第14回おさない私が胸こがし憧れつづけた職の名は、せんせい、せんせい、女装先生

6月8日金曜のお昼に、アタシ、
多摩美
に行ってまいりました。

タマミじゃないよ、タマビだよ!

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趣味の女装にいそしむ赤ん坊少女タマミさん

なんと、ゲスト講師として呼んでいただいたのです。

女装のゲイおじさんが、有名美大で講師ヅラできるぅ!

実は、小学生の頃のアタシの
将来なりたい職業は、「先生」か「マンガ家」でした。

「マンガ家」の夢については、数年前まで長いこと4コママンガを月に1本くらい連載していて(寡作すぎるわ)、一応原稿料もいただいていたので、まあ成就したといっても過言ではありません。

あとは先生だけ。ああ、先生にもなりたい。
やけに胸元があいたボディコンスーツを着て、
課外授業ばっかりしちゃう女教師になりたーい!

そんな想いが、こんなアニメを作らせたりも。

これがついに実写化!(チョト違う)

当日、緊張しながら八王子キャンパスに入っていくと
構内にはアタシの女装写真とともに、

『お呼びですか? 女装時代の虹かかる
~女装時代のミックスジェンダー』

という、ふざけた講義名が掲げられていました。

昨年、ゲイの書家のお友達に依頼された、
自分の近況や想いを踏まえた俳句を詠み、
彼がそれを美しい書にしてくれるという企画があったのですが、
講義名の前半はソレ。

メディアを中心としたオネエ&女装バブルで、
いろいろな場に呼んでいただく中で、
アタシ自身が、「ゲイ男性」だけではないセクシュアルマイノリティの皆さんや、関心のあるストレートの皆さんと知り合い、語り合っていけた感覚をうたったつもりです(説明恥ずかしい)。

今回いただけた機会でも、

「皆さんがテレビでよく見かけてるであろう
『オネエ系』ってのはどういう人たちだと思う?」

ということを、導入とさせていただきました。

ゲイ・コミュニティで育ったドラァグクイーンなどの女装パフォーマーは、テレビなどマスに向けた制約の多い枠に入った時には、ほとんど丁寧な説明なしに使われます。

この連載でも書きましたが、実際には細かく違うセクシュアルマイノリティのさまざまなパターンが、ざっくり「オネエ系」としてまとめられているのが、ここ数年の流れ。

自分の身体が男か女か、
自分の精神がいわゆる男性性的か女性性的か、
自分が好きになったりヤリたくなる性別が男か女か、
自分の会話や装いの表現が男性性的か女性性的か、

いわゆるオネエ系タレントさんの写真をスライドでお見せしながら、
そうした、一般の方には伝わっていないであろう違いをお伝えしました。

もちろんアタシ自身の出自である、ゲイ女装については、
ディヴァイン先生や、『プリシラ』などの作品紹介をして、
ドラァグクイーンカルチャーについても(もはやナチュメのくせに)語ってみたり。

こんな余興もしてますって、ナウシカぶってる例のショウの映像上映もさせていただきました。(教室内に響き渡る「チチが喜びます!」)

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緊張して真っ赤になっている女装先生

アッという間の90分でしたが、
本当にステキで、ありがたい時間でした。

今回、アタシを講師に呼んでいただいた多摩美術大学非常勤講師の溝口彰子さんブログでも、この件を取り上げてくださってます。
(溝ちゃんは、肌が水を弾きまくっていた18歳の頃のアタシを知ってる、一番古いビアン友達でもあります。)

溝口さんブログ

また、生徒さんからのアンケートも後日どっさり頂けました。
とくに褒めていただいてるものを自分のエッセイの中に含むのには恐縮しますが、

「ゲイの女装おじさんがセクシュアルマイノリティの多様性について講義したら、
現役の多摩美学生さんはこう感じた」

ということに、興味をお持ちの方もいると思いますので、
最後にいくつか抜粋してご紹介させていただきますね。

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今、日本では急速に『オネエ系』が普及してきているが、それもまだ画面の中の『オネエ系』に対して慣れ親しんでいるに過ぎない。テレビに出ている人だからかわいい、と言えるが、実際に自分の隣にいる友人が同性愛者であることを告白してきたら?少なくとも私には、受け入れられる自信がない。同性愛などが決して遠くにあるものではないという認識がなければ、本当に彼ら・彼女らが受け入れられる日は来ない、と私は思う。

