれが描きたかったのではないでしょうか。既存のアニメのキャラクターになりきるのではなく、モブ達に犯されるアニメの女キャラのコスプレをした淫乱女装レイヤーというこれが彼の理想の体現だったように思われます。究極の自己愛。それもまた女装をする男性の重要な要素なのです。少年が年齢を重ねるごとに自体愛、自己愛、対象愛を学んでいくように、ガチホモコピペは我々に自分を愛することで他人を愛することに繋がるということを我々に教えてくれます。

ホモレベル
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(2ちゃんねるより引用)

最後はよりテンプレ的なコピペを取り上げました。完全な異性愛者であるLV0からLVが上がるにつれ、よりがっつりとした同性愛者に移り変わっていくという趣向のものです。ある種のキンゼイスケールのようにもとれますね。

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昨年11月ごろ発表された論文によってその信憑性を疑われたキンゼイスケールですが、性的少数者らからは長年指示されてきました。キンゼイ博士が提唱したこの指標は、人間の性的趣向を0〜6の段階に分け、セクシュアリティは100%の異性愛から100%の同性愛へと至る連続体として捉えるべきだとしました。

上記の「ホモレベル」も異性愛と同性愛が連続的に繋がっているという点では同じですが、注目したいのはちょうどその途中段階にあたるLV4〜LV5の段階で突然ホモフォビアの傾向がみられるところです。個人的にボクは、ここに明哲なるリアリティを感じてしまうのです。

必要以上にホモ嫌いを公言するホモフォビアは、自身の自覚的なホモ傾向を否定しようとする行動であるとする説があります。1997年ジョージア大学で異性愛を自称する被験男子学生64人を対象に、ある実験が行われました。それは彼らの中で同性愛を嫌悪する者とそうでない者を分けたのち、ペニスに計測器を付け、ゲイ・ポルノを見せるというものです。すると、ホモフォビアではない学生で勃起したのはわずか30%だったのに対し、なぜかホモフォビアグループの学生は80%の学生に明らかな勃起が生じました。

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(画像はイメージです)

考えてみれば、経験的にも「嫌い」と思うことが意識していることの裏付けになるできごとは多々あります。自分が嫌っている人物は、本来自分の心が欲しているものだったりするものです。これを心理学用語で「シャドウ」といいます。心理学者ユング,C.G.は、個人において生きてこなかったもうひとつの側面、意識にとって許容できない自分の暗黒面をシャドウと呼び、自分の中のシャドウと向き合い対決することが大切であると唱えました。ホモフォビアの人々にとって、同性愛者は彼らのシャドウなのではないでしょうか。

「ホモレベル」でいうところの、完全なる異性愛者であるLV0からLV3に上がる段階で、彼らは多少同性を意識し始めています。ここで同性を意識する自分というシャドウが生まれ、LV4〜LV5ではそのシャドウを否定する段階に入るのです。そして、やがてそのシャドウと和解し、自分を確立していく様はまさに人間が成長していく過程そのものです。

可愛さ余って憎さ百倍なんて言葉もあるように、愛情と憎悪は非常に近く、似た存在です。真に人を愛するということは、自分の中にある醜い感情とも向き合っていくことではないでしょうか。ガチホモコピペは我々にとって人を愛する美しい心と人を憎む醜い心は同じものだということを教えてくれます。

ガチホモコピペから読み解く愛とは何か
いかがでしたでしょうか。今回ご紹介させていただいたのは4つのガチホモコピペでしたが、ネットにはまだまだたくさんのガチホモコピペがあります。その中には必ずしも公序良俗に則したものとはいえない内容のものも多分に含まれています。

性的なことと不謹慎なことは近い存在です。アダルトビデオやエロ漫画の世界には「未亡人」を扱った作品なども多くありますが、旦那様のお葬式のすぐあと喪服姿の未亡人と性行為をするなんて内容のものは、興奮しているときなどエロい設定だと観てられますが、冷静になって考えると不謹慎極まりないシチュエーションです。

もちろん、ご紹介したガチホモコピペのような行為を推奨するつもりはさらさらございません。しかし、もしこれを読んだ方々の中で「こんなものはけしからん!」、「なんてものを掲載するんだ!」とお怒りの方がいれば、もしかするとそれがあなたにとってのシャドウなのかもしれません。

不謹慎な行為や、反社会的な行動を空想する。それは誰しも持つ破壊衝動です。問題はその反社会的で不謹慎な自分の存在も認め、どう生きていくべきか向き合っていくことではないでしょうか。憧れていなければ幻滅することもないのと同じように、主観と客観自己愛と対象愛同性愛と異性愛、我々人間はこの異なる2つをと呼んでいます。

 2016/03/29 16:00    Comment  コラム              
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