結婚に大金を注ぎ込む価値はあるのか

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昔の男が彼氏とヨーロッパで結婚式を挙げた。流行りのデスティネーション・ウェディングである。招待されなかった自分は楽しそうな写真を眺めながら複雑な気分になっていた。他人の不幸が蜜の味なら、他人の幸せはビタースイートな蜜の味だ。お揃いのタキシードと蝶ネクタイでキスする姿を少し羨ましく思いながら、改めて結婚というものを考えてみた。こんなにお金を使って、ヨーロッパにまで家族と友達を招いて、大勢の前で永遠の愛を誓うという行為にはどれほどの価値があるのだろうか。

 

永遠に残るものはない残酷なリアリティの中で、結婚には未だにファンタジーが残っている。

 

全く信じていなくても、人前でお互いを見つめ合いながら大袈裟に死が二人を分かつまで愛し合うことを誓えば、もしかしたら永遠に辿り着けるかもしれない。そんな夢の上で巨大なブライダルビジネスが成り立っている。大金を注ぎ込んだ結婚式を挙げてしまえばそう簡単には破局できない。別れたくなったところで離婚という複雑なプロセスが待っている。永遠の愛という夢は叶わなくても、結婚は間違いなくお互いから逃げにくい環境を築いてくれる。もちろん、これは全部私の勝手なイメージである。

 

「どうしてそんなに結婚に否定的なの?」

 

そう聞かれても答えに困ってしまう。子供の頃、結婚をしている周りの大人たちが幸せに見えなかったのかもしれない。同性婚をすればゲイが普通の仲間入りができるという考え方が苦手なのかもしれない。自分の目指す愛の形と結婚がかけ離れているにも関わらず、結婚が前提の社会でサバイバルするためにいつか妥協して結婚することになるからかもしれない。ただ単に「結婚はいつ?」という面倒くさい質問のせいかもしれない。またはこれらの理由が複雑に絡まって、自分の結婚に対するイメージを形成しているのかもしれない。

 

自分が結婚に価値を見出せないからといって、結婚をする人たちを否定するつもりはない。結婚というシステムが時代遅れになっても、それを選ぶのは個人の自由である。それは新しいiPhoneからイヤホンジャックがなくなったことに少し似ている。ワイヤレスで音楽を楽しむ人も増えるかもしれないが、使い慣れたヘッドホンをイヤホンジャックに差して音楽を聴きたい人もいる。そこに正しいとか間違いとかなくたって別にいい。ヨーロッパで豪華な挙式とハネムーンを満喫している昔の男だって、きっとそれに価値を見出したのだろう。

 

来年の夏、付き合いの長い友達が海外挙式を企画している。もしも招待された時は彼女の結婚式のために休暇を取る必要がある。ご祝儀に加えて、フライトとホテルまで自己負担だったら大出費である。考えるだけで頭痛になる。時代遅れでもいいから、古風な感じで落ち着いた安い結婚式がもっと流行ればいいのに。

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