第86回 愛されるために自分の弱さを曝け出す

2chopo 86

 

「もうどうしていいかわからない」

 

昨年、友人の前でそんな弱音を吐いた。つい強がってしまう性格の自分がここまで素直に落ち込む姿を他人に共有するのは珍しい。静かな部屋の真ん中にあるソファーに横たわりながら自分の経験を語った。友達は横に座って、何も言わずに自分の言葉に耳を傾けている。自分の口から出てくる言葉をフィルターする必要はない。相手からどう見られようと心配する必要もない。近すぎる距離が少し怖くもあったが、そんな時間が心の栄養になるような気がした。

 

学生時代はたくさんの友達に囲まれることが楽しかった。そこまで親しくない友情でも、一緒に馬鹿騒ぎできればそれでよかった。恋愛関係だってカジュアルなセックスやデートで間に合っていた。そんな表面的な人間関係では自分を曝け出す必要はないから気楽だったのだろう。しかし、それを避けては親密な人間関係を築くことはできない。自分の脆い部分を他人に曝け出すのは大事なことである。そうは言っても、実際に行動に移すのは難しい。傷付けられる痛みをよく知っているから無意識のうちに自分をかばってしまう。

 

「自分が弱いと周りに知られたらいじめられる」

 

過酷な思春期をサバイバルするために子供の頃からそれを学んだ。さらに、自信が足りずに周りと違うことは弱さだと思っていた。20年以上クローゼットの中で生きていれば、自分を隠すのも得意になってしまう。常に周りの目を気にして、流行に合わせて自分を変えて、列からはみ出ないように気をつけていた。表面ばかり取り繕って、他人を遠ざけるクセができた。そのおかげで、素直に人間関係を育むのがとことん苦手である。クセになってなかなか直らないこの性格に今でも苦労している。幸いなことに、そんな不器用な大人は珍しくないからそこまで浮くこともない。

 

人間は孤独な生き物だ。だからって、孤独なまま生きていくのは辛い。次第に、その孤独を共有し、お互いを支え合えるような人間関係を求めるようになった。一方で、自分の孤独を共有するという行為は相手に自分の弱点を曝け出すということでもある。それはまさにリスクだ。そこで裏切られて、鋭いナイフで攻撃されることだってあるかもしれない。厄介なことに、相手を信頼していればいるほど裏切られたときの痛みも増していく。そんなハイリスクローリターンな人間関係に、自分を全て曝け出すほどの価値はあるのだろうか。そんなことを考え始めると前に進むこともできない。

 

結局、不安を抱えつつもリスクを受け入れることにしたのは、それが自分にとって価値があったからだ。恋人だろうと、友達だろうと、家族だろうと、セフレだろうと、もっと深い人間関係を築くことにした。そうやって相手を、そして自分自身を、もっと愛せるようになっていきたい。もちろん、その過程で裏切られるのも覚悟している。それでもいい。これは自分のためのギャンブルだから。

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