生きていても大丈夫、F氏がクレタ言葉

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私が住む街にもなんだか日本人が増えてきた。スペインの片田舎でもそれなりの規模を誇る大学がある為、常に日本人留学生は溢れてる。でもそうじゃなくてスペイン人男性と結婚というパターンでの移住が大変増えているのだ。私のような気の弱いしかも社交性の欠片もない人間はしばし、スペイン社会で孤立してしまう。だからこそ気が合う友人、日本語で語りつくせる戦友が身近にいると安心なのだ。時にスペイン語に躓き、そして未来に悩むそんな当たり前の悩みを共有できる……どこの国にいても、やっぱり人と人との心の繋がりはとても温かい。

 

さて先日新宿二丁目公園について回想してみたのだが、やっぱり思いだせば思いだす程あの公園にはザクザクと黄半小判ではないけれど、思い出が付きない。あんなちっぽけでどこか薄暗い雰囲気の公園は、やっぱりいろんなドラマが溢れてる。まだ私が20そこそこの時、とある人物にナンパをされた。決して私は男娼として客待ちをしていた訳ではなくて、純粋に白馬に跨った自分だけを愛してくれる王子様を待っていた訳だ。あんな24会館前のフェンスにチョコンと座ったところで、声を掛けてくるのはオマワリと売り専のスカウトしかいないのに、馬鹿みたい。

 

あの頃の無知な自分を後ろから蹴り飛ばしたい気持ちもあるけれど、結局そこから始まる出会いだってある訳だから、決してその瞬間、瞬間が無駄だってことはなかったはず。そのナンパしてきた人物F氏は、腰が若干まがり真っ白な白髪を後ろでポニーテールにした年配男性。どこかおぼろげな足取りで歩く彼は、映像関係の仕事に従事しているという。まだまだ若くて好奇心旺盛な私は、彼の面白おかしい業界話しに釘付けになり、しばし彼が住む大久保のマンションに遊びにいったりしていた。

 

貧相、貧乏そして愛想のない私を何故かソラマメと名づけ、何故か私を可愛がってくれたF氏。週末に遊びに行けば近場の韓国料理の料理屋でご飯をタラフクごちそうになり、そして築50年はくだらないオンボロマンションで彼のウンチク話でまたまたお腹いっぱいになる。F氏の部屋はとても色褪せていて、戦前日本のどこかにタイムスリップしたかのような雰囲気でなかなか素敵なのだ。

 

しばしF氏は彼の被写体になりえる若造を二丁目公園からピックアップしては、ごちそうしたりしているらしい。私以外にもお気に入りモデルは幾人かいて、誰だっけな特に“お茶っぴき”という童顔青年に熱を上げていたようだ。バイトをして疲れきった身体でF氏のマンションに行ってはご飯をつつき、彼の半生そしてあんな小話し、こんな小話しを聞くのが大好きだった。

時に私は「自分が大嫌い。自分の不細工な顔が大嫌いだ!」とF氏に涙ながらに訴えたことがあった。(当時は肌荒れが酷く、対人恐怖症であった。)いきなりそんなことを訴えられても回答に困る訳だが、F氏は優しく私の頭をポンと叩き、

 

「ソラマメのいいところは正直すぎる所だ。そんな性格が故に傷付くことも多いだろうが、お前は決して不細工じゃない。幾人ものモデルを相手にしてきた俺が言うんだから、もう少し自信を持て!」

 

って。

 

こんなこと誰にも言えない。心の奥底で抱えていた真実を吐き捨てて、その言葉を綺麗に拾い上げてくれたF氏。私はフッと心が楽になった気がした。

 

私達が出会って数年経った頃だろうか、私は留学に向け多忙な日々を送りF氏に会うことが少なくなった。どうしているのかな?と思いながらも私は自分の未来だけしか見えない、猪突猛進のイノシシと化していた。そしてある日の夕刻、私のメールボックスにF氏からのメールが……

 

それは彼の訃報を知らせるものだった。F氏唯一の肉親である兄から、ある日突然倒れ、夏の風鈴の音色が響くあの部屋で亡くなっていたという。結核だった。そして遺品整理で訪れた彼の兄がメールボックスに残されていた履歴から、私ソラマメと件の”お茶っぴき“にメールをしたためたそうだ。享年85歳(だったと思う)。

 

何故私が突然にF氏を思い出したのか、たまたま新宿二丁目公園について思うところがあったからなのだろうか、でも分からない。スペインで枝豆はしばし見かけるけれど、ソラマメは一度も見かけない。F氏が私をソラマメと名付けた理由は最後まで謎だけど、鏡に向かう時、髪型を整えて職場に向かう時、どこかでF氏が掛けてくれた“生きる為の”言葉が心に木霊する。

 

そしてつくづく思うのだ。あぁ、自分は大丈夫なんだ。生きていてもいいんだって。そして今日も正直に生きて行こうって。

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