第13回 乳首と、わいせつと、思考停止。ゴッセ出版『少年』

サッカー、負けちゃったね……とか、なんとか。でも、まったく興味ないんだけど。むしろ、それにかこつけた国威発揚っぽいムードが、苦手。ええ、ええ、僕は非国民ですからね(笑)。とか言いつつ、観賞用動物としてのスポーツマンって、やっぱりソソられる。駅でこのポスター見たとき、オバチャン、血の道が逆流しちゃって大変だったわ。それが、コレ! ……う、うん。本田って、顔、あんまりタイプじゃないから(笑)。それにしても、この乳首!! こんな白昼堂々、いいもん見せてもらった。ありがたや。ありがたや。男の魅力は乳首にあり。僕の舌技でコリッとさせてみたいもんだわ。

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JR代々木駅にデカデカと貼られた「KIRIN 端麗」のポスターの本多圭佑選手(の乳首)。

ふと、思ったのだが、男の乳首はOKなのか? これ、女の乳首だったら、NGだろう? 公然わいせつとか女性蔑視とか、面倒な問題が起こりそうである。確かに、最近は、パブリックな場で女の乳首を見る(見せられる)機会は、ずいぶんと減った気がする。ところが、過去に男の裸が問題となったポスターがあった。2008年に起きた「蘇民祭ポスター事件」である。「蘇民祭」は岩手県の大黒寺で行われる由緒正しい祭事で、世界的にも有名な“裸祭”だ。この観光客誘致のために制作されたポスターが、「女性客が不快感をおぼえ、セクシャルハラスメントに該当する」という理由で、JR東日本構内での掲示を拒否された事件である。その問題のポスターが、これ。

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2008年の「蘇民祭」のためのポスター。なにが「不快」よ! これを「美しい」と思う人間だっているんだからね!

これがダメで、本田なら良いのか? どうも腑に落ちん。「ただし、イケメンに限る理論」が働いているのではないのか。だとしたら、それって何よ!? 気持ち悪いのはこの蘇民祭男ではなく、何(誰)が良くて、何(誰)がダメか?の判断の基準が曖昧だってことなのだ。そもそも、そんなモンに基準が決められるのか? その基準を決める権力は、誰がどのようにして手にしているのか? 分からないことばかりなのに、当たり前のように罷り通っていることが、なにより気持ち悪い!

たとえば、友人のS君(ホモビデオ会社勤務)の話をしよう。彼について、いつもこの季節に思い出す話がある。夏になり、街にはシャツの袖をまくり上げたり、半袖シャツの男達が溢れるようになる。その姿を眺めながら、彼がポツリとこう言った。「夏はいいわねぇ。アタシにとって、男の腕は猥褻物よ。しかも、ひとり2本!」。「ひとり2本」ってとこが、いいねぇ。欲張りさんだぞ、S君!(笑) もう、お分かりだろう。彼にとって、腕はチンコ、もしくはチンコ以上に猥褻な存在であるのだ。それがニョキニョキと街にあふれ出す、この季節。きっと今年もS君は、気も狂わんばかりになって肛門拡張に励んでいるに違いない(笑)。

ある人にとっては猥褻でも、ほかの人には何でもない。また、その逆もあるのだ。そんな見る人によって違ってくる猥褻なる基準を、どう定めるのか? 腕なら良くて、本田や蘇民祭はダメなのか? 疑問は尽きない。

怪我の功名。蘇民祭ポスター事件で良かったことは、女も男の裸を見ることで「性的な刺激を受ける存在である」という当たり前の事実を明らかにしたことである。なぜなら、この手のポスターを企画したり作ったりするオッサンは、女は男の裸なんか見ても興奮しない(つまり、女に性欲はない=女は男の性の対象になっても、女が主体的に男を性の対象とすることはない)って思い込んでいる節があるからだ。だから、性的で猥褻になりそうな女の乳首ポスターは街から駆逐されたが、いまだに男の乳首ポスターは当たり前に作られてるってワケだ。ま、僕にとってはありがたいことなんだが。さ、女性の皆さん、どうする? 本田を認めるなら、蘇民祭男も認めろよ! じゃなかったら、両方、禁止! いいとこ取りは出来ないのが、この世の習いなのだから。セクハラ野次問題も大切だが、本田乳首問題の方が僕には重大事(笑)。

閑話休題。今月のホモ本は、僕のライター生命を賭け、2CHOPOの存続をかけて紹介する、この一冊! 『少年』!!

