ボーダーライン 第9話

行き場のなくなった感情を葬るにはどうしたら良いですか。
彼女の美しい髪の流れ、指先、視線を焼き付けたキャンバスごと
棄ててしまえば良いですか。

欲しがること自体が罪だとしたら、それを隠し続けるしかないですか。
ロクサアヌを想い続けたシラノ・ド・ベルジュラックのように。

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「それじゃ、アタシは帰ります。」
重苦しい空気に耐えきれず身支度を始める。
「何だか疲れてるみたい。お風呂に入るわね。」
女は彼女の右頬に軽くキスをしてそう言うと、バスルームに消えた。
優雅を気取った足取りの後ろ姿からは、年増の余裕よりも崩れ落ちそうな何かを感じた。
初対面なら普通「こんばんは」とか「初めまして」と挨拶するものだけれど、
どうやらそれどこじゃない。
明らかに動揺して固まったままの彼女の様子に、どんどん冷静になっていく。
とにかくここに居るべきじゃない。

「ごめんね、香ちゃん…」
もう香って呼ばないんだ。そうだよな。
「いいえ。愉しかった…よ。」
借りた服を返した。しぼんでいく心。
「送ってくね。この時間バスもタクシーもないんだ。」
断って押し問答するような気力もなく、黙って頷いた。

玄関を出てクルマの前で彼女を待つ。
香ばしいような木立ちのにおいと潮の香りが漂う。
足元に落ちていたどんぐりの実をひとつ拾った。
ほどなくして、女と話をつけてきたのか、彼女が張り詰めた表情で出てきた。
「お待たせ。行こうか。」
夜の海沿いを走り抜ける。もう二度とあの家に行くこともないだろうな。
そんな気分で暗い海を見ていた。
二人とも何もしゃべらなかった。それだけが救いだった。
謝られることほど傷つくことはないからだ。

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「ありがとう。」
鎌倉駅のロータリーでクルマを降りた。
何か言いかけた彼女を無視するようにドアを閉めた。
終電近くの電車からなだれ出てきた人の中をかき分けて改札を通過した。
振り返るとJeepの屋根だけが見えた。
彼女はどんな顔をしてるんだろう。

電車の中で彼女とのSEXを思い出していた。
流れていく車窓の景色をぼんやりと眺める。
さっきまで熱かったはずの体は冷えきっている。
無性に悔しかった。手に入れ合ったのはあの数時間だけ。
それ以外を欲しがっている自分に気付いて愕然とした。

私は恋をしている。
隠しきれない嫉妬に苛まれている。

品川駅のごみ箱に肖像画を棄てた。
ビールを買ってタクシーに乗り、やけ酒を決めこんだ。
感情の出口が欲しい。
帰ったらJの家に行こうか。携帯の電源を入れようとして止めた。
アタシが欲しいのは彼ではない。
プッシーに挿入されることのショックに耐えきれない。
彼とのSEXが好きだったはずなのに。
アタシはおかしくなっちゃったのかもしれない…。

アパートに戻るとナミが部屋の前に立っていた。

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