第57回 僕たちの仕事で世界は変わらない?

映画『恋するリベラーチェ』レビュー週間 ブルボンヌ編

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世界が恋したピアニスト、リベラーチェ。
オカマライター気どってるくせにまぁ不勉強なことで、
今作で初めてその存在を知りました。

キャンプなセンス全開で魅せるアーティストの元祖。
宣伝文句にも、「エルヴィス・プレスリーやエルトン・ジョン、マドンナやレディー・ガガの登場よりも…」と謳われてますが、
テレビメディアの誕生と共に人気を博したという点でも、
全世界のド派手系パフォーマーの生みの親と言っても過言ではない存在ですね。

あらためて、こんなすごい姐さんを知らなかったことが恥ずかしい…。
まあ仕方ないっちゃ仕方ないんですよ。
いくらアタシがババアとはいえ、リベ姐さんの全盛期は1950~70年代、
そしてゲイ意識が芽生える思春期には亡くなってしまってたんですから。

そんな、今の日本に生きるセクシュアルマイノリティの皆さんの多くが見落としていた、
ものすごいパンチのきいた姐さんの生き様を知るための物語。

せっかくの2CHOPOさんでの記事ですから、思いっきりLGBTに関しての目線で今回は(ネタバレぎみに)語らせていただきたいと思います。

この稀代のアーティストに見初められた少年、スコット・ソーソン(当時まだ17歳だったらしい)による後の暴露本的伝記『Behind The Candelabra(燭台の裏側)』を元にしたテレビ映画ということで、主人公はマット・デイモンたん演じるスコット。

実際のところリベ姐さんは、ゲイであることもスコットと恋人関係だったことも、エイズに感染していたことも、何ひとつ自身では認めてないのですよね。

なので、あくまでスコットの言うことを信じるなら、彼はこういう人だったのだろう、というのが大前提。
物語のメロドラマ性に感動した方には申し訳ないのですが、リアルスコットは「マイケル・ジャクソンともヤッた」なんてインタビューで答えていたり、今作のアメリカ放映時には、クレジットカード窃盗使用容疑(どこぞの息子さんのような…)で収監されてて観られなかったりと、キナ臭いエピソードもつきまとう人物なので、二人だけの会話やエピソードに関しては、映画らしく創作されている面も大きいだろうなと思うのです。

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それでも、スコットが5年という長きに渡り、公の場でも認められているパートナーだったのは間違いないし、愛憎劇の大筋はあんなかんじだったのも想像がつきます。
大金持ちの還暦前スターと10代の少年との関係となれば、最初に溺愛される絶頂期から、見捨てられる不安にかられてのドラッグ依存に陥るという流れも典型的ですもの。

というわけでストーリーは本当にわかりやすくて、昼ドラ並に楽しめます。
その上、それを演じる皆さんがゲイ達者なこと!

セックス中毒で入院経験もあるスケベおじさんのマイケル・ダグラスは、キャサリン=ゼタ=ジョーンズとの(中尾彬&池波志乃ばりの)セクシーだだ漏れ夫婦なストレートっぷりを一切感じさせない、コテコテ大御所オネエ様を熱演。こういう姐さん、いるいる!
マット・デイモンたんも、信じられないくらい若くて美しい70年代青年期から、ゴーゴーボーイばりのエロコス、整形しまくりヤクやりまくりの荒んだ姿まで見事に変化して見せてくれます。(ビキニのプールシーンはあと10分無駄に引き伸ばしてくれても良かったわ…)

大富豪のスターに嫁入りした男シンデレラストーリーとしても楽しめますし、幸せいっぱいのスコットに「今後どうなるか教えたげる。今は得意の絶頂だけどね…」と囁く意地悪ネエさんのボディコンパイセンがいたりするのも、皆さん大好物な設定かと。

そんなシンデレラボーイが、パイセンの呪いの通り、若くてキレイなニューカマー登場によって地位を脅かされていくくだりもたまりません。不敵な眼差しを向けたニューカマーに対して「本性を見せたな。フェラチオ・テノール野郎!」って毒づくスコット。

