第34回 あなたは虹色の旗で誰かをぶん殴ってはいませんか?

 

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(撮影:d1.2takaさん、一部をクロップ)

まきむらよ。

毎週月曜、こちらの連載、世界のニュースから性を考える「まきむぅの虹色ニュースサテライト」をお送りしております。

最近では、ソチオリンピックが盛り上がってますね。

わたしは、例えば跳び箱について「なんでいちいち助走つけて思いっきり開脚とびしなくちゃいけないの? そっとよけて歩けばいいじゃない」と思っていた系小学生がそのまま大人になったやつなので、スポーツ自体を観ても正直よくわからないのですが、アスリートのインタビューを観るのは好きです。

あと今回はtwitterで百合ンピック(かわいいおんなのこどうしがいちゃいちゃしているイラストを投稿しまくる祭り)が花盛りだったので、わたくしウフウフしながら楽しんでおりました、百合ンピックを。

ところが、あれなのね。

今回ソチオリンピックで、ロシアの反同性愛プロパガンダ法が大きな争点になったことで、勢い余って「ロシア人みんなひどいやつだ」みたいなことおっしゃる方がいらっしゃるのね。おやおや、と思いました。

LGBTの権利を訴えるあまり、ある特性を持つ人をひとまとめに虹色の旗でぶん殴るようなことになってしまっては、それはちょっと違うわよね。

確かに、ロシア反同性愛プロパガンダ法や、特定宗教の教典や、ある世代で信じられていた美徳を根拠に、同性愛者(およびまとめて「色々ぶつぶつうるせーけど要は同性愛者だろ」扱いされるトランスジェンダー、トランスヴェスタイトほかのセクシュアルマイノリティたち)に対する暴言暴力を正当化するような行為は、許されてはなりません。

けれども、そういう暴言暴力があるからといって、ロシア人全員を、特定宗教の教徒全員を、特定世代の人々全員を悪者扱いするのもまたちょっと違うわけです。

ということで今回は、「多様な性とかLGBTとか言って虹色の旗を振っているとつい言ってしまいがちなことワースト3」をお届けしたいと思います。

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★1.私達、セクマイ/LGBTどうしでしょ?

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「LGBTなら当然、○○候補に投票するよねっ!」

「悩みがないなんて嘘でしょ、言えないだけなんだよね……自分もセクマイだからわかるよ」

「あなたのセクは? 言いたくないなんて言わないでよ! 同じセクマイ同士でしょ?」

ある人が客観的に見てLGBTであるということは、その人がサヨクであること/悩んでいること/LGBT同士の仲間意識を持っているということを、必ずしも意味しません。

LGBTに対する施策なんてやってほしくない、と言うゲイもいるでしょう。

同性愛についてマジで一切悩んだことが無いし、むしろ可哀想扱いされることのほうが悩み、というレズビアンもいるでしょう。

「同じセクマイ同士、仲間だよね!」的空気が苦手だったり、そういう物の見方をしていないトランスジェンダーもいるでしょう。

そもそも、ある人がレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・アセクシュアル・パンセクシュアル・Xジェンダー・ノンセクシュアル・クエスチョニングなどなどなどなどだったからといって、必ずしも自分自身のことを「LGBT」「セクマイ」と認識しているとは限りません。

LGBTという言葉は、アメリカの政治活動の中で生まれ、日本ではどちらかというとわりと意識高い感じの(言い換えれば、報道や政治などといった公的な場面で使ってもいい感じの)意味づけがされてきた言葉です。

そういう“政治性”“意識の高さ”に反目し、

「LとGとBとTが連帯? それぞれ全然別問題でしょ、ありえない」

「とりあえずLGBTとか性同一性障害とかなんとか言っとけばOKみたいな空気やめなさいよ、あたしはオカマよ」

と思っている人もいれば、

「LとGとBとT以外を(以下略)扱いにしやがって」

と思っている人もいるわけです。つまり、他人から見て「LGBT当事者」だと思える人が自分自身をLGBTだと思っているとは限らない、ということですね。

「セクマイ」に関しても、同じことが言えます。

「自分はゲイだけど、自分のあり方は別にマイノリティじゃないと思う」

「セクシュアルマイノリティとされる人の中でだってみんなそれぞれ全然違うのに、ひとまとめにすんなよ、しかもセクマイとかいって当然のように略すなよ」

「キスマイかよ」

などなど、いろんなこと思っている人がいるわけ。

なので、性のあり方に関して、自分で自分を「LGBT」「セクマイ」と呼んでいる人でない限り、その人を外側から「LGBT」「セクマイ」扱いすることはあんまりよくないです。

その上、「LGBT同士だから」と何かを決めつけたり押しつけたりするようなことがあってはもってのほか。「男同士」とか、「日本人同士」とかも同じよね。同じ特性を共有する人々も、それぞれ別の人間なのです。

★2.すべては愛だよねっ!