ついに児童ポルノの単純所持禁止の改正法が成立した。施行されたら、僕は犯罪者である。同性愛関連の文献資料収集を続けてきた中で、当然、少年愛に関するものも数多く集まってきたからだ。なわけで、いまの内に紹介しておこうと思った次第。この改正法、「性的好奇心を満たす目的」での所持を処罰するものだ。「学術研究、文化芸術活動、報道などに関する国民の権利や自由を不当に侵害しないように留意」と補足されるらしいのだが、はたして僕が「性的好奇心を満たす目的」ではないことを、どう証明すればいい? ホモで、女装で、口を開けばチンコ!を連発。文を書かせりゃ、乳首をコリッと、とか書いてる人間である。疑われたら、イッパツで有罪だろう(笑)。さぁ、困った。

この『少年』は、1980年代に売られていた少年愛者向けの雑誌である。紹介した号は、1982年のNo.18。いまは、もちろん無い。どのぐらいの発行サイクルだったのか、何号まで続いたのか等、不詳。モノがモノだけに、いまとなっては入手が困難になってきている。調べるなら、いまの内だと焦る。おそらく、この号のあたりが最盛期ではなかったのか? 初期の号はグラビアページがモノクロであったが、カラーグラビアとなっていることから類推できる。残念ながら、中のページを紹介することは控えることにするが、目次を書き出してみたので、雰囲気は伝わると思う。

表2 「POJKART」広告(少年ヌード写真・イラストのカレンダー)
3〜9ページ カラーグラビア「少年の季節」(撮影:海老沼康司)
10ページ カラー少年イラスト(画:呉征人)
11〜13ページ モノクログラビア「スポーツの秋」(撮影:海老沼康司、野村克己)
14〜17ページ ミーティングの記録「僕と少年たち」(司会:小笠原昭彦と、小6〜中2までの少年4名との座談会)
18〜22ページ 告白と討論のコーナー「セクシィー・ジュニア」(編成:小場太由)
22〜25ページ 読者体験手記 「微笑む少年」(作:岩井文夫)
26〜31ページ 随想「少年愛の哀しみ(5)被写体」(作:海野洋一)
32ページ 「軽茶」(少年スターやレコードなどのカルチャー紹介)
33ページ モノクロ少年イラスト(画:呉征人)
34〜46ページ 連載小説「快楽の館 第七章」作:芦原修二、画:長谷川サダオ)
47ページ モノクログラビア「カンコーオリジナル通学服」(広告写真の転載)
48〜49ページ 「ともだち」(読者のおたより)
50ページ 奥付、定期購読の案内、販売店の紹介
51〜55ページ 投稿写真「ぼくのアルバム」
表4

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『少年』(1982年 Number18/ゴッセ出版 発行/2000円)

さて、児童ポルノ禁止法の問題は、前述の猥褻問題とはその質や構造が異なる。単純に猥褻か否かが争点となる倫理上の問題だけではないからだ。それは、被害者(=少年少女)がいる犯罪なのだ。同列に論じることは不可能だ。

しかし、人類の長い歴史で見れば、15歳で成人。結婚が当たり前だった時代さえある。基準は、ずれる。基準は、曖昧なものである。それを心に銘じておきたい。社会の流れや雰囲気だけで、思考停止し、右に倣えが、もっとも愚かなことである。単純所持禁止に、問題点はないのか? 表現の自由はどうなる? 冤罪の危険性はないのか? 考えることこそが、われわれを最善へと導いてくれるはずだ……とか言ってしまうと、まるで僕が児童ポルノを擁護していると思われてしまう。それ、それこそが、思考停止の症状なのではないだろうか?少なくともオカマは、皆が右と言えば左を、左と言われれば右を向いてみるだけの気概を持ってもらいたいものだ。って、ほんの数十年前は、オカマなんて精神異常か犯罪者だったんだぜ(笑)。

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