ボーダーライン 第3話

自覚したが最期。乾いた場所を無心に満たしたい。
このささくれたように熱を持った内側を、
そのヒダのひとつひとつはすでに濡れているのに、喉が渇いて仕方ない。

部屋のドアを開けたJは、アタシを抱きかかえてベッドへ連れて行く。
彼は欲しいものが手に入らない子供みたいにぐずるアタシの手からハンドバッグを引き取り、バスルームに消えた。

ベッドサイドの灰皿。しけもくを吸う。
「香。足を出して。」
ホットタオルを手にベッドに腰掛けている彼に足を投げ出す。
「靴はどうしたの?って聞かないの?」
「…聞いてほしいのかい?」
彼は少し微笑んで淡々とアタシの両足の裏を拭く。
「前は、聞いたじゃん。」

いつ始まっても終わっても構わない。
でも内心、失くす時には寂しいかもしれない。
こんな関係を持っているアタシはアバズレ合格なのか。

「アタシ女の子と寝たいの。」仰向けの天井に向かって言った。
「ん?恋をしたの?」アタシの額の髪を撫でる彼の指先は無責任に優しい。
「いつか彼女を僕に見せてくれる?」悪びれもせず言う彼の瞳。いじらしくなって押し倒した。

寝たいから寝る。でも縛らない。
アタシ達は似ている。

14_1

国籍・年齢・学歴・出身・金・肩書・権力・
その人を表すことの一要素でしかない事柄を、
さぞ大事そうに恋愛基準にしている女とは仲良くなれない。
昼下がりのカフェ。
巻き髪にデコ爪のOL達の嬌声。
耳に入って来るおしゃべりは、合コンに婚活、男との痴話喧嘩…。
「ウケる~」と言いながらも全然笑ってない目。

そうか、あたしの基準はここにないんだった。
人が何と言おうと関係ない。
アタシは自分の目を信じて生きてきた。だからこの先もそうだ。
性別だって関係ない。アタシは彼女が好きなんだ。

「目からうろこ」である。
と同時に、なにか覚悟じみた感覚に襲われる。
ただそれはもれなく踊り出したくなるような感覚だった。
会計もそぞろにカフェを出ると、頭上の空を仰いだ。
思えば久しぶりに雲を見た。空の色を見た。
アタシはひとつ自由を手に入れた。

彼女に会いに行こう。

決意した足で画材を買い足しに行った。
無性に描きたかった。
足の踏み場もなくなった部屋の中、気付いたら朝になっていた。

新しい世界のイメージ。脱皮するような快感。
上等のハチミツのように甘やかなキスの予感。
出来あがったのは、アタシの性欲と食欲と睡眠欲を飲み込んだ、F4サイズほどの肖像画。

ビールを飲みながら、ふと携帯を取り出す。
電源が切れている。いつものことさ、とコンセントを繋ぐ。
メールが来ている。見ると彼女からだった。

“おはよう香ちゃん。昨夜はありがとう。とっても愉しかったわ。
あれから、あなたの夢を見たのよ。香ちゃんすごく幸せそうに笑っていたの。
とてもハッピーな目覚めが出来たわ、ありがとう。また 会えるかしら。”

壁に寄りかかりながら、うれし笑いがこみあげる。
“マユさん。アタシの絵のモデルになって下さい。”と返信した。

“喜んで。今すぐにでも。”

“本当に?じゃあ今日が良い。”

さっきまでのテンポでメールの返信が来ない。さすがに強引だったかな…。
がっくり弱気になりかけた矢先、メールを受信した。
“わかった。今日13時にこの前のイタリアンで待ち合わせしましょう。”

やった! ベッドにダイブして枕を抱きしめた。
このまま眠れなくても良い。早く彼女に会いに行きたい。
メールひとつで天国と地獄。アタシはすでに恋に落ちていた。

一瞬意識がなくなった、と思ったら11時を過ぎていた。
慌ててシャワーを浴び、身支度を整え、ジャスト13時。
画材バッグを持って歩くその先に、見覚えのあるオープンテラスが見えて来た。

艶やかな髪、麻のパンツに隠された長い脚。
彼女は「恋する惑星」のフェイ・ウォンが掛けていたような黒のまん丸いレンズのサングラス姿で座っていた。
「マユさん、そのサングラスすっごく似合ってる。」
声を掛けると、彼女は黙ってカフェテーブルの向こうを指さした。
見ると一台の白いJeepが路肩に停まっている。

14_2

「さあ、香ちゃん、行きましょうか!」
指先でクルマの鍵を廻して彼女が微笑んだ。

ああ、神様。死んでもいい。

Top