第4話 オーストラリアでのライフセービング修行

 Comment  連載   米田豊土のLife Style Academy              

こんにちわ!お元気ですか?ダイエット伝道師、米田です。
今日はオーストラリアに単身修行に行った時の話をしようかなと思います。

27歳の10月、7ヶ月間の滞在予定で日本を出国しました。やる事、やりたい事は明確でした。ライフセービング発祥の地であり、先進国であるオーストラリアでのスキルと知識の習得及びレベルアップ。また、サーフボードを直す技術はかっこいいと思い、それを習得するためサーフボードの工場での就労。これに加え、英語の勉強も必須でしたね。

今回の旅立ち以前にも毎年1ヶ月くらいの期間で行っていたので、土地勘もあり、到着後すぐに活動が可能でした。ただ、この国でライフセーバーをするにはライフセービングクラブに所属し、資格を取得しなくてはいけません。ほとんどお金がない状態で行ったので、早急に働かせてくれるサーフボードの工場を見つける必要がありました。

と言う事で、最初のミッションは地元のライフセービングのクラブに所属し、資格を取る事、サーフボードの工場を探すところからです。日本でこの辺りの準備をせず全部が直撃でした。準備してればもう少し楽にスタートできたんでしょうね(笑)そしてなんとかどちらも受け入れ先が見つかったわけですが、ライフセービングクラブにしてもサーフボードの工場にしても、英語も喋れなかった私を受け入れてくれた理由が未だにわかりません(笑)感謝感謝!

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サーフボード工場で働いた当時。

出来ない英語を必死に勉強してひたすらに毎日を生きていました。充実し過ぎていて、今でもあの生活をまた体験したいなと思うこともしばしばあります。滞在中はほぼ同じような日々を過ごしていました。朝起きて先ずは波乗り、英語の勉強、工場へ出勤、夕方はライフセービングクラブに行ってトレーニング、週末は資格の講習会と単調ながらにも異国での生活だったので刺激はたくさんあったし、退屈なことは一切ありませんでした。

オーストラリア滞在2ヶ月を過ぎ、なんとか必死について行ったおかげでライフセービングの資格試験に合格!…と言っても私が最初に取得した資格は、高校1年生から取れるものなので、日本で10年弱の経験を持つ私にとっては本来知っていて当然の知識でした。英語という壁に悩まされていただけで(笑)工場でもなかなか世間話についていけないし、ライフセービングクラブでもなかなか、輪の中に入っていけない。。。英語が分からないのは結構しんどかったですね。逃げ出して帰国しようかと本気で悩みました。このまま居ても意味がないのではないかと思うくらいでしたが、ひとまず逃げ出したら意味がない。とにかくやり遂げよう。その気持ちだけでどうにか一生懸命苦しい毎日を過ごしていました。

しかし、何事も必死に取り組めば必ず報われるんですね。英語に苦しむ私にライフセービングのインストラクターが「私は日本語が全く喋れない。でもあなたは英語が少しでもしゃべれる。たとえ少しでも、違う国の言葉をしゃべれるなんて、すごく羨ましい!」と笑顔で言ってくれました。(あっ、英語が良く分からないので(笑)おそらくこんな感じの表現でした。)この言葉に私はすごく心が救われたのを今でも覚えています。凄く単純な言葉かもしれないけど有難い言葉でした。

オーストラリアでの修行は、自分の人生にとって貴重な時間でした。7ヶ月と短くも濃い時間を過ごすことができました。頑張ったおかげで、日本人では5人程度しか持っていない、オーストラリアライフセービングの上位資格も取得することができました。
28歳になった5月。自分でも言ってしまえるくらい、一回りもふた回りも人間として成長できた7ヶ月間でした!

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オーストラリアの空の下で友人と。

ちなみにオーストラリアのビーチでは、男性同士のカップルが手をつないで楽しそうに歩いているシーンはごく自然な光景です。いつか日本でも同じような光景を当たり前だと思える、そんな日が来ればいいなと思う伝道師なのであります。

 2014/11/15 18:00    Comment  連載   米田豊土のLife Style Academy              
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