第2回 セックスでは埋まらない穴と空しい後味

大塚愛の『さくらんぼ』が大ヒットしていた頃、チェリーボーイだった自分は脱バージンに向けて動き出した。当時はまだ大学に入ったばかりで、もう子供とは呼べない年齢になったものの、想像していた“大人”とは遠くかけ離れていた。残暑でムシムシしていた9月、冷や汗だらだらかきながら横浜駅西口でネットで知り合った男性を待った。心臓が今にも破裂しそうだった。相手の顔は知らなかった。携帯電話にカメラが必ずあった時代ではなかったから、顔写真なしで出会うのがフツーだった。そんな緊張感に混じって、何かに期待をしていた。

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小学校の頃から自分が周りと違うと気付いていた。思春期が始まる頃には、それが否定しようのないものになった。「童貞のまま二十歳になったら、ヤラハタだぞ!」と、友達からの圧力も日に日に増していた。浅はかだとわかっていたが、こうやって男性とセックスをすることで、何か大事な答えが見えるんじゃないかと思っていた。そうこうしていると、手に握った携帯が震えだして着メロが聞こえた。「あいしあうー、ふたりー…」電話を取ると、すぐに目の前に立っていたサラリーマンが相手だとわかった。30代後半で中肉中背、どこにでもいそうな人だった。別にタイプではなかったが、そんなことはどうでもよかった。「とりあえず、やるだけやろう!」そう覚悟を決めて、一歩前に進んだ。

がたんごとん。1時間後、電車に揺られながらボーっとしていた自分がいた。「やったぞ!」という達成感を少しだけでも感じようとしたが、自分は騙せなかった。その男性はことが終わると、そそくさと歩き去った。メールで事前に話し合った通りのセックスだった。それ以上でも、それ以下でもない。それなのに、どうしてこんなに空しさを感じるのか。いったい何に期待していたんだろう。このセックスをすることで、自分が抱えている問題が全部キレイさっぱりなくなるとでも思っていたのかもしれない。冷たい現実を今更突きつけられて、頭の中が真っ白になった。

10年後の今、あのセックスを振り返ると実はそんなに悪いものでもなかったと思える。思い出の中の記憶だから、美化されている可能性もある。しかし、今の自分ならきっと素直にさくっと楽しめただろう。もしかしたら、おかわりまでしたかもしれない。

「悲しいときはお酒を飲まない」と、いつかの友達が言っていた。散々やけ酒を飲んだ次の朝、二日酔いと共にどうしようもない空しさを感じるからだろう。セックスにも同じことが言える。人間はそんなに強いものじゃないから、いろいろあって落ち込む日もある。心に開いた穴を何かで埋めたくなるときもある。そんなとき、何かに期待してセックスに手を出す人もいる。きっと、10年前の自分はそうだった。

最近、とあるイケメンのゲイラグビー選手の話を聞く機会があった。20代でガチムチ、顔も整っていて、まさにルックスエリートなゲイだった。きっと男には困らないだろう。「気分が落ちているときや自分に自信がないときにするセックスは、自分を慰めるためのセックスみたいだ」という彼の言葉は重く響いた。「そういうときは慰められるどころか、コンドームを使わなかったりして、自分をリスクに晒すことばかりしてしまう。次の朝、自分のことを大事にできない自分が大キッライになっている。ずっとその悪循環だ。」

セックスであそこの穴が埋まっても、残念ながら心の穴までは埋まらない。セックスはセックスであって、それ以上でも、それ以下でもない。そこに元々ないものに期待したところで、何も出てこない。それを百も承知な上で、また期待してしまう。そして何も手に入らずに、空しさだけが残る。その空しさで心の穴がさらに広がってしまう。いつの頃からだろうか、もうそういうセックスはしないと心に決めた。

今だからこそ、10年前のあの日の自分に言いたい。周りのプレッシャーや焦りに負けて、無理にセックスをすることはない。自分の心の準備が整って、セックスをセックスとして楽しめるようになってからすればいい。もっと自分のことを愛せるようになってからすればいい。

あと、ちゃんとコンドームとローションを持参しなさい。

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