第41回 米で議論、ゲイとして生きる自由vsゲイを拒否る自由

 

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なんかアメリカって、日本列島を横に並べて5~6個入る感じのでかさなのね。

大きいわねぇ~。

まきむらよ。

毎週月曜、こちらの連載「まきむぅの虹色ニュースサテライト」をお送りしております。

今回のテーマは、

アメリカで議論、ゲイとして生きる自由vsゲイを拒否る自由

です。

なんか「アメリカ=同性愛に寛容」みたいな、懐かしい表現で言えば「フォ―――」みたいなイメージをお持ちの方もあるかと思いますが、まだまだ全然そんなことはないんですね。

2014年4月。アメリカ・ミシシッピ州において、「宗教の自由を取り戻す法」(The Religious Freedom Restoration Act)なる法案が通過しました(ソース:PinkNews他のニュースサイトや市民団体が批判をあらわにしています。

具体的にどういうことかっていうと、ミシシッピの酒場のマスターっぽく言えば「あ? てめぇクソホモ野郎か? てめぇら神のご意思に反するんだよコノヤロー! 俺の店から出て行きやがれ、酒樽詰めでグレナダ湖にブチ込まれたくねぇならな! 悪魔の手先に出す酒はねぇんだよこのサノバビッチ!!」的なことが合法行為になってしまい、法廷において差別行為として認められないのではないか、ってことね。

こういう「同性愛者として生きる自由vs同性愛者を拒否る自由」みたいな話、アメリカだけのことではありませんね。

一方に同性愛者がいて、一方に同性愛者を許せない人がいて、地球人口70億人同じ意見を持つわけにもいかず、ただ同じ星で生きていくほかはない。

ミシシッピで起こっているこの議論、新宿二丁目にとっても関係あることだと思います。

ということで、

★ 「宗教の自由を取り戻す法案」ってなんだ?
★ 「宗教=アンチ同性愛」ってほんと?
★ 同性愛者として生きる自由vs同性愛者を拒否る自由

以上の流れでお送りいたします。

ちっちゃくちゅうい※この記事のタイトルで用いている「ゲイ」という言葉は、原語である英語のニュアンスに従い、「性別にかかわらず同性愛者一般」を指す言葉として使っています。よろちくね><

★ 「宗教の自由を取り戻す法案」ってなんだ?

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Huffington Post他、後に裁判で生徒側が勝訴)

【2012年】
黒人カップル、「一度も黒人の結婚式が行われたことのない」教会での挙式を白人牧師と白人信者らに拒否される(abcNEWS

もちろんこれは「ミシシッピ州の住民が全員同性愛者や黒人を差別してる」ということではないので、あくまで「こういう事例の件数が多い地域」というふうにとらえてくださいね。

で、そんなミシシッピ州、最近のアメリカの傾向がだいぶ気に食わなかったわけですね。

同性婚OKな州が2013年だけで9つも増えちゃったこの感じとか。

こういう中で出てきた「宗教の自由を取り戻す法案」、ざっくり言えばこういうものでした。

「うちの州では、個人が宗教的信仰を行使する権利を守りますよ」『神は同性愛を認めない』とか言ってレズビアンカップルのウェディングケーキ制作を拒否る職人がいるようなこの現状で、こんな法案通したら神の名のもとに同性愛差別がまかり通るだろ!!」

うーん。難しい問題です。

ではここで、この法案の定める「宗教的信仰の行使」とは、具体的にどういうものなのか読んでみましょう。法案の24行目~28行目です。

“「宗教的信仰の行使」とはすなわち、それが当該宗教において強制的もしくは中心的な信条であるか否かに関わらず、個人が真摯に抱いている宗教的信条に基づいて、何らかの行動を起こす、もしくは拒否をする能力を含む。ただしこれに限られたものではない。

……

えっと……

あれ……?

何でもアリですやん

拡大解釈の予感しかしないお!!

とりあえず「それが私の宗教的信仰ですから」って言っとけば反対してくるやつを黙らせられる、そんなまほうのじゅもんができちゃった感すごいお!!

しかもね、この一文、これ、なかなかポイントだと思うんです。

“それが当該宗教において強制的もしくは中心的な信条であるか否かに関わらず”

というのも、「神は同性愛を認めない」というこの信条、キリスト教に限らずさまざまな宗教において、近年急速に支持者を失っている信条だからなんですね。

★ 「宗教=アンチ同性愛」ってほんと?

