【映像】ジーナ・ロセロ:なぜ私はカミングアウトしなくてはならないのか(TED)

 

 

世界は「あなた自身ではない」ものを与えてくれることがあります。自分自身の中では、自分が何なのか、どうあるべきなのか、はっきりと感じることもあります。しかし、心の中で疑問が湧きます。「どうしたらそうなれるの?」と。

私もこのような経験をしてきました。ただ、私は一人ではありませんでした。決して一人ではありませんでした。

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ファッションモデルになったとき、小さな頃からの夢がやっと叶ったと思いました。心と外見がようやくマッチしたのです。詳しくはまた後ほどお話致します。

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この写真をみたとき、「ジーナ、やったね!ようやくやり遂げたね!ここまで来たね!」そう思いました。しかし、これは序章に過ぎませんでした。

私たちは皆、型に嵌められています。家族、宗教、社会、歴史、そして自身の身体。中には勇気を持って立ち上がる人もいます。肌の色や信仰、周りの人たちによって判断され、押し付けられ、制限されることを拒み、立ち上がる人たちです。彼らは日々「何が受け入れられるのか」という脅威に対し、向き合い、戦っています。

私のケースをお話しましょう。この9年間、隣人、一部の友人、同僚、事務所さえも私の歴史を知りません。ミステリー小説では「正体を表す」という表現になるのでしょうか。

これが私の物語です。

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私は男の子として生まれました。生殖器の見た目によって男の子だと判断されました。

5歳のときのことをよく覚えています。いつもTシャツを頭に巻き、家の中を歩き回っていたのですが「Tシャツを頭に巻いたりして、なにやってるの」と母に咎められたときには

「お母さん!これ、僕の髪の毛なの。僕は女の子なの!」

と答えていました。私の性自認です。

“ジェンダー”は、いつも事実しかなく、不変なものだとされてきました。しかし本当は可変的で、もっと複雑で、謎に包まれたものなのです。

私は成功したこともあり、自分の本当の生い立ちを話すことにずっと臆病になっていました。それは決して、自分に対して負い目を感じているわけではなく、自分のようなものを社会がどのように受け入れるのか、私たちの自由をどのように壊そうとするのか、その事実を痛いほどに知っているからです。

 

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私は毎日、自分が女性であることに感謝しています。ありのままの私を受け入れてくれた母親がいて、父親がいて、家族がいて。それにすごく感謝しています。しかし、みんながみんな私のように恵まれているわけではありません。

古くからアジアの文化には神秘に包まれたジェンダーを祝う祭りが数多くあります。仏教には慈悲の女神、ヒンドュー教にはヒジュラの女神がそうです。

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8歳のとき、フィリピンの「フィエスタ」と呼ばれる、このような神秘を祝う祭りに参加しました。そしてステージの最前列に陣取り、次々とステージに立つ美しい女性たちを目にしました。

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女性たちの姿は自分の心を強く打ちました。「これだ!これが自分がなりたい女性像だ!」と。

私が15歳で、まだ外見や服装は男の子だったときのことです。T.L.という女性に出会いました。彼女はトランスジェンダーの美人コンテストのマネージャーでした。「なぜ美人コンテストに参加してみないの?」と声を掛けてくれたのです。更に彼女は「もし参加することになったら、参加費用や必要な道具の費用などを全て負担してあげる」と言いました。

そしてその夜、ベスト水着賞、ベストロングドレス賞を勝ち取り、なんと40名以上の候補者の中から準優勝に輝くこととなりました。自分の人生が変わった瞬間でした。突如として自分が美人コンテストの世界に足を踏み入れることになったのです。

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初めてのお仕事がトランスジェンダーの美人コンテストのクイーンだと言うことが出来る人はすごく希少だと思います。なので私も敢えてそのように言うことにしましょう。

15~17歳のときには全国各地、数々の美人コンテストに参加しました。トラックの荷台で開かれるものから、田畑の横道で開催されることもありました。雨が降れば―フィリピンではよく雨が降るんです―運営者が慌てて誰かの家を手配し、そこを会場にしたこともありました。

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見知らぬ人からの優しさも沢山経験しました。旅程や人里離れた田舎でなど。何といっても一番はこのコミュニティを通して、生涯の友人たちに出会えたことです。

2001年、サンフランシスコに住む母から「あなたのグリーンカードを取得出来たからアメリカに移住出来るわよ」と電話が掛かって来ました。私は直ぐに拒否しました。「ここはすごく楽しい。友達が大好きだし、色んなところに旅行するのも、美人コンテストでクイーンに輝いたりするのも楽しいの!」しかしその二週間後、再び母から電話が掛かってきたのです。「知ってる?アメリカに移住すれば名前も、性別も変えることが出来るのよ?」その事実が全てを決定付けました。

当時、アメリカでは名前や性別を変える前に、性転換手術を既に済ませている必要があったので、19歳のとき、母の付き添いの下でタイで手術を行いました。田舎じみた都市だったにも関わらず、タイでは安全で高度な技術の手術を受けられたことがすごく印象的でした。

その年、サンフランシスコに移住しました。カルフォルニアで取得した自分の免許証をみながら、「Geena」という名前(母の強い希望で”e”を2つ付けました)が記載され、そして性別には「F」と書かれているときの胸の鼓動の高鳴りは今でも忘れられません。本当に衝撃的なことでした。

免許証といえば、運転出来ることを証明できるものだったり、未成年でないことを証明しお酒を飲んだりが一般的です。しかし、私にとっては生きるための証明でした。威厳を持つための。それまでの色んな事に対する恐怖がちっぽけなものになったことを感じた瞬間でした。
夢を追うことも、ニューヨークに行ってモデルになることも可能なのだと。

しかしながら、みんながみんなこうなるわけではないのです。

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この女性は「アイラ・ネトルズ」だったかと思います。ニューヨークに住む若い女性でした。勇気を持って自分自身の事実と共に生きましたが、憎悪にまみれて命を絶つことになりました。これが私たちのコミュニティの現実です。自殺率はトランスジェンダーではない人たちの9倍にも及びます。このような人たちを忘れないために、毎年11月20日の世界的なトランスジェンダー追悼の日には眠りません。このステージに私が立てるのも長い歴史の中で、たくさんの人たちが立ち上がり、不公平と戦ってきたからこそです。

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こちらはマーシャ・P・ジョンソンシルヴィア・リヴェラです。

今日、この瞬間、私は本当の意味でカミングアウトをしたいです。

もう自分だけのために戦うのはやめます。他の者たちが何も恥じることなく、怯えることなく、正々堂々と日の光を浴びて、生きられるために、戦っていきたいです。

私はここにいます。皆さんの視線を浴びています。

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いつか、11月20日のような眠らない日が必要となくなるために。

私は心の底、奥深くから、私が誰であるのか、受け入れることが出来ています。

あなたはどうですか。

ありがとうございました。

▷原文を読む(英語)※日本語字幕あり
Geena Rocero: Why I must come out
https://www.ted.com/talks/geena_rocero_why_i_must_come_out?language=en
▷出典
TED
https://www.ted.com/

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