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「ロシア許せない! 人を愛する自由を奪うなんて!」

「みんなそれぞれの愛の形を持ってるんだよね! 理解し合おう!」

「真実の愛は性別を超える……」

愛。響きのいい言葉ですね。この論破できない感。人と人が手をつなぐ、そのぎこちないぬくもりのような、くやしいけどここちよい温度を持った言葉。愛。うーん。いいですねえ。

わたしも大好きな言葉です。それに、大きな真理を秘めた言葉であるとも思います。世の中のあらゆる「うまくいかないこと」は、悩み尽くし突き詰めると愛に還るのだろうとわたしは個人的に思っています(キラキラ)。

が。

LGBTにまつわる諸問題を「愛」で語るとき、そこにはふたつの危険性が隠れていることを意識しなくてはなりません。

1.すべてが「愛」の問題になり、具体的問題が注目されなくなる。
「愛」だけでは、救われない人たちがいくらでもいます。

「愛の形だよね、理解します!」と企業が口で言っても、実際に結婚制度がないことを理由に同性パートナーを家族扱いしてもらえず片方だけ海外赴任させられるゲイは救われません。

「愛の形を認めろー!」と叫んでも、実際に同性同士の性交を神が罰すると信じている人々が法廷裁判でレズビアンの首に縄をかけることは止められません。

「あなたには愛する自由がある!」と海外からインターネット越しに動画が届いても、両親に追い出されて家へ帰れない、学校でもいじめられて友達も頼れない、警察に言ったって何をされるかわからないと恐れたままパソコンはおろか寝る場所も食べるものもないトランスジェンダーの高校生には届きません。

LGBTにまつわる諸問題は究極的に、恋愛に限らない広い意味での「愛」が解決していくものだろうと、わたしも思います。また、虹色の旗をかざし愛を叫ぶことで、すこしでもLGBTにまつわる問題の周知をはかることには確かな意味があるでしょう。

しかしながら、問題は「愛」ではない。「愛」のひとことで問題を単純化し、募金も署名も寄付もボランティアもせず投票もサボり、また仮にそれらができない理由があったとしても具体的問題についてちゃんとニュース記事や本を読むことすらなく、ただSNSに「愛だよね!」と書き込むだけでは、具体的な問題が見えなくなってしまうのです。

2.「愛さない自由」を見落としてしまう。
LGBTにまつわる諸問題が「愛」に回収されてしまうもう一つの問題は、それが「みんないつか愛する人と出会うんだよねっ★」的な恋愛至上主義の押し付けになりうるからです。

恋愛しない主義のトランスジェンダーに向かって「真実の愛は性別を超える……」とか言っても、「いや、愛とかどうでもいいから雇用差別をなんとかしてくれるかな」って話になります。

プライドパレードで虹色の旗を振りかざして「同性でも異性でも、愛する人とふたりでいられればハッピー!」と叫んでも、一緒に歩いているアセクシュアルが「愛する人とふたりでラブラブしろ的プレッシャーにさらされてアンハッピーなんすけど」と思うでしょうし、その近くのポリアモリーが「いや別にふたりじゃなくても、3人でもハッピーなんすけど」と思うでしょう。

わたしはもう、「愛する自由がある」と叫ぶとき、絶対に主語を「LGBT」「セクマイ」などなどにしません。昔は言っていたけど、やめました。あえて愛とか自由とか言いたいならば、こうとしか言えないでしょう。「わたしには、愛する自由がある」

★3.○○(あるカテゴリを指す言葉)は差別者だ!

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ハフィントンポストMEDIA英語版ほか)

このことについての激しい批判に、NBCは「時間調整のためだった」と応じていますが、それにしてもロシアでのオリンピックにおける反差別スピーチやt.A.T.uのステージをあえてカットするなどということは、アメリカとロシアの関係を考えれば、「ロシアを同性愛差別者の悪役に仕立て上げたいのだ」と思われても仕方がないような選択です。

以上、

1.私達、LGBT/セクマイ同士でしょ?
2.すべては愛だよねっ!
3.○○(あるカテゴリを指す言葉)は差別者だ!

このへんのことを言いながら虹色の旗を振りまわすのはちょっとあぶないかな、というお話でした。

悪気なくやったことが、悪い結果を生まないとは限らないのよね。すべてわたしたちはただひとりの人間であり、それぞれがそれぞれに違うのだということ。言葉で言えば簡単だけど、よく、それを忘れて行動してしまいがちなものです。

それでは、読んでくださってありがとうございました! また来週月曜日にね。まきむぅでした◎

 

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