第56回 教養とは、人を許すためにある

皆さんお久しぶりでございますぅ。
って、2ヶ月以上ぶりヒィ。

この『OVER THE RAINBOW』、「不定期連載になりました~」と書かせていただいた途端に、もはや連載終了したかのようにトンズラこき続けていたアタシです。

一応、編集長バブリーナさんには、こう言い訳しておりました。

「連載当初はLGBT業界のリブっぽいネタを語る枠はアタシ一人だったけど、今は同性婚や海外事情はじめ、より丁寧に的確に解説してくださる連載陣さんが揃っているので、アタシは仕事しなくてもいいかなーみたいなー」
ほんと言い訳がましいオカマよ。

現在、一般メディアでは、OLさん向けフリーペーパー(『シティリビング』)なり、女性向けモノ批評誌(『LDK』)なり、サブカル雑誌(『ケトル』)なりで、それぞれの層に向けて、LGBT業界事情やそこからの提案を、女装広報ばりに書かせていただいてます。

ただこの2CHOPOさんでは、基本「LGBT内輪」が対象となるだけに、優秀なリブ寄り連載陣の皆さんが出揃った中で、色味の強い対外装備重視のアタシが、いまさら何を語るべきかは迷えるところではありまして…。

というわけで、バブリーナさんと相談の上、
フリーテーマで月イチくらいのペースで世迷言を書かせていただくという、ゆるい枠での仕切り直しとなりました。

グダグダペースなアタシをお許しください…。

いや、そういうグダグダな態度は許せないって方も多いわよね。

実際アタシの周りには、メールの返事がいい加減でも、口先だけの調子いい態度でも、しゃあねえわと許してくれる方だけがいてくれるのでしょう。
そしてアタシは、自分でも分かっているダメなところを、許してくれている人たちに感謝し、だからこそ愛せてもいるのかもしれません。

っていきなり何を言い出したかって話ですが、

つまるところLGBT問題をはじめ、マイノリティの問題ってのは、

「許すか、許さないか」

ってことなんだなーと、最近つくづく思うのです。

ゲイの多くが、なぜ自分がゲイだと言えないのか。
それは、許さない人がまだまだ多いから。

世界じゅうに、性的少数者の存在を許さない人はいっぱいいます。
その結果、コミュニティのルールで罪だとされてもしまう。

アフリカの一部の国ではゲイだってだけで死刑ですし、
大国ロシアでも反同性愛法がまかり通っています。

日本はそこいらに比べたら「マシ」なだけで、
親や同僚に「言ったら失望される、拒絶される、出世にひびく」と恐れ、自分を偽って語らざるを得ない人たちがまだまだ大勢います。

それは社会通念や、自分自身の意識に「(標準型でないことを)許さない」雰囲気を感じ取っているからでしょう。

本来、価値観や立ち位置も別々の人間であるLGBTを「枠」として捉えて、そこに社会的な思いの共通項を見出すとすれば、

「うちらって、(社会や自分に)許されてないみたいね…」

ってことに行き着くのかなと。

なぜ許されないのか。
許されるべきなのか。
許されるためにはどうしたらいいのか。

このあたりを、
時に哲学的、社会心理学的に、時に具体的なイベントとして、
考えたり行動したりするのが、LGBTシーンのスキモノがやっていくこととなるのでしょう。

スキモノって言い方は誤解を生みそうですけど、
こんな、しちめんどくさいこと考えずに、ずっとチンポチンポ言ってたり、お金稼いで着飾ったり美味しいもの食べたりすることに脇目もふらず注力できる人生観も、ある意味うらやましいのよね。

でも問題意識を持っちゃったスキモノだっていっぱいいるんだから、スキモノ同士語り合ったり、協力して行動するのも、楽しんでいけばいいんじゃないかしら。
うまくいった時にはカタルシスを得やすい、人生かけた「趣味」くらいに思うといいのかも。

そしてアタシは、宿命的に「許す許さないってなんなのよ」というテーマと向き合う属性を抱えた小数派の人たちは、
このご時勢には、けっこう旬で必要な存在だわ、とも思っているのです。

たとえば、「許さない」思考は、ネットメディアとは相性が良いようで、
昔からどこにでもいる困ったちゃんのふざけた行為に「許せない!」と反応したり、
ほかの国やコミュニティの愚かな人の行動を大きくとりあげて「許せない!」と憎悪を募らせる方も増えています。

もちろん、世界じゅうの情報がつながってしまった以上、
一人の愚かさを一人が受け取れば、反応として不快な信号が発生するのは仕方のないこと。
でも、その小さな不快信号がネット全体の総和となり、巨大化した怒りや憎悪が、一対多で返されるとなると、本来の罪に対してあまりにも惨い仕打ちとなってしまう。壮絶な負の連鎖の始まりにもなりかねない。

これは、引退宣言お疲れ様でしたの宮崎駿先生が、興行収入日本一の映画『千と千尋の神隠し』でカオナシに暗喩させていた、実態のない膨らんだ負の感情のようなもの。

本当にほっておくと飲み込まれて、えらい目に合うはずなので、カオナシを「お前はここにいちゃいけないよ」と解放した千尋ちゃんよろしく、危機感を覚えてる人から、負をほどく側にまわってあげられたらステキなことかと思うのです。

そして、民族や国境に左右されずに、世界じゅうのどこにでもいて、多かれ少なかれ「許さない」感情に晒された、生まれつきのLGBT、性的小数派というのは、痛みの分だけ、そこに気づくヒントを得た存在だとも思うのです。

世迷言連載でいくよってなった途端に、笑いの少ないスピリチュアルな語りを連発しちゃって、40過ぎてアタシもすっかりヤキがまわったのは重々承知ですが、
今あらためて、リブ的な視点からLGBTという枠に言いたいことがあるとしたら、アタシはこれだと思うのよねぇ。性的少数者が許されることは、心の豊かさや平和に近づけると信じましょってこと。

自分の性が小数派だったことをきっかけに、
どう世界を読み取り、何を求めていくか。

そこを感じちゃうスキモノ同士が身を寄せ合って、
「許さない」感情が増幅することで引き起こされる最悪の事態を避ける力になれるのなら、
許されざる者にも、価値があると思うの。

まあ、
「許さないお父さん」の役に没頭する人が増えそうな予感があるから、
アタシは「許すお母さん」の役を演じる側にまわってみたいってだけなんですけどね。
とりあえず、いい人ぶるボンヌ。

以前ツイートもしたんですけど、最後に
『DIME』小山薫堂さんの連載に載ってたステキな言葉を。

「教養とは、人を許すためにある。」

石田純一さんの言葉なんですって。
さすが裸足のスキモノ。

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