第4回 10年前の女装界を思い出してみる

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ボクが初めて女装をしたのは、大きめに作った学ランもようやく窮屈さを覚え始めた15のころでした。どうも、大島薫です。

去年の6月、AV業界の引退を発表した7日後に26歳の誕生日を迎え、自分にだけは永遠に訪れないのではないかとすら思っていたアラサーと呼ばれる年齢層にめでたく突入いたしました。そうなると、15歳のころというのはもう11年前になるのですね。衝撃です。

11年前——つまり、2004年頃——といえば、日本ではちょうど千円札の肖像画が夏目漱石から野口英世に変わり、インドネシアではスマトラ島沖でM9.0の地震が発生していました。こうして思い出してみても遠い昔のような、つい最近のことのような、そんな曖昧な印象を受けてしまいます。女装を取り巻く環境もいまと11年前でほとんど同じような、はたまたまったく違うような、そんな変化を経ていまだ現代の一部の人々の心の拠り所として根付いています。今日は10年以上女装を続けてきたボクと、女装業界の昔と今を比べながら、時の流れに想いを馳せて参りましょう。

男の娘という言葉のなかった時代
テレビなどのメディアでも取り扱われ、すっかり一般社会に馴染んだかのように思える「男の娘」というこの言葉、実は10年前にはまだ誕生していませんでした。Wikipediaを開いてみると、「男の娘」という言葉が公の場で使われたのは2006年9月に開催された『男の娘おとこのこCOS☆H』という同人誌即売会が最初のようです。言葉自体はそれよりももう少し前に生まれ、主に2ちゃんねるなどで「女の子のようにしか見えない男の子」を指す言葉として、ネットスラングのような使われ方をしていました。

たしかにボク自身の記憶としても、15歳前後にネット上で男の娘という言葉を見た記憶がほとんどありません。主にアニメや漫画などの二次元キャラを指すために生まれた言葉でしたが、それ以前は女装はショタ属性の中の一ジャンルとして存在していて、それだけに特化したものではありませんでした。

女装子って何?
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©新多奏日/BOYS FAN

それまで現実世界で女装をする男性は女装子(ジョソコ・ジョソウコ)と呼ばれていました。あまり二次元の女装キャラに使われているところを当時でも見なかったため、主に女装子本人たちや女装子が好きな男性たちの間で使われていた言葉だったようです。業界用語や隠語のようなものですね。

この女装子という言葉の歴史は男の娘よりさらに少しだけ古く、1990年代後半には女装子の中で一般化されていたようです。それまでは女装者と呼ばれ、ゲイと女装を区別する言葉として存在していました。1983年に東京から進出してきた女装クラブ「エリザベス」が大阪にオープンしたところを見るに、一定数自身の性をそのように意識している方々も多かったようですね。

ゲイじゃないニューハーフでもない??
いまやっと世間で「オカマ」と呼ばれ一括りにされてきたゲイや女装やニューハーフが、当事者間では数十年も前からすでに分類されていたことを知ると、なんとも感慨深いものがあります。現代でもゲイバーなんかに行くと「女装のお客様お断り」を掲げているお店を見かけますが、要するに「あいつら同じ男好きでもなんか違うんだよな」という感覚が当時からあったということでしょう。

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画像はイメージです。

もちろんゲイの方でも女装することはあります。ドラァグクイーンなどがそうですね。一部ノンケの方もいますが、ほとんどの場合はゲイ男性がド派手なメイクに奇抜な衣装で過剰な女性性を演出しつつ行うパフォーマンスのことをそう呼びます。女性という性をファジーに演じることというのが正しいのかもしれません。

つまるところ、ドラァグクイーンはパフォーマンスですので表舞台に立つための女装であって、やはり性的趣向の女装子とは違うと認識されています。そのためゲイの方々の中では「女装子」を趣味で女装をする人々という意味で「趣味女(シュミジョ)」と呼ぶ方もいます。とはいえ、ゲイの方々からするとやはり女性の装いというのは受け入れがたいものなのか、以前イベント終わりで衣装姿のままのゲイの知人と一緒に馴染みのゲイバーに行ったところ、そこのママさんから

「ちょっとアンタ、ウチは”ゲイ”バーなんですけど?」

と言われ、知人がその場でメイクを落とさせられていました。郷に入っては郷に従えという感じですね。

男の娘登場
時代は進み、やがて男の娘を自称する女装男子が増え始めます。この男の娘文化の発展にはやはりネットの影響が非常に大きいでしょう。元々ネットから生まれた単語というのももちろんありますが、以前までの女装者や女装子との違いはその孤立性にあります。

ネットのなかった時代もしくはまだネットが普及していなかった時代、女装をしたいと考えた男性は非常に不便でした。男色が当たり前だった江戸時代とは違い、大正あたりから同性愛が人々の中で定義付けられ、戦後になってくると異性装や同性愛は変態性欲として人々の中に十分過ぎるほど浸透していました。そんな世論の中、女装がしたいなどと周りに言えるはずもなく、女性の知人にメイクを教えてもらうこともできません。そこで彼らはオカマバー女装クラブに行って、先輩の女装者にメイクや洋服選びのレクチャーを受けていました。コミュニティが形成されていたわけですね。