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こちらの写真は、昨年フランスで、同性婚賛成デモが行われていた時に撮影したものです。

横断幕にはこう書かれています。「ユダヤ教徒、イスラム教徒、英国正教会教徒、カソリック教徒、プロテスタント教徒……平等のための信徒連合」

そして、黄色いプラカードにはこう書いてあります。「神はわたしたちすべてを愛して下さる」

そうです。「宗教=アンチ同性愛」とかいう図式は、人類史上の反省を生かし、徐々に崩れてゆきつつあります。それぞれ違う宗教を信じるもの同士が手をたずさえて、フランスの同性婚賛成デモを共に歩いたのです。

ロサンゼルスにある、LGBT若年ホームレスのシェルターにおいても、十字架・卍(マンジ)・ダビデの星といった様々な宗教のシンボルが同じ旗に並んで掲げられていました。

同性婚式などの、“シスヘテロ的でない結婚式”を拒絶しない宗教施設も、年々増加傾向にあります。

2012年には、「同性愛者を排除せず、身体的に女性である信者へのスカーフ着用強制など性に基づく強制行為も行わない」というイスラム教モスクの設立計画が発表されています(AFPBB)。

要するに、宗教の教典は言葉で書かれ、宗教の戒律は(“神”の言葉を受けた)人間によって作られているわけです。なので各宗教の教典にはさまざまな解釈がありますし、各宗教の戒律も時代背景や社会情勢によって変わっていきます。また、その戒律をどのように受け止めるかということも人によって違います。これはどんな宗教でも同じことです。

よって、「宗教=アンチ同性愛」という図式は、もはや誤解であると言ってもよいほどに崩れています。

そういう中で、例のミシシッピの法案が「宗教全体より個人の解釈を優先」ともとれる一文を入れていることは、「○○教は同性愛を否定してませんけど」というツッコミをはねつけ、「でも自分は○○教に基づいて同性愛を否定してるんだ!!」という個人的主張に宗教を利用することを擁護しているように、わたしには見えますね。

まあ、どういうつもりか知りませんけど。

★ 同性愛者として生きる自由vs同性愛者を拒否る自由

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写真:Tom Thai / Flickr

「自由」
「人権」
「平等」

なかなかお便利に振りかざされがちな言葉たちです。

なぜかというと、私たち人類は、それぞれもともと平等な人権を持っているわけでも、もともと平等に自由であるわけでもないからですね。

正直、世の中は不平等です。毒見役の命はお殿様より軽いの。刑務所に入っても金を積めば出られるの。そういう中でやれるのは、せいぜい「努力する機会を平等に分配する」という努力くらい。でも、努力だけですべてが何とかできるとは限らないわよね。

しかし、だからこそ、平等なんかじゃないからこそ、私達人類は必死こいて、「平等な人権があります」「平等な自由があります」という現実を創ろうとしているのではないでしょうか。努力だけでは変えられないけど、努力なしには変わらないのです。

“同性愛者として生きる自由vs同性愛者を拒否る自由”

この議論が、単なる“同性愛vs宗教”の戦いとして単純化されないことを切に祈ります。

何かの宗教を信じる同性愛者は、いまこの世界に生きています。自分の宗教が同性愛を否定していないと信じる信者だって、いまこの世界に生きています。そういう人々をいないことにしながら、「○○教は同性愛を認めない」という個人的解釈を振り回す行為を「自由」と呼ぶならば、わたしはそんな自由、要りません。人の自由を奪って得る自由なんて、自分自身にとっても不自由ですから、要りません。

だから、言いたいのであれば、本当はこう言うべきなのです。

「○○教は同性愛を認めない」じゃなくて、「自分は同性愛を認めない」と。

「同性愛者は○○教が嫌いだ」じゃなくて、「自分は○○教が嫌いだ」と。

そうして自分の発言を、何か他の大きなものに力を借りることなく、自分の頭で考え、自分の責任で発することからこそ、それぞれの自由は始まるのではないでしょうか。

ということで、今回も読んでくださってありがとうございました! また来週月曜日にね。まきむぅでした◎

 

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