第28回 70年代の異端文化誌『黒の手帖』のホモ特集と、ハッピーゲイライフ世代の現在。

すっかり秋である。朝夕は肌寒い日も増えた。私も人生の秋を迎えた。肌寒いどころか、うら寂しい毎日を送る中年ホモである。ついにとうとう、2CHOPOで新たに始まったホモの老後を考える『老後の新聞 〜こちら東中野さくら行政書士事務所〜』から取材依頼が来てしまったのである。あぁ!なんたることだ。自分ではまだまだと思っていても、時は残酷に過ぎていくのだ。最近は、ハイヒールで一晩中踊っていると、翌日にはきまって足がつる(笑)。これが、歳を取るということか。

とはいえ、そんな高齢女装にも需要があるのか、お座敷はひっきりなしである。つい先日も、新宿二丁目「AiSOTOPE LOUNGE」のオバラが、面白いイベントをやっているから見に来ませんかと誘ってくれたのである。『huGe+(ヒュージプラス)』

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新宿二丁目・ROYAL FAMILY 1周年パーティ『ROTAL GOLD』のフライヤー。

「でっかい男のニューパーティ!大人の夜遊びしようぜ?」がキャッチフレーズのこのイベントは、40歳オーバーをメインターゲットとしているらしい。入場料金も(ハッテンバなどとは逆に)歳上であるほど安くなっている。40代が3000円で、50代以上は2500円。20代30代が一番高く3500円なのだ。明け方近い時間でも、入り口にあふれんばかりの“でっかい男”たちで大盛況。MEN ONLYだからと躊躇する高齢女装二人組に、奥のダンスフロアには入れないがラウンジまでならOK!と言う、オバラ。店内はもっと凄いことになっていた。果物は腐りかけがもっとも美味だというが、そこには熟れ頃を迎えたバナナやらアケビやら……百花ならぬ百果繚乱。食べ頃の兄貴達がわんさかいるではないか! これには驚いた。だが、もっと驚いたのは、雄フェロモン渦巻く中に紅一点。永易氏(『老後の新聞』の著者)ならずとも、気になるところである。

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個人的にも、もっとも今後の動向が気にかかる『huGe+(ヒュージプラス)』のフライヤー。私もこのパーティに出られるまでは、長生きする!(笑)

さて、先述の「ROYAL FAMILY」は、かの「LD&K Records」が手がける店だ。所謂、“一般企業”がLGBTをターゲットにして二丁目に出店した店である。ひと昔前なら考えられないことである。ゲイマーケットというと海のものとも山のものともつかないように思われるが、実際は、こうして形作られつつあるのかも知れない。

私が三島由紀夫を筆頭に、石子順造赤瀬川源平嵐山光三郎鈴木康司武中労萩原朔美水木しげる……などなど。「ブラックユーモア」の名の下に、当時のアングラ・サブカルの騎手たちが集結していたのである。内容も、前衛芸術評論やシュールな漫画、文化批評など。いま読んでもハイパーで刺激的だ。70年代という時代のエネルギーに溢れた、異端文化の総合誌なのである。

ところが、この雑誌の広告はといえば……

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『黒の手帖』1971年1月号より。スポンサーのほとんどがこうした通販のポルノショップ。ちらほらと「男性(ホモ)秘写真」などのホモ向け広告が散見できる。

斯様なエロ広告ばかり(笑)。このスポンサー達は、この雑誌の内容に納得していたのだろうか。気になるところだ。それが原因かどうかはわからぬが、全18冊、1年4ヶ月の短命であった。その間の特集を拾い出してみると、「ドラッグカルチャー 恍惚革命」「暴力の性 その心理の深奥」「暗黒の未来論」「心霊術」「社会変革の性」「酒とゲロと開放」「性犯罪」「天国と地獄 ハッピーへの試論」……と、いまなら木村恒久は、なんと242人ものアメフト選手をコラージュ。しかも、目線入り。ホモのツボを心得た、心憎いデザインである(笑)。ここから読み解かなくてはいけないのは、この時代、まだまだホモは顔を隠さざるをえない存在であったということだ。優れたデザインというのは、雄弁に時代を語るものである。

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『黒の手帖』1971年1月号の表紙。242人のアメフト選手が並んだ壮観な眺め。全員が目線入りなのに、ただ一人、目線が入っていない選手がいた! この時代、ホモだとばれることが命取りであることは周知であったはず。なんらかのミスなのか? それともアウティングか? この人に会って、ホモかどうか確かめたくなる(笑)。

1971年という年はこれまでに何度も書いてきたが、『薔薇族』が創刊したことに象徴されるように、日本のホモにとって画期的な年であった。それに先立ちアメリカでは1969年に馬場あき子『一所の死への渇望』から始まる。『平家物語』の木曾義仲と今井四郎兼平の最期のくだりを引き合いに、主従を超えた結びつきに男色の香りをきくのである。続いて、金坂健二『ClosetからOpenへの通路』では、映画テディ片岡(片岡義男)は『脱・男根の思想と実践が、いま、まずなによりも、期待されている。』で次の様に語っている。

