家族愛

 Comment  コラム   となりのさつきぽん              

 

今まであまり人に言ったことは無いのだけれど、実は私には父親が二人いる。
生みの父と、育ての父だ。

生みの父は忙しい人で私が幼少の頃は常に海外にいたらしく、家にほとんどいなかった。一緒に生活を共にしたことも、ほとんど記憶に無い。「帰国まであと93日……」と母と共に指折り数えていて、たまにする通話料の高い1分程度の国際電話だけが私と父を繋いでいたように思う。地元では有名な不良だったせいか気性が荒く、でも情熱だけは真っ直ぐな人だったと子供ながらの父の印象だ。

そんな父と母が、離婚することになったらしい。「離婚」という言葉の意味すらよく分かっていななかったが「あぁ……もう家族全員が同じ食卓を囲む事は2度と無いのだな」と漠然と理解した。当時6歳だった。人生というものは、自分の力ではどうする事も出来ない事が、多々起きる。

6歳の私は、欝蒼とした自身の気持ちのやり場が分からずに、ただ以前と比べて人に執着するのはもう止めようという気持ちになっていた。物心がついたのもちょうどその頃。父と母の正確な離婚の理由は知らないし、今も聞いた事は無い。ただ男と女は当事者同士しか分からない事ばかりだし、どこまでいっても五分と五分、というのが私の自論だ。母も父も、良い所もあれば、悪い所もある。ただお互いに譲れ無いものがあった、そういう事だと思う。

しばらくしてから家に新しい男の人が来ることになる。少し離れた中学校で美術の教師をしており、後の母親の旦那さんとなる人物。私は彼の事を『先生』と呼んだ。中学校の先生だったから『先生』。20年以上経った今でも彼の事はそう呼んでいる。教師で、定時で仕事を終えて家に帰ってくる『先生』。

また対照的な男を選んだものだな……と内心戸惑っていた。家に帰っても常に『先生』がいる毎日になった。

先生はとても変わった人だった。宇宙とコンピューターの話が大好きで、想像力の大切さを常に説いていた。先生は「思考を止めるな。人間である以上考え続けなければいけない」と、とにかく私に考える事を強制した。家に帰ってもあらゆる科目の学習を毎日何時間も行なわせ、哲学的な問答を日々繰り返していた記憶がある。「人間は自分達だけ特別だと勘違いしている」という議題で口論になった事もあった。

そして先生は美術の話を好まなかった。美術教師なのに、だ。当時の私の身体ほどの大きさのキャンパスに描かれた、紫色のスミレの絵が廊下に飾ってあった事がある。先生の作品だ。私はそれを「綺麗だ」と褒めたけれど、先生は「全くダメだ、こんなもの」と自身の作品を毛嫌いしていた。おそらく母が飾ったのであろう。

母は美しいものが大好きだった。二人で先生の作品を見つめながら「綺麗なのにね」と話し合った事もある。何が「全くダメ」なのか理解できないまま、鮮やかに咲くスミレの絵をただ見つめていた。

そんな中、生みの父が再婚することになったらしい。

年に数回程度、顔を合わせていた彼からそのような旨を告げられた私は、何とも得体の知れない鉛のような感情が体の奥から鈍く広がっていくのを感じた。「お父さんの人生だから、幸せになれるのなら結婚したほうが良いと思う。ただ、子供だけは作らないで欲しい」とお願いした記憶がある。12歳頃の話だった。新しい家族を作るであろう父に対して訳の分からない嫉妬心と、もっと遠くに行ってしまうかもしれないという不安感が襲っていた。ただ一人で寂しそうにしている父の姿に心が痛んでいた事も事実だった。今振り返れば、子供を作る事くらい寛容になってあげれば良かったと少し後悔している。父は約束を守ってくれた。

家族に対しての価値観というものは、本当に家庭によって様々だ。何をもってして家族となるのか、という定義は非常に難しい。私と先生は実の親子じゃない。先生も常に「自分は君の父親では無い」と口にしていた。「君の父親は一人だけで、それは私では無い。その事を忘れてはいけない」と。先生には息子が二人いた。以前の奥さんとの間に出来た子供らしい。

きっと家族というものは、大なり小なり皆それぞれに問題を抱えている。ただそれを表に出さないだけ。全く問題の無いホームドラマのような家庭の方が、実は少ない。それだけ自分以外の誰かと共に生活を送るという事は、簡単な事じゃない。血が繋がっているならまだしも、繋がっていない相手なら特に。綺麗事だけでは済ませられないのが、家族だ。

当たり前だけど、夫婦というものは血が繋がっていない。赤の他人同士。考え方も価値観も育った環境も全く違う二人が家族になろうとする。衝突するのも当然かもしれない。だからこそ、子供というものが必要なのかもしれないなとも思う。もし大切な人との間に子供がいれば、それだけで血の繋がりを感じるのかもしれないなと、最近よく思う。

私は自分の望んだ性の身体を手に入れた代わりに、生殖機能を失った。本当にそれで良いのか手術前に何年も考え続けた結果の上なので、後悔はしていない。残念には少し思うけれど。

でももし私に子供がいたならば、やっぱり大事にしただろうなと思う。人間って自分一人の為には頑張れない。守るものを作って初めて一人前な気がする。性別適合手術ってゴールのように思われていて、その後のアフターストーリーはあまり知られていない。手術当時の私は今よりもずっと気が強くて「一生独り身でも構わない」と考えていた。けれど、やっぱり寂しくなるものだね。

ただ、子供を持つ事を全く考えていないかと言われれば、そうでは無い。養子という選択肢についても考える時間が増えた。最近その事を母に話したら「血が繋がっていないと、子育ては難しい。繋がっていても大変なのに」と言われた。確かに、その通りだとも思った。

私にとって血の繋がった父親は一人で、正確に言えば『先生』は父親では無い。ただ、きっと彼とはもし血が繋がっていたとしても、喧嘩をしただろうし変な人だと思っただろうし、宇宙やコンピューターのよく分からない話を聞いてみただろうし、哲学的な議題で口論したと思う。何だかんだ、彼の教えが身に染み付いているのを感じるし、会えば何も気を使わなくても会話が自然と生まれるし、好きな食べ物も嫌いな食べ物も良く知っている。それってもう、結局家族と変わらないのではないかと、思う。

家族愛って血の繋がりを超えて感じるものなんだなと、先生の存在を見ていると不思議に思う。夫婦もそうだし、養子もそう。血の繋がりはあれば良いけど、私にとってはそれほど重要ではない事に最近気がついた。まだまだ先の事は分からないけれど、養子として子供を迎え入れる事も人生の選択肢としては良いのかなと思う。子供は私の事をどう思うかは分からないけれど、もし仮にこの手に抱く事が出来るのであれば、私はできるだけ多くの愛情を注いであげたい。できれば男の子と女の子を、最低一人ずつ。多い方が良い。

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人間というのは、愚かで、自分本位で、間違いを犯し、繰り返し、もがいて、苦しみ、そして生きていく。

傷付け合う度に癒し合い、別れの度に出会い、裏切られる度に信じ、憎む度に愛し、そして生きていく。

いつかもし、何年も経って、私に子供が、家族が出来たなら、心休まる家庭を作りたい。たわいも無い話を家族みんなで食卓を囲みながら出来たら、それ以上の幸せは無いだろう。

もし、まだ顔も知らない子供の君達がこの文章を読む事があれば、今度私と一緒に実家のスミレの絵を見に行って欲しい。その時に私は君達に、家族についてお話ししようと思う。

 

 2016/07/26 16:45    Comment  コラム   となりのさつきぽん              
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