第14回 ホモの兄を持つ、弟。ホモの弟を持つ、兄。バーバラ・ワースバ『クレージー・バニラ』

夏が来る。父の命日もやってくる。父は夏の暑い盛り、長患いの末、死んだ。26年になる。昨年、母の願いで、33回忌には早いが最後の法要をすることになり、ひさしぶりに家族が集まることになった。僕には兄がひとり、いる。たった3人きりの親族だ。ふたつ違いの兄とは、もうずいぶんと顔を合わせていなかった。最後は、たしか電話だ。兄は学生時代からつき合っていた彼女と結婚し、子供が生まれた。お祝いを贈って、その謝礼の電話だったはずだ。もう20年以上も昔のことだ。

物心ついた頃から兄とは疎遠だった。取り立てて仲が悪いというわけではなかったが、お互いに相手の存在を気にかけないふりをしてきた。兄が大学に入りひとり暮らしをするようになるまで、一つ屋根の下にいても何年も口をきかず顔を合わせることもなかった。おかしな関係だった。兄弟とは最も近い他人であると、つくづくそう思ってきた。そんな、ひとから見れば殺伐とした兄弟仲であった。

兄が離婚したことは、ずいぶん前に母から聞かされて知っていた。子供は前妻が引き取りしばらくは独り身だったが、最近、再婚したことは、法要のあれこれを決めるやりとりの中で知らされた。法事には再婚相手も来るという。もっとも母は、この再婚相手と何度も会っているらしく、前妻よりも気に入っている様子が口ぶりから伝わってきた。

最初に彼らに会ったのは、法要をお願いした寺の、クーラーも無い待ち合いの部屋だった。彼らと書いたのは、再婚相手には連れ子がいたからである。しかも、大学生になる男の子と、年の離れた小学生の妹のふたりだ。僕にしてみれば、いきなりふたりの叔父さんになったわけだ。まあ、歳のことを考えれば大学生の甥がいたって不思議ではないが。それにしても、やはり見ず知らずの人間がいきなり親族とは……という戸惑いはあった。法要も終わり、「それじゃ、涼しいところで食事でも」となった。元々、あまり話をすることもなかった兄だ。ギクシャクした雰囲気の中、母がここぞとばかり通訳でもするかのように、僕と兄と、僕と再婚相手と、そして、連れ子達との会話を取り持ってくれた。新しくできた甥は、今どきの若者には珍しく地味な印象ではあったが真面目そうな好青年であった。小学生の妹は、まったく屈託が無く人見知りもしない。この子供たちを見れば、再婚相手の人柄も分かろうというもの。母が、エキセントリックだった前妻よりもいまの嫁を気に入っているのが納得できた。僕はといえば、甥っ子をまじまじと眺めながら、この位の歳の子とヤッちゃったことあるよねぇ。てか、ヤレちゃう? やだ、近親相姦じゃん。チンコ、でかいかなぁ?……なんて、不謹慎な想像をめぐらしていたのである(笑)。男と見れば、まず、どんなチンコか?を思い描き、次に、ヤレるかどうか?を考えちゃうのは、ホモの浅ましい性(さが)なので、まぁ、しょうがない。

ところが、このホモの浅ましい性こそが、僕と兄とのギクシャクとした関係の原因であったのだ。僕はわりと早熟なガキだったので、小学校の3、4年生になる頃には自分がホモであることはおぼろげながらにも分かっていた。と同時に、自分が男として欠陥があるのではないかと危惧も抱いていたのである。そして、ある日の事件がその劣等感を決定的なものにした。といったって、大した事件などではありはしない。たまたま兄とふたりで一緒に風呂に入っただけである。だが、子供の頃の2歳の差は大きい。ふたつ年長の兄はそろそろ第二次性徴を迎えるお年頃で、僕は頭の中こそ早熟だったが体はまだまだガキである。兄のチンコは明らかに大人に近づきつつあった。一方、僕はといえば……。兄は、僕の股間の朝顔のつぼみの如きチンコを指さして、「ちっちぇ!」と言ったのだ! 図星である。とどめである。決定打であった。そのひと言で、ホモである自分は男の出来損ないなんだという想念が、確たる信念に変わった。それ以来、「兄=正常な男=チンコでかい」に対し、「僕=ホモ=男の欠陥品=チンコ小さい」というコンプレックスに苛まされることになったのである。ホモに限らず男ってモンは、チンコの大きさにどうしたって支配されてしまうのだ。これまた、まぁ、しょうがない。

僕と兄はまったく似ていなかった。兄は小作りな母に似た小柄でシャープな印象。まあまあハンサムで、頭脳明晰スポーツ万能。一方、僕は父に似て肥満体質で、運動神経ゼロ。成績も中の下。ことあるごとに兄と比較しては劣等意識を募らせていった少年時代。幼い思考回路では、何ごとも兄のように出来ないのは、僕がホモで男の出来損ないだからだった。なんでもかんでもホモのせいにしてしまっていたのだ。劣等感は自分がホモであることをますます浮き彫りにし、反対に、兄はますます眩しい存在となっていった。少年からひと足早く青年へと変わりつつあった兄は、いつしか僕が憧れる大人の「男」として立ち現れるようになった。意識しないわけにはいかなかった。それがホモの浅ましい性だ。まぁ、しょうがない(笑)。それからというもの、僕は兄を避けるようになったのである。父が病気で倒れたときも、兄はバイトで家計を助ける孝行息子。一方、僕はそんなことなどお構いなしで、自分の問題にかかずらわってばかり。挙げ句の果てに、ホモであることを嘆いて自殺未遂を繰り返す問題児。明暗、白黒、はっきり勝負のついた兄弟であった。大学入学で家を出た兄は、面倒ばかりの弟と離れ、せいせいしたことだろう。それ以来、兄とは会うこともなくなったのである。