しかしPCの普及率が上がるにつれて、状況はガラリと変わり始めます。以前までの女装へ至る過程は、どうしても何かしらのお店に通うという関係上、時間にもお金にも余裕のある世代の遊びとなっていました。そんな中、突如どこのコミュニティにも属さない女装者が現れたのです。彼らはインターネットを介して女装のノウハウを学び、独自の理想を追求する新しい女装文化を形作り始めました。ネット男の娘文化の始まりですね。

自宅で完結! 男の娘
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それまで女装趣味が年配の方のものだった理由も、やはり変態性欲だとする世論から来るカミングアウトのしにくさが原因でした。「女装がしたいなんて、自分は頭のおかしな人間なんだろうか」という、どこにも相談できない悩みは若く女装を志す人々の最大のネックになります。通常は色々な人生経験を経るうちに、そういう趣味の人が集まる場所があること知ったり、そういう考えもあっていいじゃないかと自分の心に折り合いを付けていくわけですが、インターネットという匿名性の高い場所では深く考えずに自分の趣味趣向を吐露できるのです。そのため、ネットを使う若い世代へ女装趣味が瞬く間に受け入れられ始めました。

加えてそのころにはカメラ付き携帯電話が十分普及していたことも影響として大きいでしょう。女装癖の方の多くは、やはり綺麗に着飾った自分を見てもらたいという心理を強くもっています。オカマバーなどは女装ではない男性も飲みに行ける場所なので、そのままそこが自分をお披露目する場となりますが、自宅のみで女装を始めた男の娘たちにはそういった場がありません。

そこで彼らはネット掲示板やSNSなどに、女装した自分の自撮り写メを載せて反応を得ようと考えました。自宅で女装を学び、自宅で女装を実践し、自宅で女装をお披露目する。従来までの女装者に比べ、男の娘は全て自己完結のできる趣味として女装を捉えていました。そしてネットの拡散力により、男の娘文化は一般社会も巻き込み、さらに広がっていきます。

二次元VS三次元論争
爆発的にその存在が知られていくと、当然非難の対象に遭うことも多くなるものです。現実に男の娘を名乗っている人たちが受ける非難の代表例の一つとして、「自ら女装しておいて『男の娘』を自称するな!」というものがあります。

元より二次元から生まれたこの言葉を三次元の人物が使うことへの抵抗も一つの要因ですが、一番大きいのは「男の娘」という言葉の持つ曖昧さでしょう。
男の娘の自称に関して異を唱える人々の主張を要約すると「男の娘というのは元から自然体で女の子にしか見えない人のことを指すのであって、自らメイクや女物を身に着けた時点で、それは女装であって、男の娘ではない」というものが主になります。

んー、少しわかりにくいですが、要するにアニメなどに例えていえば、彼らからすると「バカとテストと召喚獣」の木下秀吉は男の娘で、「Steins;Gate(シュタインズゲート)」の漆原るかは女装だということです。伝わるかな、これ(笑)。

しかし、この説明はどこかに明確に記載されているというわけでもなく、それぞれの自己解釈になっているのが難しいところです。例えばWikipediaなどで「男の娘」を調べてみると、『医学的な性転換の有無は問わない』という記述もあり、こうなると否定派のいうところの「自然体で女の子にしか見えない」は当てはまらないようにも思えます。「かわいければ男の娘、かわいくなければ女装」なんてザックリした主張を述べる人もいて、男の娘を名乗る人たちからすると「俺たちは女装(オカマ)なんかじゃない!」と言いたくなる気持ちもわからなくはありません。

女装子VS男の娘
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©Meo/BOYS FAN

当然従来の女装子文化に抵抗のある男の娘も存在します。「自分たちはそういうオカマたちとは違うんだ!」という台詞を女装姿のまま発せられるほどに、自分の中で男の娘と女装子が切り離された存在となっている人も少なくありません。

女装子側にも男の娘文化に否定的な方はいます。女装子文化とは先に述べた通り、先輩から後輩へ受け継がれていく上下関係の元に成り立つコミュニティから発展を遂げてきました。そのため、わりと女装時に関するマナーや言動にルールを重んじる傾向にあります。そういった方々の領域に、たまにネット世代の男の娘が乱入すると自分勝手な行動にトラブルを起こしがちです。会社で団塊の世代とゆとり世代が時代の差で揉める話はよくありますが、そういったジェネレーションギャップはどこの集団でも起こるというわけですね。

囲い込む女装子
数年前、女装バーを経営する古株のママさんに誘われてその人のお店に飲みに行ったことがありました。飲み始めの時点では楽しく飲んでいたのですが、しばらくすると次第にそのママさんから他の女装バーやオカマバーの悪口が始まりました。何か嫌な感じを受けたボクはすぐにそのお店を後にしました。

