第6回 レズビアンである私と宝塚(後編)

先週から2回にわたって、宝塚歌劇団出身でレズビアンである私の立場から「宝塚」について書かせていただいています。

宝塚歌劇団には「男役」と「娘役」がいます。

男役と娘役…

男役と娘役…

「男役の色気」とか「男役10年」という言葉があるのに、「娘役の色気」とか「娘役10年」という言葉はありません。なによりも、「男役」という呼称に対してふさわしいのは「女役」のはず。でも、「男役」と「女役」ではなく「男役」と「娘役」なのです。成人男性を思わせる「男役」に対して「娘」であるということ。「娘」は「大人の女性」(所有されない、自己決定する人格を持った存在)であることは最初から歓迎されていないのです。

宝塚時代、私は男役でした。音楽学校では、私は高卒の男役だったので「予科・寮委員の点検係をさせていただく者」でした。これはすみれ寮の、寮委員のリーダーです。そこに、外出係と会計係の補佐が2人つきます。寮委員のリーダーは代々高卒男役と決まっています。補佐役の外出係と会計係は代々高卒娘役と決まっています。

私は女性で、というか同期も上級生も全員女性、なのに「男(役)」の私がリーダーで、「女(役)」の同期は補佐であるということ。これはこの社会と同じことを再生産しているわけです。

人間は男の方が頭が良くて、女は劣っている、なんてことはありえません。ましてや、15歳から18歳の少女たちの中で「男役」はリーダーに向いていて、「娘役」は向いていない、なんてことはありえないのです。演劇の先生には「娘ちゃんはかすみ草(男役を引き立てる存在であれの意)」と教えられました。それが舞台表現だけでなく、寮という生活の場にも影響していたのです。

男に対して女はダメではありませんし、この世の中は『男』と『女』だけでもありません。宝塚という集団を通してみると、よりハッキリと、この世の中の「男と女しかいなくって、しかも女は劣っているから男が中心なんだ!」という考えが見えてくると思うのです。そこに私は、レズビアン女性の立場から宝塚を考える面白さがあると思うのです。

そうはいっても、読者のみなさんが私に聞きたいことといえばやっぱりこれだと思います。

「宝塚ってやっぱりレズビアンが多いんだろうか? 」

この質問に対して私が、「人口の5.2%がLGBTで…」という説明をしたところで、それは本当の答えにはならないと思うようになりました。優等生的すぎるし、表面的すぎます。カミングアウトから数年間、こう答えてきた私自身が、何より思考停止に陥ってしまっていると思ったのです。

宝塚にはレズビアンが多いのだろうか?

もし仮に宝塚にレズビアンが多いとしたら、なぜなんだろうか?

そしてそれは何か問題なのだろうか?

異性愛(ということになっている)の女性ファンは、なぜ男装の女性に熱狂するのか。(大人のファンにむかって、「理想の男性を見ているからだ」なんていう薄っぺらな解説をつけるのはいかがなものでしょうか。)そしてなぜ、ファンはタカラジェンヌのセクシュアリティを知りたがるのか。どうして人は他者のセクシュアリティが気になるのか。

私もその答えを探しているところです。これからもずっと考え続けて発信し続けていきたい。

だけど、「宝塚ってやっぱレズ多いの? 」というような不躾な視線や、ヒソヒソ話、ひた隠しにしようとする大きな力に対しては、私はこう言いたい。

「SO WHAT!?」と。

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