第39回 「LGBT」は「同性愛」のお上品な言い方ではありません

 

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まきむらよ。

毎週月曜、こちらの連載、世界のニュースから性を考える「まきむぅの虹色ニュースサテライト」をお送りしております。

前回記事「ディズニー最新作『アナと雪の女王』は同性愛プロパガンダか?」ですが、210RT&60いいね! を超えるご好評をいただきまして、ありがたく思っております。

今回のテーマは

「LGBT」は「同性愛」のお上品な言い方ではありません

です。

最近「LGBTフレンドリー」をうたうサービスや、「LGBT」について書いた記事も増えてきました。しかしながらそういった中には、こんな例もみられます。

「当店はLGBTフレンドリーです。同性どうしでもお気兼ねなく!」
「セレブが続々LGBTをカミングアウト! ○○のゲイ告白に続き、○○もレズビアン!?」

……

えっと……

それ、「同性愛に理解がある」「同性愛をカミングアウト」の間違いだよね?

日本語において「同性愛」は、「不謹慎・不適切な言葉」として扱われてきた傾向にあります。たとえば子ども向けにセキュリティ設定をしたパソコンから「同性愛」と検索するとNGワード扱いされたり、学校での講演に同性愛者を呼ぼうとした先生が教務から「同性愛についてのスピーチなんてとんでもない」と言われたり、そんなことがままありました。

このまま、「同性愛」を無難に・やわらかく・かしこく・かっこよく・ナウく言い換えるための言葉として「LGBT」が使われつづけるようなことを許してしまえば、「同性愛は不謹慎で不適切なもの」というイメージを黙認し、バイセクシュアルやトランスジェンダーといった同性愛者でない性的マイノリティらを黙殺してしまうことにもなりかねません。

ということで

★ LGBTは略称ではない
★ LGBTは政治的背景を持って生まれた言葉である
★ LGBTは「同性愛」のお上品な言い方ではない

以上の流れでお送りいたします。

★ LGBTは略称ではない

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PinkNews)。

このGSDという言葉、ぶっちゃけ1年経っても全く浸透してないですが、とにかくこの志だけでも引き継ぐつもりで、「LGBT」という時は「単純な略称じゃない」ということも意識したいですね。

★ LGBTは政治的背景を持って生まれた言葉である

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それから、もうひとつ。LGBTというのは、アメリカの社会運動の中で生まれてきた政治的な言葉であるということも忘れられがちな一面です。

現代日本でも見られるように、もともとアメリカにおいて、性のあり方がすこしでも「男を愛する女らしい女、女を愛する男らしい男」の規範から外れている人は、本人が自分のことをなんだと思っていようと「要は同性愛者だろ」の一言で片づけられてきました。

「自分は女とされて生まれたけど、自分のことを男だと感じていて……」
「要は同性愛者だろ」

「いま同性と付き合っているけど、恋愛する相手は性別で選んでいないから……」
「要は同性愛者だろ」

そして「同性愛者」の一言で、人が殴られ、脅され、職場を追われ、家庭を追われ、変な注射を打たれ、電気ショック療法をやらされ、笑われ、蔑まれ、めちゃくちゃな差別が行われてきたわけですね。

そういう中で「同性愛者同士、連帯して戦おう」という意識が生まれ、アメリカでは1969年から一気に同性愛者の権利運動が盛り上がりました。

すると今度は、バイセクシュアルとトランスジェンダーに対する同性愛者からの攻撃が激しくなったのです。バイセクシュアルに対して「お前は異性愛者の顔と同性愛者の顔を都合よく使い分けてるんだろ」「どっちなのか早くはっきりしてよ! 勇気をもって、早く同性愛者としてカミングアウトすればいいのよ!」、トランスジェンダーに対して「男のくせにくねくね女っぽくしてるから俺たちゲイまで誤解されるんだ」「同性愛は同性愛なんだから、異性愛の演技をする必要はないのに!」というように。

そして、そんな無理解の連鎖を反省する中で、「LGBT」という連帯のあり方が浮かび上がってきたのです。ですから「LGBT」という言葉を「同性愛」という意味で使ってしまうのは、この言葉の歴史をないがしろにするようなものです。

また近年では「LGBTコミュニティ」「LGBT市場」「LGBTツーリズム」というように、LGBTという言葉がひとつの固定的なカテゴリのように機能し、国家やビジネスをアピールする道具として使われる場面も増えてきています。

本来、LGBTが差別を受ける、L・GがB・Tを攻撃するといったことがなければLGBTという言葉も必要なかったものですから、「LGBTという言葉はなくなったほうが幸せだ」「LGBTは社会運動のための一時的な連帯に過ぎない」という見方もあります。よってLGBTという言葉の政治性により敏感になっている人、むやみに使おうとはしないという人もいますね。

また、こうした政治的な概念、社会運動としてのLGBTに同意できないという人は、例えば自分を「ゲイだけどLGBTじゃない」と考えたりするようなこともありえます。「そもそもLGBとTを一緒にすんなよ、恋愛対象の性別の問題(LGB)と自分の性別の問題(T)はぜんぜん別だろ、何で一緒に社会運動すんだよ」って思ってる人もいます。こういう言葉の背景も忘れないようにしたいものです。

★ LGBTは「同性愛」のお上品な言い方ではない

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以上、

「LGBTは単なるレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの略称ではない」

「LGBTは政治的な背景を持って生まれた言葉である」

ということをお話してまいりました。あらためてここで、本稿でいちばん言いたいことを強調しておきます。

LGBTは「同性愛」のお上品な言い方じゃないのよ! 「同性愛」なら「同性愛」って堂々と書いたらいいじゃないのよ!!!!!!!

なんかもうね、「それ同性愛のことしか言ってないじゃん」って内容なのに「LGBT」という言葉を使うの、変な配慮を感じるっていうか、LGBT言いたかっただけちゃうんかっていうか、もう、まじで、「ちゃんと堂々と同性愛って言ってください」って思うのよ。ほんとに。

言葉は変わりゆくものです。国によっても、人によっても、時代によっても解釈が違います。たとえば「着物」という言葉がフランス語で「柔道着」って意味になっちゃってたりとか(気になる人はフランス語の辞書で「kimono」を引いてみよう)昔の日本語で単に「服」って意味でしかなかったのに現代日本語では「和服」って意味になっちゃってたりとか、そういう変化はいくらでもあるもので、間違っていません。

でも、それでもよ。「LGBT」を「同性愛」という意味で使うのは、歴史から見ても込められた想いから見ても、絶対絶対やっちゃダメなことだと思うのです。いつかLGBTだの同性愛だのその程度のことでキャーキャーとりたてて騒ぐようなことがなくなる日まで、流行としてでなく本当の意味で性の多様性が受け入れられるまで、LGBTという言葉の使い方は、ていねいにしていかないといけないなって思っています。

ということで、今週も読んでくださってありがとうございました! また来週月曜日にね。まきむぅでした◎

 

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