性別って、どうやって決まるもの?
こんにちは、さつきぽんです。
最近は寒くなってきたので煮物ばかり作っています。冬は寒いので少し苦手だったのですが、より料理の温かさにホッとすることを知りました。
先日、あるインタビューでこんな質問をされました。
「性別って、どうやって決まるものですか?」と。
すごく難しい質問だなぁと思って、しばらく考え込みました。
私はいつも人に性別のことをお話しする時は「3つの性別」という考え方を伝えています。
1つ目は「体の性別」。身体的な性差のことです。最も分かりやすい。
2つ目は「心の性別」。これは「自分自身が男である(または女である)」と、心で感じる性別。
3つ目は「好きになる性別」。つまり、恋愛対象のことです。
例えば同性愛者の方だと、この3つ目の「好きになる性別」が自身の性と同じだということです。また私のようなトランスジェンダーだと、1つ目の「体の性別」と、2つ目の「心の性別」がズレてしまっているわけですね。
自分の性別は、どうやって決まるのか?
特に私のようなトランスジェンダーの場合だと、この類の質問は非常に悩みます。「心は女性だけど、でも体は…」とか「性別適合手術は受けたけれど、果たしてこれで本当の女性になれたのか」とか「それでも生まれた時は男だったじゃないか」と言われてしまうのではないかなど、深く考えると余計に分からなくなってしまう。考えれば考えるほどに、深く、黒く、迷う。
自身の性を見失っていた時期もありました。
ただある時にふと、本当にふと、気がついたのです。
「性別は人に決められるんじゃなくて、自分で決めるんだ」って。
ある時を境に私は「自分が女性であることを、決めた」のです。
その時のことはよく覚えています。いつもよりも人の少ない電車の中で、ちょうど大きな川の上を通過する時。
日差しが水の上でキラキラと、光の粒のようにあちらこちらに反射して、窓越しのその景色はまるで、額縁に飾られた絵画のようでした。
目の前を高速で横切る橋の骨組み。座席から伝わってくる車体の振動。河川敷にいる親子が飛ばしたバドミントンの羽。包まれるように柔らかい午後4時の光。あきれるほどに青い空。どこまでも青く続く、空。
世界は自分のためにあるなんて言葉は、とても軽くて、とても重い。
いつだって誰も、世界を止めてくれはしない。
いつだって私は、本当の私が分からない。
それでも私はこの世界と、折り合いをつけて生きていこうと、決めたのです。
この世界に約束をしたのです。
私は一生、自分で決めた性で生きていくのだなと思うと、それはとても奇妙な感覚でした。背負うような、放つような、見つけるような、抱きしめるような。
怒りも悲しみも憎しみも妬みも焦りも、世界にとっては何も意味がないのだと知ったのです。
もしかするとその時が、やっと本当の自分に出会えた瞬間だったのかもしれません。
どこまでも続くあの青い空の果てのような、遠く、長い。
これから先の私の、人生。