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最近、実の弟とヤッたというホモの子に会って、話を聞いた。すげぇ、ヤッちゃったのか! それは青天の霹靂、目からウロコ、おまけに棚からボタ餅を合わせたような衝撃だった。そりゃ、もう、男3人全員ホモの兄弟と知り合ったとき以上の驚愕であった。それに比べれば僕の兄への想いなど、たかがしれている。なんだかホッとしたような、悔しいような、変な気持ちである。いずれも特殊といえば特殊な例だが、ホモにとって兄弟は、もっとも身近な「男」である。複雑な想いを抱いても不思議ではない(よね?)。逆に、ホモの兄弟を持った兄/弟は、どう感じているのだろうか……。そこで、今回は、こんな本を選んでみた。バーバラ・ワースバ著『クレージー・バニラ』。ティーンエイジャー向けに書かれた児童文学である。

十四歳のタイラーは孤独だった。
父親は自分の仕事以外に興味がない完璧主義者で、タイラーの夢を理解しようともしない。その上母親はアルコール依存症だし、大好きな優しい兄までも同性愛者だったことが発覚し家をでてしまう。心の通い合わない家族の中でタイラーはひとり、野鳥の写真を撮ることにますますのめり込んでいく。
だが、めぐまれない環境にありながら夢を着実に追っている少女ミッツィに出会ったことから、タイラーは変わっていくのだった……
思春期の少年の揺れ動く心理とその成長を生き生きと感動的に描いた小説。
(カバーに書かれた紹介文)

テーマは、少年が本当に自分の求めているもの、必要としているものを見つけ大人になっていくという古典的な成長譚だ。ただし、少年のおかれている環境は、とても現代的である。見習うべき父親像もなく、帰属すべき家庭はすでに崩壊している。そんな中で唯一、少年が心を開けるのは大好きな兄だけであった。しかし、この本は、同性愛者の兄と少年の心の葛藤を描くことが主題ではない。同性愛者の兄キャメロンの存在は、あくまでもバックボーンでしかない。プロットのためにとってつけたように登場するキャラクターだ、との批判もあるようだ。だが、この兄弟のやりとりを書いた次の文章を読んでみて欲しい。胸がつまるような、愛おしい兄弟の関係が描かれている。

「ごめんな、タイラー。こんな騒ぎになって」
僕は肩をすくめて、平気なふりをした。本当は平気どころじゃなかったんだけど。「なんでもないよ」
「いや、そんなことはない。兄さんにはわかるよ、ショックなのが」
そりゃ、そうさ。こっちは十二なんだもの。もちろんショックだよ。それがぼくの本心だった。でも、口では「だいじょうぶだよ」と返事した。

(略)

「でも、父さんすごく怒ってたよ」
「そのうちおさまるよ。おさまらないかもしれないけどね。でも、どっちにしたって、もう関係ない」
僕は長椅子まで行って、兄さんの隣にすわった。「本当の兄さんのこともっと知りたいな」それは、ぼくの心からの言葉だった。

(略)

「同性愛って、不道徳なことなの?」ときいてみた。
「いや、そんなことはない」
「でも、みんなそういってるよ」
「その人たちが間違ってるんだ」
「動物にも同性愛があるの?」
兄さんはニッと笑った。「ああ、もちろんだ。よくあるよ」
世界には同性愛の動物もいるんだと思うと、なんだかずいぶん気持ちが楽になった。それと同時に、同性愛のアライグマやキツネが森のなかで遊んでいる光景が目に浮かんできた。そして、スコットランドの湖で、同性愛のカワウソがあおむけになって楽しそうに泳いでいる姿も。
ぼくは兄さんの顔を見つめて、「ぼくにはわかんないことだらけだけど、兄さんのこと大好きだよ」といった。
急に兄さんの目に涙があふれた。「ぼくもだ。おまえみたいにいいやつはいないよ」

これは、冒頭で、父親にキャメロンが同性愛者であることがバレて騒動になったすぐ後のシーンだ。実は、タイラーが人生で本当に求めているもの、必要としているものが、すでにこの兄という存在の中に示唆されていたのだ。そこが、面白い。父親ではなく兄を(しかも同性愛の!)乗り越えて成長していくところが、今どきのジュブナイルなのだ。児童文学と侮るなかれ。大人の鑑賞にもじゅうぶんに耐える作品である。数時間で、すぐ読める。この夏休みにおすすめの一冊だ。

バーバラ・ワースバ著『クレージー・バニラ』(徳間書店/1994年 発行/1400円)

さて、二十数年ぶりに顔を合わせた兄は、しょぼくれた、生活にやつれた、ただのオッサンであった。そりゃ、そうだ。別れた妻と子に慰謝料と養育費を払いながら、新しくできた家族を養う大黒柱だ。共稼ぎとはいえ、苦しい生活であろう。少年の日の僕の目に映った、眩しかった兄の姿はどこにもなかった。かたや、いい歳をしてhttps://twitter.com/AKIBA_NIGHTで。

アニキ。アニキの弟は、オカマの弟は、こんなことして生きてます。見てくれ、僕の生き様!……とかなんとか。格好つけても、どう考えたっていい歳したオッサンのすることじゃないよな(笑)。これは、先日(6/27)のヒロスミがデザインしたもの。素晴らしく出来が良い。この時は3人だったが、秋にはセーラースターズ全員が勢揃いする予定。楽しみだ。ちなみに、この写真をツイッターでアップしたら、2800回以上もリツイートされた。これなら勝てる! リツイート数だけなら、アニキに勝てる!(笑)

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