第8号 一人だし、負け組だけど、みじめじゃない 〜「90年代世代の同窓会」②

「老後の新聞」第4週は、1960年代生まれ、1990年代のゲイリブのうねりのなかでモノゴコロつき、いま中年期からのLGBTライフを模索する私と同世代の人びとにそのリアルな思いを聞いてみる「90年代世代の同窓会」をお送りしています。今回は、1967年生まれ、47歳、Aさん(ゲイ)のストーリーです。

●どんな90年代だったの?

小学4年時、好きな男の子がいて、自分は周りと明らかに違うと自覚したAさん。そのゲイライフは、東京と固く結びついてきました。

「東京に嫁いだ姉がいて、高校時代に遊びに行ったとき、渋谷の東急ハンズの洋雑誌コーナーで偶然見つけた『アドボケイト』(米国のリブ系ゲイ雑誌)に、マッチョがいっぱい載っていてショックを受けた。東京には欲しい情報やものが溢れ、短絡的に恋人探しもできると考え、東京の大学を志望しました」

80年代中盤、一浪して出てきた東京ではじめて『薔薇族』を手にし、サークル参加や文通欄での恋人探しに。
「まだワープロ以前で、手書き原稿を持ち寄ってコピーし同人誌を作る文系サークル。会名も忘れてしまったけど、メンバーと飲み会や旅行もした。文通欄での出会いは恋愛に至らず、出足を挫かれたというか、ホントもてない大学時代でした」

社会人となってもゲイの登山サークルに参加したり、「42会(よんにいかい)」という同年代の飲み会に出て知り合いの輪を広げていきます。「42会」が若者サークルだったなんて、時の流れは残酷です(笑)。

「20代半ばでようやく恋愛もして、遅い春が来た感じ。知り合った彼が着替えを持って転がり込んできて、半年ぐらい同棲したり。そのころ知り合った友人のほとんどは連絡が途絶えてしまったけれど、今でもつきあいのある友人もいます。ただ僕の傾向として、イヤなことがあると関係を切ったり、同棲や共同生活を煩わしいと感じることが多いみたい。後年、親しい友人とルームシェアしたこともあったけど、生活音や掃除の仕方でトラブルが重なり、喧嘩別れした」

90年代の後半からは、勃興してきたゲイ向けパソコン通信に加入。そのオフ会に参加したり、主宰者の影響もあって、当時ブームになっていたゲイ系インディーズバンドにハマります。そして2000年代、東京のLGBTパレードにもボランティアやスタッフとして参加。成功の喜びと運営の厳しさをともに体験。90年代のゲイブームの余波をかって、パレードという対外的にもアピール度が高いイベントへ乗り出しながら、運営内部にはまだ社会的運動に違和感のある人も少なくなく、さまざまな潮流が未整理のまませめぎ合い、パレードが開催と休止をくり返していた時代でした。

一方、仕事のほうですが、「90年代前半、新卒での就職先は不動産ディベロッパー。億ションがポンポン売れ、営業マンも1戸売れば年収分が稼げ、買った物はかならず値上がりするとみんなが信じていた時代。でも、僕の入社年からパタッと売れなくなり、その夏には希望退職者を募って社員半減、数年後に倒産。当時の先輩社員には、バブル期に焦って購入したマンションのローンで苦しんでいた人もいました」

その後、たびたび転職を繰り返し、現在はやはり不動産関係の会社にいるAさん。でも、最近になって退社を決意し、業務の引継ぎを進めているところだそうです。

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●50歳を目前に、これからどうする?

「これまで何度か転職していますが、(セオリーとはいえ)経験や持っている資格にこだわり過ぎていた気がします。30代・40代で新たな資格を取ってまったく別の道を歩んでいる友人の例もあるし、これから先のことを考えると一生続けられる仕事に就きたいと。たとえば、僕の父は田舎で理髪店を営んでいますが、80歳過ぎて現役。僕があとを継ぎ、店舗にこだわらず、高齢者宅や施設に出張する訪問理容もあるかなと。さいわい退職後、数年は無職でも、スクーリングも可能な生活費の蓄えはできました。ただ介護もそうですが、ニーズはあっても実入りの少なさは覚悟しないと、ですね」

「僕はグルメでもないし、海外旅行もしない地味なゲイライフで、映画やゲームで余暇を過ごすことが多い。今後の生活資金については昨年、満期が来た終身保険を、自分が死んでもいまのところ困る人はいないので解約。相応の返戻金がありました。医療保険も解約し、この返戻金も貯蓄に。病気になっても、公的な健康保険の標準治療でいい。母の遺産を相続したことも助けになっています」