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また別の日に別のお店で、そのママさんのバーの常連だという男性と話しをする機会がありました。そこでボクが「〇〇っていう別の女装バーも気になってるんですよねー。行ったことありますか?」と訊くと、彼は
「あ、俺ママの店行ってるから他のとこ行けないんだよ」
と、答えました。どうやらそのお店は先ほどのママと仲が悪いらしく、働いている従業員はもちろんのこと、お客さんも行かないように言われているようなのです。女装子界隈のお店やイベントでこういう話は珍しくありません。

〇〇のイベントに行ってるから、××の系列店には行ってはいけないというような暗黙の了解は、男の娘世代が増えてきたいま現在も根強く残っています。ボクとしてはどうもこれが過剰な男性的ナワバリ意識に見えてしょうがないので、はっきりいまここで書いておきますが、好きではありません。

突っ走る男の娘
一方男の娘世代はそういったコミュニティが形成されていないことが多いので、とかく突っ走りがちです。例えば女装子の場合、メイクの仕方やウィッグの被り方がおかしければ、直してくれる先輩が存在していました。しかし、ネットと自宅で自己完結する男の娘の場合、止める存在がいません。そのため、安易に女性ホルモンや手術に踏み切る若い男性も非常に多くなりました。

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インターネットが普及したことによって、いままで病院でしか手に入らなかったホルモン剤などが安易に個人輸入できるようになったことも要因でしょう。知人の女装男子の中にも女装のクオリティを上げたい一心で、ヘテロ(異性愛者)なのに女性ホルモンを始めた方がいました。本人としては「もうメイクも衣装もできることはやった。いまより綺麗になるには女性ホルモンしかない」とネットを見て思ったそうですが、当然長く使用すると生殖能力にも影響が出ます。本人の選択なのでボクが口を挟む筋合いはありませんが、こういったネットで調べた情報をそのまま実行に移せてしまう行動力は、ある種恐いもののようにも感じてしまいます。

ちなみに現在30歳を過ぎた彼は男性ホルモンも抑制したいと去勢手術を受けました。いまだにヘテロセクシャルで普段何ともないような感じで話していますが、たまにお酒に酔うと「俺はもう子どもとか作れないから……」と自嘲気味に呟いています。

女装の今昔
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さて、ここまでざっと近年の女装界隈を書いてきましたが、元を辿れば日本の女装の歴史は非常に古いものです。神話なら『古事記』『日本書紀』の「熊襲征伐」のときのヤマトタケルや、江戸時代に登場した歌舞伎の女形、戦後に異性装や同性愛を変態性癖とする世論が高まる中存在した上野公園の男娼たち

この流れを汲んでいれば非常に文化的で何か深いもののように論ずることもできますが、そうでもないのがまたこの世界の面白いところです(笑)。ですが、不思議なことにいつの時代も似通ったものは持っています。

ヤマトタケルの女装は男色における性的受身を暗示しているとする説もありますが、現代でも被虐性欲の一環で女装を行うこともありますね。第3回のコラムにも書きましたが、そういった社会的弱者の表現として女装を選ぶ人は、女装子世代にも男の娘世代にも少なくありません。女形に見られる男色の歴史然り、上野の男娼たちが形成していた縦社会コミュニティ然り、それらは直接的ではなくとも潜在的に現代の女装文化に受け継がれていっています

最近一般向け、アダルト向けを問わず、男の娘関連の雑誌や映像作品に携わっている方々の中でちらほらと聞こえ始めている声があります。

「正直、『男の娘』は一旦の終わりを迎えたと思うよ」

男の娘という言葉が誕生して10年余り。業界を見続けてきた中でいくつかの表現が存在しました。男の娘ブームという業界の盛り上がりを表すもの、数々の男の娘に関するメディアが休刊やサイト閉鎖などになったときは男の娘低迷期が囁かれたこともあります。しかし、これほど各メディアの関係者が口を揃えて「男の娘は終わった」と口にするのは初めてのことです。

それはある意味、文化として定着したと見ることもできます。一過性の浮き沈みの激しい”ブーム”ではなくなった、と。

しかし、ボクはどうもこの「男の娘」という言葉が曖昧なまま世間に浸透し過ぎてしまったような気がするのです。要するに50歳の人がウィッグだけ被って「アタシ男の娘よ」と言っても男の娘だし、何も知らない一般人が女性になろうと努力しているMtFさんに「あ! あの人男の娘だ!」と言っても男の娘というような。「オカマ」や「オネェ」と同じ、名乗りたい人はそうなって、そうは思ってない人でも他人からそう思われてしまう言葉になってしまった気がします。そういう意味でたしかにこれ以上の発展は見込めない、終わったというのは正しいのかもしれません。

とはいえ、ボクはあまりそのことに心配はしていません。何においてもそうですが、形式や関係性は違えど、我々は気付かぬうちに同じ歴史をグルグルと繰り返しています。もし仮に三次元の男の娘という存在が消えてなくなったとしても、また何か同じような女装文化が生まれることでしょう。

そのとき我々が見たことのないステージにその文化を高められるかどうかの答えもまた、歴史の中にのみ存在しているのかもしれません。

 2016/04/22 10:15    Comment  コラム              
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