とにかく、それぞれの方法論にしたがって、部分的に女になっていく。
ホモとかオカマとかは、だいたいこのあたりなのではないだろうか。
そして、そのいきどまりとして、肛門性交があるのだ。女になったつもりで男を抱き、体内に男根がさしこまれてそれが射精するという、女性のオーガズムにとってのひとつのきっかけを、自分の肛門でやってみるのだ。うまくいけば、じゅうぶんに女として、これはどんな男性にでも、楽しみうるだろう。
しかし、これにだって、限界があるようだ。たとえば、ふたりとも男根どおし射精し終わってしらけはてる場面は、想像しただけで目の前が真っ暗になってしまう。

(テディ片岡(片岡義男)『脱・男根の思想と実践が、いま、まずなによりも、期待されている。』より)

このトンチンカンな考察も、時代の限界だったのかもしれない。アメリカかぶれでバイクとサーフィンにしか目のないノンケ文化の権化のような片岡義男にとって、実存のないホモの存在をなんとか理解しようと努力した結果なのだろう。それでも、ノンケがホモを理解してくれようとしただけでもマシなのか……。

この後、『石崎浩一郎連載対談』でも特集に歩調を合わせるように、映画松本俊夫をかり出し「両性具有とホモ・セクシュアリティー」について討論している。

石崎 両性具有とかホモとかいう第三人種には現実の性のあり方に満足しないで、現実の矛盾を超えた、いわばフィクションとしてのもう一つの世界を夢みるような願望が働いているからです。神の存在もある意味では一つのフィクションですが、神というにはあまりになまめかしすぎるような両性具有の神には、現実の向こう側になにか男と女の現実を超えた、全円の存在を志向する意志が働いているように思う。
(『石崎浩一郎連載対談/ゲスト 松本俊夫 〜 暗闇の映像作家』より)

あれれ……。こうした言説が、いつもホモをフィクションの世界に閉じこめてきたのだな(笑)。そもそも、特集タイトルである『ホモロジー』も、バイオロジーやテクノロジーと同様に語尾に-logyを付けて、ホモ学、ホモ論、ホモ科学といった意味の造語だろう。この語からも、時代が懸命にホモについて理解しようとしている様子が読み取れるのである。その多くが、愚にもつかない抽象であり、観念であったとしても(笑)。この時代、まだまだホモは調査され、研究され、思考され、哲学される対象物でしかなかった。ホモが主体となり自らを語り出すのは、ようやく90年代に入ってからなのである。そして、その頃、青春を謳歌していたホモ達が、いまや名実共に“でっかい男”となって『huGe+』に遊びに来ちゃったりするのである(笑)。

 

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『黒の手帖』1971年1月号のカラー口絵より、かなもとこうじ イラスト・文『真夜中のゲイ・ウーマン』。

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『黒の手帖』1971年1月号のカラー口絵より、原栄三郎 撮影『私の中の美少年』。モデルは、橘進。

ノンケ男達が頭を振り絞ってホモを理解しようとしてくれている一方で、女は、やっぱ、すごいね。ホモの実存をきちんと捕まえ、ズバッと言ってのけるのである。読んでいて、面白い。

「単に女になりたいだけの性倒錯者って、あんまり好きじゃないわ。めめしいから。わたし、女っぽい感覚って、いやなのよ」
「だけど、やつらは本物の女みたいに、ずぶとくはないよ。けんめいに女を装うその姿は、いじらしくて涙ぐましいじゃないか」
マァちゃんは、微笑しながら、そういった。私は彼のかげりのない笑顔を見ながら、この男もあるいはホモ・セクシュアリティーの傾向があるのではないかと考えた。
少しも女っぽいところはないが、それとて油断できないのだ。倒錯者が女っぽいとは限らない。男でありながら(以上、傍点)、より男らしい男になりたがる者もいる。

もうすんのコラムの更新が滞っている。んで、今回は、彼に代わって私が話題のイベント『huGe+』を紹介してみたのである。そのもうすんと一緒にやっているイベント『UGLY』は、10月25日(金)に開催。

ただし、私は、新橋「XEX」の『WHISTLEBUMP YELLOWEEN』出演のため、お休みだ。申し訳ない。二丁目よりも規模のデカいノンケパーティを選んでしまった私は、本当にせこいオカマである。ごめんなさい。でもね、これにはいろんないきさつがあったのよ……というわけで、この日は二丁目と日本橋の両方をハシゴしていただきたい(笑)。

 

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『UGLY』2014年10月25日(金)、新宿二丁目・doop tokyoにて。詳細は、http://iflyer.tv/ja/event/206677/#langで。

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