結局、スコットはリベ姐さんに捨てられる恐怖から逃れるようにヤクにハマり、割とズルい大人の対応のリベ姐さんとの5年間の関係は終わってしまうのでした。最後はひどいもんでしたよ。
「このチンカス! クソ野郎! オカマ! チンポ吸い! 殺してやる!」(字幕そのまま)ってね。

実話通り、裁判沙汰にもなって、リベラーチェ姐さんのエイズによる死で物語は締められるのですが、転落する過程もどこかユーモラスに描かれているのと、締め方が見事なおかげで、典型的な格差恋愛のメロドラマですが、最後まで飽きずに楽しく観られました。

 

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さて、ここからは、オカマならではの思い入れを語らせていただきましょ。
まず、リベ姐が死ぬまでクローゼットを貫いていた人物だったということ。

「記憶に残りたくないの。エイズで死んだ老クイーンとしては。
約束して。誰にも言わないでね、僕のこの姿。」

そう言い遺したのだと、言ってしまったスコットはひどいやつかもしれません。この映画自体が、アウティングそのものなわけです。
とは言え、リベラーチェが燭台の裏側に隠していたつもりの、ゲイ、整形、エイズという事実は全て、ほかからも証言されている割と周知の事実。
「アタシ、会社ではカミングアウトしてないわよ」と言いながら、実際にはその口調や振る舞いから会社じゅうが気づいているオネエさんみたいなもので、もう本人の意地のレベルで、「認めてはいなかった」と言える話でしょう。
50~70年代という、ゲイのカミングアウトなどありえないような時代に生きたクリスチャンである以上、この建前を固持したのは不思議ではありません。

劇中の彼のセリフも印象的でした。
「ジェーン・フォンダが政治活動をやめて嬉しい。
彼女もエド・アズナーもなぜ声高に意見を叫ぶのか。
未来のスターである君たちに忠告。
スターになったからって世界を変えようなんて思い上がっちゃダメ。
僕たちの仕事で世界は変わらない」

熱いリブ魂を真っ向から否定するこのポリシー!
これはこれで腹くくってるかんじがして好きですけどね。

ちなみに、彼が出した自伝の、女性とのカムフラージュ恋愛譚が読まれるシーンで、新聞のトップニュースになっていたのが同じく実在のスター、ロックハドソンの死去です。
『ジャイアンツ』でアカデミー賞候補にもなった、理想のアメリカ男性そのものな大物俳優ですが、1985年にエイズを発症後、ゲイであることを公にして亡くなりました。彼もリベ姐同様、業界では暗黙の了解状態ではあったものの、差別の激しい時代にスターの立場でそれを認めた勇気は、後のゲイシーンで賞賛の対象となったのです。
同じショウビズ界の大物として、偽るか、告白するか、人生の散り際の決断というコントラストが興味深いシーンでした。

つまるところ、キナ臭さの残る生前の恋人によって、一方的に語られてしまったこの伝記。

エイズで死んだ老クイーンとして記憶に残りたくなかったリベ姐は、
ピアニストとしての名声よりも、まさにその裏側の部分を強調された後世の映画によって、
日本のオカマの記憶に残ってしまったわけです。

でもアタシは、リベ姐さんには悪いかもしれないけど、知らせてもらえて本当に良かった。

最高の技術と大胆なパフォーマンスで人々を楽しませ、
富と名声を有り余るほど手にしても、
本当の自分を世間に知られる不安に怯えて暮らしていた大先輩の姐さんの、裏側。
それもひとつの、身につまされるショーなのだから。

「君のすべてになりたいの。
父であり兄であり恋人であり
親友であり すべてに」
という彼が願った愛のかたち。
そんなものは理想でしかないってのは、数年で崩れる関係から彼自身が思い知っていたんだろうけれど。

大スターが孤独なのは世の常でしょうが、
遺伝子を受け継ぎ、未来を託す存在がいないという条件がくわわれば、それはなおさら。
ワンちゃんに囲まれ、美しい青年たちをとっかえひっかえしても、
彼の、分身をこの世に残し、自分が生きた証を残したい思いは埋められなかった。

だからこそ、そうした先人が抱えていた思いが、
アタシたちの記憶に受け継がれることに意味があると思うのです。それぞれの世代で、「不可能な夢を見て、さらなる高みを目指す」ために。

リベラーチェ姐さん、結局あなたの仕事で、世界は変わっていってますよ。

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