中年ゲイの、これも生存戦略でしょうか。でも、田舎へ帰って、自身のゲイライフはどうなるのでしょう。かつてヒリヒリするような情熱で望んだ「東京」。故郷はまさに、ゲイの自分にとって真逆の世界ではなかったのか。

「今さら気づいたんですが、僕はそんなにセックスが好きじゃなかったということです(笑)。筒井康隆の小説だったかな、近未来、人間はセクシストとオナニストに分かれて、みたいな笑い話がありました。僕はオナニスト側だと思う。相手がいても、最後は一人でしごいてフィニッシュ。ネタがあってオナニーしてれば、それで済むのかも。加えて、この30年の東京暮らしで半年ぐらいの不完全な同棲経験しかなく、パートナーシップが具体的にイメージできないんですよ、哀しいことに。万一、パートナーができても、会ったり連絡を取りあうことができれば十分かも」

Aさんはけしてアセクシュアルというわけではないようですが、強制「つがい」社会、恋愛至上主義、2人でいてこそ幸せは、「なんか自分は違う」とも。

「東京在住にこだわらなくても、自分ぐらいの性生活、ゲイライフなら、身近にエロ動画さえあれば事足りるような気がします。実家暮らしに移行したとしても、人肌恋しければ電車で30分の地方都市にサウナもウリ専もあるし」

ゲイライフと東京とが表裏一体だったとき、田舎へ戻るのは「都落ち」のみじめさを伴っていました。いまは一つの選択肢として、十分成り立ちえます。

「ただ、田舎は思った以上に文化的刺激がないので、そこは覚悟しないといけない。映画や商品は来るけど、演劇やコンサートは来ない。やはりライブの醍醐味に慣れてしまっているから、そこが心配」

そのときだけは、寂しそうな目をしました。

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●自分にとっての幸福のカタチ

静かな人、地味な人、マイペースな人。それがパープル・ハンズのイベント等に参加してくれているAさんへの私の印象でした。ゲイというと、二丁目でお酒を煽りながら、さまざまな武勇伝をおもしろおかしく語る人。出会いに、クラブに、ハッテンに、つねにスポットライトが当たっている人……。その一方で、Aさんのような、ことさらに彼氏を求めるわけでもなく、一人で、田舎回帰も考えているゲイもいます。でも、Aさん、それってなんだか寂しいし、負け組っぽくない?

「うーん、たしかに一人は寂しいときもあるし、経済的にも負け組の自覚があります。けれど、可哀想というのとも違うし、世間で言うほどみじめじゃない。それなりに楽しい—-楽しいというか、べつに不満はない。恋人がいれば楽しい時間も過ごせそうだけど、面倒なこともついて回るし」

「強がりの部分はあるけれど僕みたいな境遇の人、意外に多い気がします。先日、一人でライブに行った東京ミッドタウンで、来あわせたゆうゆうと買物や食事をしている家族連れを見て、自分とはまったく違う階層を見る思いでした。僕はこれまで通りサラリーマンとしてなにをどうがんばっても、そこにはたどり着けないし、目指してもいない。彼らのような富裕層は、一代で成り上がる人もいるだろうけど、結局、親が富裕層ということも見えているし」

「僕の部屋は賃貸、20平米のワンルーム。自転車通勤のために都心立地だけは譲れず。上京して以来、コタツからなんにでも手が届く便利さに慣れ過ぎ、部屋を使い分ける発想がありません。30平米あれば収納が増えて便利そう—-身の丈はそのあたりまで。政治家が叫ぶ成長戦略とかやればできるとか、遠い話に聞こえて……」

オシャレが売りの2CHOPOでこんなゲイライフ、紹介しないほうがいいのかもしれないけど(苦笑)、この気持ち、わかる、わかるとお思いのご同輩も少なくないのでは。

「ただ、一人はたしかに不安です。今まで大病しなかったけど、どっかで倒れたり、そのまま死んだら、ゲイコミュニティの友人にも連絡がつかない。だからパープル・ハンズにも参加してみた。病院の駆けつけとか、死んだら貯金は誰に渡すとか、身内とは別なところで連絡しあえるゲイのご近所づきあいは考えておきたい。入院時の着替えや冷蔵庫片付けとか、やっぱりカムアウトしてない肉親は驚くだろうし。それでも、基本は一人暮らし。前回のLP研で聞いた、シングルOLが30代でも葬儀社に死後事務を相談してる例を知り、そういう備えも必要なのねと」

Aさんや私が多感な時期を過ごした80年代に、話題になった小説『シングル・セル』(増田みず子、1986)や評論『シングル・ライフ―女と男の解放学』(海老坂武、1986)。日本で初めて「シングル」が思想になった時代の影が、Aさんにも漂っている気がした私でした。

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