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せっかく性の引き出しを開けたり閉めたりできるのに、社会で決められた性というものに対して固執してしまうのはもったいないと思う。それは社会がいけないのだろうが。私は「女らしい」とか「男らしい」という考え方は必要だと思うけど、それにはまらない人たちへの偏見は理解できない。「俺ゲイは無理~」とか言って自分の性について考えた事ない人は「考える」という行為が出来ない人だと思うから、私はあまり好きじゃない。

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LGBTという言葉は授業にも何度か出てきたが、言葉通りだと大きくこのレズビアン、ゲイ、バイ、トランスの4つに分けられてしまうが、このセクシャルマイノリティにもさらにいろんなタイプの人たちがいることを知った。やはり、どうしても社会や世間の人々の謝った認識や、偏見や狭い価値観のせいで、自分のアイデンティティについて多くのセクシャルマイノリティの人たちが内面に悩みを抱えてしまう。この科目を履修して、この機会がなければミックスジェンダーについて知ることが出来なかったと実感した。このように、もっと広く、多様性の大切さや正しい知識を学び、教えることが、誤解をなくし、セクシャルマイノリティの人たちがもっと自分や自分らしさを大切に出来る社会にしていくために一番必要なことではないかと思った。

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私は女性の肉体を持ち、精神も女性であることに違和感を持ったこともないし、恋愛対象も男性である。FtMとMtFである友人もいたわけではない。もしかしたら知らなかっただけかもしれないが。やはり当事者の方のお話は生々しさがあって理解がしやすかった。ひとつ安心したのは自分が同性愛や性同一性障害などに抵抗がないとブルボンヌさんにお会いしてわかったことだった。

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『プリシラ』の話で「わたしたちは都会にまもられているのよ。」というせりふの話をされていましたが、わたしも後日観たところ、ゲイというのは田舎ではバッシングの対象になりやすいということを感じました。田舎のゲイのコミュニティは発展しづらく、都会に出てくるしかない。都会の希薄さによって生かされてるひとがたくさんいることを知りました。性を越境する人や、境界がないようなひとたちが集まる場は哀しいほどに自由で、不自由なのだなと思います。

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これから性は、よりミックスされていく、わたしたちはその中に女性らしいわけでもない「優しさ」や男性らしいわけでもない「強さ」などと向き合っていかざるをえないのでしょう。そのときに、違和感をかんじることなく、ひと、として許容していけるキャパをブルボンヌさんのお話や、ジェンダー論の授業で手に入れれた気がします。ありがとうございました。

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オネエ系のメディアの露出によって日本もLGBTへの感心が高まってきてはいるが同性愛、同性婚の問題に関してはまだまだ意識が低いように感じる。娯楽を越えてLGBTの人々が一般の人と何らかわりなく生活できるような社会の確立を望んでいる。

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今回の講義を聴いて、私が毎日のようにメディアで見る華やかなオネエ系の方々には、様々なジャンルがあり、それぞれがそれぞれの違いを意識している事が分かって非常に興味深かった。今回ブルボンヌさんという普段テレビや雑誌を通してしか会えない方に直接講義を聴く中で、ゲイの文化のお話をオープンに聞くことが出来たり、自分を磨く努力をすれば、内面だけでなく外見も生まれ変われると言う事を、学べてとても勉強になった。

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講義に殺到したのがほぼ女生徒であったように、「おネェ」の需要は女性にあるようで、実際の所、男性、社会の中で「男性でならなければならない男性」にこそ必要とされている存在で、癒しなのではないだろうか。共感や尊敬、卑下といった様々な対象として存在する「おネェ」達が気兼ねなく笑わせてくれる姿は健気で、そして母親のような業の深さを感じる。

