第52回 愛というものを狭い箱の中に押し込む必要はない

 

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真夏の6月、トロントはプライドの季節。多様な愛の形が祝福されるカラフルな時期だ。トロントのゲイタウンであるチャーチストリートはレインボーを身に付けた人で溢れている。そんな賑やかな通りで「ラブ・イズ・ラブ」というメッセージを掲げたフォトブースを発見した。ゲイやレズビアンのカップルの写真を集めるプロジェクトだ。フロリダ州オーランドで起きたゲイクラブ銃撃事件や社会に根強く存在するホモフォビアやトランスフォビアに対する答えとして、形は違っても愛は同じ愛だよと訴えているのだろう。

「それではペアになって中に入ってください」

指示に従って、友達とカップルのふりをしてフォトブースの中に入った。ペアなら、友達同士でもよかったのだ。ユーモア溢れるカメラマンとの楽しい写真撮影を終えてから、フォトブースの外で公開されていた他の写真が目に入った。そこには同性のペアや異性のペアたちの楽しそうな姿が並んでいた。抱き合ってる人もいれば、キスしている人もいて、どの写真からも愛が感じられる。それを微笑ましいと思うと共に、同じような愛の形しかないことに少し違和感を感じた。

オンタリオ州で同性婚ができるようになって13年が経つ。ゲイやレズビアンのカップルは健全な社会の一員として認められたようだ。テレビの中のゲイカップルはお洒落な格好をしてロマンチックな恋愛をしている。コマーシャルの中のレズビアンカップルは幸せそうに子育てをしている。ゲイウェディングやレズビアンハネムーンまで商品としてパッケージされるようになった。ストレートの人たちと同じように、ゲイやレズビアンも恋愛をして、同棲して、婚約をして、いつかは子供を持つようなフツーの恋愛をしている。まさに、「ラブ・イズ・ラブ」である。

一方で、プライドの最中に様々な愛の形を目にした。パートナーとボーイフレンドと手を繋いで、三人で仲良く散歩している人たち。性行為や恋愛を望まないアセクシュアルやアロマンティックのコミュニティ。革ヒモに繋がれてご主人様と一緒に歩く性奴隷や仔犬。ナイトクラブで出会った人と情熱的にキスしている人。こうしたフツーから外れた愛にはなかなかスポットライトが当たらない。それは愛ではないと主張する人もいるだろう。

同性愛は異常な愛だと思われていた。未だにそう思っている人は多い。社会に認められたいからといって、私たちはフツーだとアピールすれば問題解決になるのだろうか。フツーな恋愛をしたところで、差別や偏見はなくなるのか。ゲイストレート関係なく、愛というのは形のないものだと信じている。正しいとか間違っているとか、そんな狭い見方で愛は片付けられるものではない。

時代や場所によって愛の形は変わってきたが、どこにでも恋愛はこうあるべきだという同調圧力が存在する。それを無視して、自分がしたい恋愛を選べば仲間外れになった。結婚して、子供を持って、家族を築くという選択はあくまで一つのライフスタイルに過ぎない。それで幸せになる人もいるし、それを選ばない人もいる。選びたくないのにそれを選ぶしかない人もいて、他の選択肢を知らない人もいる。

愛というテーマについてコラムを書いているが、未だに愛が何なのかよくわからない。形のないものをいろんな角度から検証してみると、いつも新発見ばかりだ。そんな複雑なものを箱の中に入れたがる人もいる。そうすれば、混乱する必要はないと思ったのかもしれない。しかし、その箱の中身だけが愛だと思ってしまうと、箱に入りきらない部分を否定する人が出てくる。

この「ラブ・イズ・ラブ」のフォトプロジェクトの意図は理解できるが、なんだか自分の愛を狭い箱の中に入れられた気分になった。形が違っても愛は同じ愛である。そして、形が違う愛を隠したり、変えようしたり、無視したりすることはない。違うってことを、ただ認められればいいのに。そうすればもっと自由に愛を表現できる人が増えるだろう。

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