第19回 夏は短し、恋せよホモ!蟬の声に、初恋の男を想う。嵐山光三郎『悪人芭蕉』『芭蕉紀行』

暑い。夏である。ただそれだけでホモは浮かれる。聞くところによれば、都内某所のプールには「いまどきそんな小っちゃな水着なんて誰も履いてねぇ〜よ」な感じのホモがひしめいているというし(伝聞推量)、立石寺に寄ったときに詠んだ句である。山寺の、物音ひとつせぬ静寂、照りつける太陽の下、空気さえ動かない。まんじりともしない中で、聞こえてくるのは蟬の鳴く音ばかり。まるで岩にまで染み込んでいくようだ……と、夏の情景を見事に写し取った句である。そう学校でも習ったはずだ。
ところが、これがなんと愛の歌であったとは! しかも、男への!!

芭蕉ホモ説は、芭蕉スパイ説と共によく見たり聞いたりする話だ。歴史雑学本や、ホモ有名人列伝といった記事でかならずといっていいほど紹介される。しかし、「芭蕉の衆道は研究家のあいだでは、一種の禁句となっており、こういった性向が、俳聖芭蕉のイメージをそこなわせるとの配慮がある」(嵐山光三郎『芭蕉紀行』より)ことから、きちんと研究されてこなかったという。そう語る嵐山が、われわれが思い描く、達観し、悟りきった、枯れた、隠者のごとき俳聖とはまったく異なる芭蕉像を描ききったのが、今回紹介する『悪人芭蕉』である。この中ではもちろん、男色者としての芭蕉もきっちりと描かれているのである。

芥川龍之介をして「大山師」と言わしめた芭蕉であるが、嵐山の描き出す芭蕉も、才に長け、機を見るに敏。出世欲も名誉欲も旺盛で、数々のパトロンを手玉に取るしたたかさと、政治の中で立ち回る能力もある。精力的で、ギラギラとした、そんな芭蕉像に驚かされる。まるで俗物である。しかし、俗なる内に超越した句作を繰り出す芭蕉は、やはり天才といわざるを得まい。これまでのアカデミズムが、意図的に避けてきた俳聖の俗なる部分を徹底的に拾い集め、新たなる視点から芭蕉への理解を試みた、嵐山渾身の作である。

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芭蕉がもっとも愛したとされるのが、杜国である。

杜国は名古屋の御園町の町代を務めた大きな米商であった。『冬の日』の五歌仙の連衆に加わり、たちまちその才を芭蕉に認められた。(略)杜国は女にしたいほどの美貌の若衆で、芭蕉はたちまち心奪われた。
(嵐山光三郎『悪人芭蕉』より)

後に、不祥事を犯し流人となった杜国を連れて旅をした芭蕉が記したのが、『笈の小文』である。罪人を連れ出すなど、芭蕉にとっても危険な旅であった。嵐山は、こう書いている。

 元禄元年三月十九日、杜国は万菊丸と名を変えて、伊勢から上野の芭蕉のもとに来た。お忍びの旅である。芭蕉は万菊丸を連れて吉野探訪の旅に出た。笠に、
乾坤無住同行二人
と書き入れた。これは巡礼が笠に書く文句で、常に仏と一緒にいるという意味だが、ここでは芭蕉と万菊丸の二人という意味である。芭蕉は、

よし野にて桜見せふぞ檜の木笠

と詠み、万菊丸はこう続けた。

よし野にて我も見せふぞ檜の木笠

どう考えても駆け落ちの句である。芭蕉の万菊丸への恋情はすさまじく、万菊丸もまた身をよじるようにしてそれにこたえている。
(嵐山光三郎『芭蕉紀行』より)

芭蕉、45歳。枯れちゃなんていなかった。地位も名声も失いかねない。それどころか、惚れた男と死をかけての道行きである。芭蕉のオッサン、なかなか見上げたホモじゃないか!! どうやら、芭蕉のオッサン、恋多きホモだったようで、杜国だけでなく、桃印、其角、『奥の細道』に同行した曾良……と、まわりの美青年達との男色関係についても取り上げている。なにしろ「芭蕉の旅はいつも男連れであった」(嵐山光三郎『悪人芭蕉』より)とまで書かれているのだ。

 

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『アドン』1975年3月号

 杜国は十七・八にしか見えなかったが、本当の年は二十二と聞き、才色共に優れた若者に心動かされた。(略)募る想いを押さえきれず、去年の秋、常陸の旅が終わってから伊賀に向かう途中、予定を変えて尾張に回った。前振れもせず訪ねても、快く逢ってくれるであろうか。ひょっとして、独り相撲であったとしたら、どうしよう。(略)ああもこうもと案じながら訪れてみれば、若い杜国は、そんな突飛な行動を採ったのも、自分を慕う情熱の激しさからと喜び、桑の実のようなその赤い唇は、彼の体から片時も離れようとしなかった。
どうすればよいのか、お互いにそのすべは分かっていても、体は思いの儘に開かなかった。杜国は初めての体験であったし、芭蕉もまた長旅の疲れでなえていた。
夜が明けて、隙き間風が吹き込んでいたが、芭蕉の体は柔らかく温かい肌に堅く護られていた。突き上げてくる力を覚え、体をずらして構えてみると、杜国は気配を察して体を曲げ、彼の瞳をのぞき込んだ。それは誘う意思での優しい色であった。

寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき

(藤井肇『夢は枯れ野を ─ 松尾芭蕉を巡る二人の男』より)

これは、『アドン』1975年3月号に掲載された短編小説である。芭蕉と二人の男たちとの恋を、芭蕉の側から描いている。いまどきのゲイ雑誌にはない、格調ある読み物だ。

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『奥の細道』の中でも有名なのが、先に挙げた「閑かさや……」の句である。表向きは、見事に情景を描写した写生の句であるが、これに隠れた意味があった。伊賀国(現在の三重県)に貧しい農家の次男に産まれた芭蕉は、父が死に、若くして伊賀上野城の侍大将 藤堂良精に召し抱えられる。当初は料理人として働いていたが、芭蕉よりふたつ年長の良精の嫡子 若殿である良忠のお伽衆に抜擢されたのである。お伽衆は、「戦国時代より大名の側に侍して話し相手をつとめる役であり、連歌俳諧をたしなみ政治的謀略も練り謀反を防ぐ親衛隊」(嵐山光三郎『芭蕉紀行』より)であった。

それが運命の出会いであった。芭蕉は持って生まれた俳諧の才能があり、良忠はこれを寵愛した。良忠が芭蕉のはじめての男色の相手であったのだろう。一目惚れの相思相愛という蜜月の時代だった。しかし、良忠は25歳という若さで逝去。芭蕉は無常を観じて、故郷を出て、俳諧に専念するようになったという。この芭蕉初恋の相手 良忠の俳号が、蟬吟(せんぎん)という。

「閑かさや岩にしみ入蟬の声」の句の「蟬」とは、もちろん蟬吟のことだ。つまりだ、この句は、山寺の蟬の声にかつて自分を愛し導いてくれたはじめての恋人を思い出し、彼を追悼している句なのである! さらに付け加えるならば、こう解釈することも出来るだろう。

私の人生も終わりにさしかかり、命をかけて旅に出た。やっとの思いで山寺にたどり着くと、さんざめく蟬の声が聞こえる。しかし、人の気配もなく、動くものはなにひとつない。そんな中にいて、次第に心が落ちついてくる。やすらいだ心に浮かんでくるのは、私を愛し、導いてくれた、貴方のことだ……と。

悪人とまで呼ばれ、俗物、山師とさんざんな芭蕉であるが、なんとも純情可憐オトメな一面ではないか! 惚れるぜ!! もし、小学校、いや中学でも高校でも、この句が男同士の愛の歌であることを教えてくれた先生いたならば、僕の人生も変わっていただろうと思う。もっと俳句が好きになっていただろうし、もしかしたら、今頃は趣味の俳句なんぞをひねっていたかもしれない。それで、伊藤園の「お〜いお茶俳句大賞」に送ってたりして(笑)。なによりも、死ぬことばかりを考えていた僕に、生きる希望を与えてくれていたかもしれない。そんな風に思うのである。

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嵐山光三郎『悪人芭蕉』(新潮社/2006年 発行/ISBN4-10360104-3)
嵐山光三郎『芭蕉紀行』(新潮社文庫/2004年 発行/ISBN978-4-10-141907-7)

「メメント・モリ」であるが、これには二通りの解釈がある。「自分が(いつか)必ず死ぬということを忘れるな」というのが、ひとつ。「だからこそ、いまを楽しめ」という意味もある。だから、恋せよホモ! いま、この夏を楽しめ! プールで、ビーチで、ハッテンバで。命短し、恋せよ、オトメ。だって、いつか必ず死がやってくるのだから!!

さて、死ぬ前に遺影にしたいと思い(ウソ)、蜷川実花ちゃんに撮っていただいた僕の写真が展示される。場所は、大阪・阪急うめだ本店9階の祝祭広場。蜷川実花写真展『TOKYO INNOCENT』である。僕以外にも、オナンやMONDO、TOYBOYらの写真も展示されると思う。入場無料とのことなので、是非、お立ち寄り下さいませ。

 

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蜷川実花写真展「TOKYO INNOCENCE」
トーキョーの今を、数年にわたり撮りためてきた、蜷川実花の作品を祝祭広場でお楽しみいただける3週間。従来アンダーグラウンドであったサブカルチャーが、アートやファッション、アイドルシーンと結びつき、新たな輝きとパワーを放ちます。
日程/8月20日(水)~9月9日(火) ※催し最終日は午後6時終了、会場/大阪・阪急うめだ本店9階の祝祭広場、観覧無料。
詳細は、

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