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今までTVで聞いていたどんなものよりもリアリティを帯びていたように感じる。マジョリティである私の中にある既存の性についての感覚は彼(彼女?)の言葉によって良い意味で崩壊していった。様々な問題が彼らだけでなく私たちの前にも現れてくることは明白である。男性性、女性性が曖昧なこの時代だからこそ個性の尊重を、忘れず見つめ直さなくてはいけないと改めて感じた。

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女子が、男装、例えばスカートではなくズボンを履いたり、男言葉を使って話したりすると女子の黄色い声を挙げ騒ぐ訳だが、何故逆の、男子がスカートを履いたり、見るからに分かるレディースを着たりするのは気持ち悪がられるのだろうか、と今でもよく疑問を抱いているのだが、ブルボンヌさんの「根底に男尊女卑があるから」と言う話を聞いて、少し分かった様な気がした。

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ブルボンヌさんの講義では、ゲイなどは必ず学校や社会の身近に存在する、とおっしゃっていた。確かに多くの人間が集まれば、そういう人もいるだろう。多くのメディアや講演会などで、このようなあまり理解されていないものを公開することはとてもいい事だと思う。外国のデモ行進ほど熱をいれなくてもいい。ただ当たり前のようにふるまう事で、偏見や固まった思想はふるい落とされて行く。今回の講義で自分の視野がまた広がった。とても勉強になったと思う。

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以前から異性装、とりわけ女装文化に興味があり、ゼミでの研究テーマにもしていたので、特別講義のゲストが女装パフォーマーのブルボンヌさんと聞いて、とても楽しみにしていました。自分なりに本を読んだりして、日本やメディアにおける女装文化について考えていたつもりでしたが、実際に日常生活で女装をしている方とは会う機会が今まで無かったので、何をきっかけにして女装をし始めたか、また普段はどのような生活をされているのかなど、本に載ってる歴史や芸能の文化とは違う、今自分と同じ時代に生きている方のお話が聴けて、活字だけでは学べない貴重な経験をさせてもらえました。

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何をもって心の性が決まるかなどという事は、自分自身にも本当はわからないかもしれないくらい、本当に複雑で不思議なものだ。
誰しも自分自身も「女、男 らしさ」の両方の要素を持っており、それが無意識のうちにすでに息づいているということを、ありのまま感じ、良い所を見つけながらどんどん発揮していこうと思った。

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なぜわざわざ外に出して他人に認知され得る状況をつくる人がいるのか、全く理解もできなかった。だから、なにをわざわざ声高に…と考えていた時に見たブルボンヌさんの風体はあまりに刺激的だった。所謂ステレオタイプな女装に(顔は小さくて綺麗だった)喋り方。ブルボンヌさんの「女装を商売に使わせてもらっている」という言葉が印象的だった。そうか自分達はそのビジネスに乗せられているのか、と。実際にメイクを落としキャリーケースをひく姿の、驚くべきギャップは網膜に焼きついたのを感じた。「普段はこっちの方が楽」…なるほど。雰囲気、感覚、数という曖昧な言葉をもって私は人の何を見聞きして、マイノリティーと感じていたのだろうか。

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ブルボンヌさんは、ジェンダーとセクシャリティのあり方とその多様性を、わかりやすく彼自身の体験から伝えてくれた。それは私自身(身体は男で、性自認が男で、女性が好き)がマイノリティーとしては当事者ではないために、直面してこなかった様々な困難や葛藤の存在があることを私自身に自覚させた。私達に同情させたり感情的に吐き出すのでもなく、ただ彼が経験した、そういう性を受けて生まれてから今までの道程をあけっぴろげにユーモラスに語るその調子は、マジョリティーもマイノリティーも並列なものとして、多様な性の在り方をそれぞれありのままフラットに受け止めさせるものだった。

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