能町みね子の喜怒哀楽【虚】!?

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喜怒哀と来て、最後が「虚」です。そもそも喜怒哀楽の「喜」と「楽」は感情として近すぎないですか? ふだんの私の夜中を占めている感情はたいがい「虚」です。だから喜怒哀虚でお願いします。

虚しい。

最近は特に恋愛の話をふられるのが虚しくてたまらない。もう、完全にどうでもよくなってしまいました。これを言うと「そんなことないよ」と人に言わせることになるのでなかなか言いづらいことなのだけれど、私は「自分が男性に好かれることなんて絶対にありえないと思っている病」という不治の病を患っているので、結局この年になるまで、自分から誰かを好きになることには人生に何のメリットもないという信念はどんどん強くなる一方だし、万が一自分を好きだなどという男性が現れた場合はその人の致命的な勘違いを解くためにしか動くことができず、実際にいままでずっと勘違いを解きつづける実績を残してきたのです。この病は自分の性指向に由来する部分も大きいけれど、同じような性的環境で恋愛を謳歌している人ももちろんたくさんいらっしゃるので、結局は自分のせい、というスタート地点にいつも戻ってきます。

独身で生きていこうという強い意志があるわけでもなく、なんとしても結婚したいという意欲があるわけでもなく生きている。なんにしても、自分から何か起こすようなモチベーションはない。それなのに、うらやましさという感情だけは悔しいけれど存在しています。さすがに人前でベタベタしていたり全力でのろけるようなカップルに対してはほほえましさか嫌悪感のどっちかしか感じないけれど、年を経た熟成カップルというか、性の匂いもしない老夫婦のような二人組(実際の夫婦を含む)についてはうらやましいと思ってしまう。夜ちょっとごはんを食べに行くとか、生活上でちょっと腹の立ったことを愚痴るとか、そういうとき、誰かに誰よりも優先してもらえる存在にはついぞなりえなかった、ということに突き落とされる。そんな気持ちを自覚してまた虚しくなる。夜、一人でいるから虚しくなるのです。

だから私は極力何の苦もなく結婚したい。虚しさと寂しさと不安の除去、あるいは経済的な何事かなどのために、デートだとかおつきあいとかセクシャルインターコースだとか、そういうものをすっとばして結婚という形にズンとハマっちゃいたい。恋愛や性欲以外のあらゆる目的で結婚という手段がこれからの人生に必要と思える男性は、どこかにいるんじゃないだろうか。

最近こう考えるようになって少しだけモチベーションが生まれてきたのは、結婚していないのに左手薬指に指輪をすることと、さみしいゲイの人と結婚することについてです。

形だけでもパートナーがいることにすれば多少はこの虚しさも晴れるのではないか、と私は思っており、まずはそのための指輪ですが、仮に同じようなことを思っているようなゲイがいるならば、その人と利害の一致を見て、契約のように結婚できちゃうんじゃないかと淡い期待もしてしまっています。実際にゲイの友人と結婚した中村うさぎさんの結婚の形は私の理想とするところであり、恋愛や性愛の可能性のない人といっしょに住んで、お互いの虚しさが解消できればいいのです。それなら女性でもいいのではないか、とも考えましたが、少なくとも恋愛対象が男性である私にとっては、疑似とはいえ結婚生活という満足感を得るには男性でないといけないと思った次第です。結婚という形でいっしょに住むというだけの契約なので、もちろん先方の恋愛活動は自由です。そんな人がいたらいいのにな、と少しだけ浮いた気持ちになりながら、ああまさかこの話で原稿を書き上げることになるとは、と我に返っていままた虚しさに暮れている。

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 2016/07/20 16:45    Comment  連載   能町みね子の喜怒哀楽              
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