ゲイが結婚すれば幸せなんて違う!

ゲイだって、レズビアンだって結婚したい。日本で合法に結婚できないからこそ膨らむ、結婚という二文字への淡い期待。色んな自治体が流行りに乗って、同性婚証明書をバラまいたって、やっぱりそれはただの紙切れ。あるゲイの婚活を追ったドキュメンタリーを見たことがある。彼なりの葛藤が周りを巻き込みながらも、自身の幸せの形を追求し、ついには愛すべき旦那と結ばれるというシンデレラ的結末。愛に国境も性別も関係ないのだ。

 

30過ぎのキャリアウーマンに、実家住まいのシングルウーマンが、白馬に乗った王子様発見を婚活サイトに託すのと同じく、ゲイの婚活だってそれなりに深刻だ。ただ男である以上、日々の仕事に恵まれて、それなりの生活を営むゲイが多いので、そこまで差し迫った貧困や生活苦から結婚を求める人は少ないだろう。

 

イギリス、ドイツ、スペインにフランスなど多くの西欧ゲイシーンを見てきた。各国宗教観は異なれど東に行けば行くほどLGBTの風当たりは強まる。それでもやっぱりゲイはどこにでもいるもんだ。ハッテン場で若い下半身を弄ぶオッサンゲイに、見ているこちらが赤面したくなるようなロマンティックなゲイ恋物語も沢山見てきた。

 

日本のような価値観の幅が狭い一方通行な国に暮らしていると、やっぱり無いものねだりをしてしまいたくなる、同性結婚とかね。基本アメリカの属国のような立ち位置の日本は、やっぱりアメリカ流のLGBT産業に影響をモロに受けてしまいがち。今でこそ連邦政府が同性結婚を認めたが、それ以前にも多くのゲイカップルが各州法の基、2人永遠の愛を誓いあってきた。何度も申し訳ないが臭いものに蓋をするのが得意な日本、結局同性婚の決議は将来への課題の1つとして棚上げ。だからこそ日本のゲイは自由な国の幸せのあり方に憧れを持ってしまうのだろう。

 

基本キリスト教がメインの欧州も、やっぱり個人の幸せを尊重し、同性婚に対して寛容な国が多いのは周知の事実。とくに西欧では同性愛は至って普通であり、なんら区別することではない。私がゲイと思われたら嫌だからと、街中で旦那と手を繋がない。だとか職場にゲイだとバレたら恐いから、極力その話題を振られても知らんぷり。なんて結局自分が無意識にゲイであることを、逆に区別してしまう有様だ。

 

ただ、最近思うのだ。私の周りのゲイにレズビアン達の婚姻率が高くないその理由。それは結婚自体が特別なことじゃないから。愛みたいな目に見えない感情は、2人だけが分かち合えればそれでいい。苦労の末に一枚の用紙にサインして、結婚という2文字に囚われなくても、2人の揺るぎない関係は十分維持できる。結局こういうことなんだとつくづく思ったりするのだ。(ただし私のような国際結婚カップルは別問題)

 

同性愛者の2人がどこかで運命の糸に導かれて出会う。そしてその結末が結婚という終着点。確かに正解ではあるけれど、同性婚がLGBT差別に打ち勝つ1つの武器というか手段になってはいないだろうか?本当の意味での平等と法が定める正義というのは、そこに政治的シガラミや商業的なものが絡んではならないと思う。巷でLGBT産業を耳にしない日はないくらい、性的少数者の存在が明るみに出てきた昨今。こうしてLGBTの世界に生きて、同性婚をした私が言うのもなんだが、やっぱり腑に落ちないのが昨今のLGBT旋風なのだ。

 

本当の幸せ探しに出かけて、生き遅れたゲイの私が掴んだ愛すべき旦那という存在。私たちが同性婚に臨んだのは、2人の愛が揺るぎないものであるのと同時に私が外国人であるから、というのが理由の1つだ。2人の愛が本物でもそうでなくても、外国人はやはり排除対象であり、法的拘束力が約束される結婚という手段なしにはこの国で生活ができないからだ。

 

同性婚はLGBTの変革を担う第一歩であるのと同時に、ナンダカンダ我々外国人ゲイにとってはなくてはならない幸せへの片道切符。結婚なんかしなくても幸せに暮らせるカップルがいる、一方で結婚しなければならないカップルも大勢いる。同性婚の是非は賛否両論、これから日本がどう対応していくのか。例えばアメリカが同性婚を違法とみなしたら日本も同性婚否定に走るのか……。

 

私達LGBTの幸せは同性婚にあらず。きっと私のような小心者が堂々と旦那と手をつないでデートできるそんな日常こそが、本当の意味でのLGBT差別に対するゴール地点なのかな、なんて思ったりする。

Top