第20回 クローゼットゲイ、幸せと苦悩の狭間で

 

バケーションの季節が終わりを告げた。スペインの夏は長い、そしてスペイン人にとって夏の休暇は一大イベントだ。みんながみんな一斉に有給休暇をとる、それも2週間とか長くて1ヵ月。日本のように有給が貯まる一方ということはなく、しっかりみんな消化しているのには感心する。それぞれが地中海沿岸の別荘やホテルに赴いたり、はたまたイタリアやフランスなどの避暑地に行くスペイン人も少なくない。

未だに無政府状態で3回目のやり直し選挙が開催されるのではと言われる不安定国家スペインだけど、回りを見回すととやっぱりマイペースにみんな人生を楽しんでいるなあ。仕事がないのに海辺で遊ぶお金に、朝からバルで飲み明かすお金はどこにあるのだろう? と毎回不思議に思うものだ。

さて話しは逸れたが私はしばらくの間、10日だけバケーションで日本に一時帰国中だ。勿論一人じゃなくて、最愛の旦那ホセが荷物持ちとして同行。(最愛のウサギ二匹はお留守番)地獄のようなレストランで、すったもんだな毎日を送ってきたせいか、今回のバケーションは短いながらも濃いものになるのでは、とそんな予感でワクワクでいっぱいだ。

歯医者で虫歯を直して、アレ買ってコレ買って、カフェミヤマなんかで優雅なカフェタイムも素敵ね。旦那はどうせいつもの秋葉原に、中野ブロードウェイとジブリ美術館のルーティーンな観光になるだろうけど。日本にくると毎回楽しみこと、刺激的なことと同じくらい苛立つイベントが一緒に飛んでくる。そう、それこそが毎度口論の種となる私の年老いた両親との再会である。御年父67、母64の堅物のことだ。

私の本心としては、「本当に会いたくない」、この一言が正直な気持ちなんだけど。ただ子どもと親という立場は一生変わらないし、今の私があるのも両親のおかげ、そんなことは誰かに指摘されなくても十分承知だ。でも過去にあった親子のいざこざ、生まれ育った恨みという負の感情、兄弟の死……親に会う度にいろんな本当にいろんな思いが交差して、自分を見失いそうになる。そんな時にホセのいつもの一言。

「何で、いつまでもクローゼットなの? ゲイとかノンケとか関係ないよ、2人が愛し合っている事実があればお義父さん達もわかってくれるのに。将来子どもができたら、どう説明するの?」と……。

本当、コイツはわかってない。いつもいつもこの件で大概終わりのないバトルに突入するのだ。スペインみたいに自由な七色のレインボーフラッグが揺らめく環境にいた彼や、友人がそう言うのは簡単だけど。でも違うんだよ、そんな単純な問題じゃないんだよ……。

たどたどしいスペイン語と英語でお互いの意見をぶつけ合っても、何も解決策は生まれないし頭の固い親の価値観は変化しない。そして口論の後は、いつもホセが折れる。結婚して以来この繰り返しだ。

少しの勇気が欲しい。全ての抱えている十字架を両親に吐き出せるきっかけが欲しい、でも臆病な自分はいつも現状という安全地帯に留まったままだ。そんな私が以前高校時代の恩師と3人で再開した時、彼女はなんの躊躇いもなく同性愛を受け入れ、二人の愛を祝福してくれた。嬉しかった、だけどみんながみんなゲイやレズビアンを受け入られる程、人間の心に多様性がある訳ではない。それは日本で外国でも、ゲイだからという理由で差別を受けてきたので十分承知だ。

「多くを望みすぎて、すべてを失ってしまうこともあるのよ」

そうつぶやいた恩師の言葉に、ハッとした。私は年の割にはまだまだ幼稚であり青二才な人間だ。この一言が持つ意味を100%はきっと、まだ正確には理解はできていないのだと思う。でも私なりの答え、それはいつも正直になることが、どんな時も正しいとは言えない、ということだ。きっとわがままな自分が自分本位で出した結論なのかもしれない。でもここはスペインじゃない、まだまだゲイがレズビアンがカテゴリー別されて、臭いものに蓋をしたままの島国日本国なのだ。

きっと私が異性愛者なら、なにか違っていたのかもしれない。でも私はゲイであり、そして普通の人間でしかありえない。性差に性の嗜好、そして価値観の違いが世界を色分けしている21世紀、いつになったら同じ価値観を胸に人々が平和に愛を奏でることができるのだろう?

私の短いバケーションはこんな些細で、とても重圧で苛立たしい口喧嘩で始まったわけだが、果たして両親と何を話題にお茶の間を囲めばいいのか。考えるだけで頭が痛くなる。コミュ力の低い私は取り合えず、ホセをダシにスペイン産オリーブオイルでご機嫌取りをするつもりだ。はたして近所のスーパーで購入したオリーブオイルが、親子のわだかまりにゲイに対する偏見を和らげる潤滑油になるのか、見物である。(結果は勿論見えている)

 

Top