第12号 関心は「終活」、44歳レズビアンのマイウェイ~「90年代世代の同窓会」③

パープル・ハンズに参加してくれるレズビアンのKさんは、メガネに短めの髪、地味な服装で、生成(きな)りな風貌といえば聞こえはいいけど、あまりモテにはこだわらない感じ(苦笑)。私には二昔前のビアン——フェミニスト・レズビアン(男性社会への異議申立てからレズビアンであることを「選択」し、男性社会で評価される女性性を拒否した、「自分らしい」ライフスタイルをとった女性たち)を思い出させた人でした。

44歳、1970年生まれ。どんなライフヒストリーを秘めているんだろう。そう思って、インタビューを申し込みました。

 ●「鈴木保奈美」風が、突然「ブス」になった——27歳

「高卒で就職のため上京。私、そのころ髪も長くて、東京ラブストーリーの鈴木保奈美みたいな格好してたんですよ。90年代のはじめ、バブルの最後で、ジュリアナで踊ったこともあるなあ。お給料は、あればあるだけ使っちゃうタイプだった」

Kさんが、自分がレズビアンだと気づいたのは幼稚園のとき。好きな男の子の後にならびなさいと言われて、女の子が好きだったので、そのとき自分はみんなと違う、でもこれは人に言ってはいけないんだ、と気づいたと言います。それ以来、自分のなかの感情には蓋をしつづけてきました。
「ネットもない時代、学校の図書館で関係しそうな本をこっそり探した記憶があります。当時「モーリス」という映画の宣伝をフジテレビがよく流してて、当然、実家で見たいなんて言えず。早く都会へ行きたいと思ってました」

そして就職、彼女の「保奈美時代」が始まるわけですが……。
「職場で女子同士でつるんで遊んでいたのが、結婚で一人減り、二人減り。結婚後も続く友情なんてないわけです。私はご祝儀だけとられ、でも、私の人生に恋愛はないわけですね。私は一切、レズビアンコミュニティには接触しないようにしていましたから。自分に向き合うのが怖かった。結婚適齢期の最後の山を迎える30歳前後で、女子は焦るわけですが、私は27歳のとき、突然「女装」を止めることにしました」

いまでこそレズビアンと性同一性障害の違いは認識できているけど、当時は女子として女子が好きなのか、女を好きな自分は男子なのか、よくわからなかったと言います。そしてある日突然、今のスタイル——化粧しない、コンタクトしない、パンスト履かない、髪もバッサリ。突然「ブス」になって現われたので職場は驚愕。そして、つぎに出会ったのが「宝塚」。

「29歳のとき、初めて見ちゃったんです。それ以来、私の生活は宝塚一色。女性性をやめてみても、やっぱり自分をビアンだと認めたくなかった。といって男の人を好きになることはできない。そのウジウジした気持ちを全部ヅカにぶつけてたわけです」
宝塚はジェンヌごとのファンクラブがしっかり組織されていて、公演での拍手から楽屋の出待ち・入り待ちまで世話人を中心にピッチリ統制がとられ、パワーの入れあげ先には事欠きません。Kさんもしっかりハマります。
もっともそれだけなら、リビドーを持て余したアラサー女性がヅカにハマるの図で終わるわけですが、Nさんに37歳のとき転機が訪れます。

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 ●人生があと残り半分しかないんだと気がついた——37歳

「私はもともと生理痛が重く、外出先で生理が始まって激痛で、救急車を呼んだこともあるんですが、37のとき、ついに子宮内膜症で、幸い良性で死にはしませんでしたが、入院・手術しました」
ベッドに寝ながら、37歳のいま、人生がちょうど中間で、あと残り半分しかないんだと気がついたとき思ったのが、「もう自分がレズビアンであるということを見て見ぬ振りはできない」。

それ以来、Kさんの遅まきながらのコミュニティデビューが始まります。
「いろんな団体があることは知っていましたが、接触したことはなかったんです。近い場所だとなにかあってはいけないと思って(そこが内なるフォビアかもしれませんが)、少し遠い場所にある団体に連絡をとり、女性オンリーのミーティングに行ってみたのが初めてです」

そこでミクシーや掲示板などを教えてもらい、出会いにもチャレンジ。「私のデビューの時期が遅かったのか、自分の資質のせいなのか、うまくいかなかったですね」と苦笑します。ビアンの出会い探しって、どうするんでしょ。ワタシ、意外に知りません。

「ゲイはどうか知りませんが、ビアンってすごく条件が細かいの。年齢、体型、喫煙の有無、タチかネコか——いまフェムって言うかな。ゲイのように○○系とかが定着してないんで、細かく書かないとわかんないんです。でも、あまりハッキリ書くと肉食っぽいので、キレイ売りする(笑)。そのわりに、なかなか会うところまでたどりつかない。何回かメールをやりとりしてプツッと切れたり。ゲイは会ってまずヤッてから、なんですか(笑)。ビアンはヤレる人というより、やはり恋人探しメインで、だから条件が厳しい」

いつまでもラチの開かないネットより、バーなどリアルの場でお話するほうがいいようです。
「40歳過ぎたころから、二丁目の飲み屋にやっと行けるようになりました。会ってお話する人のほうが、まともというか、健全。そういうところで顔見知りぐらいは、じわじわできましたかね。でも、ビアンバーが格別高いとは思わないけど、女子内の経済力の格差が感じられるのも事実。私は正規職で、チャージ代ぐらいはべつに問題ないんだけど、SNSのマイミクの人をバーに誘っても、チャージが嫌、もったいないと言われることが多い。女子内部の経済格差も、二丁目のつきあいには影を落とすようです」

自分を受け入れるという課題はどうなりましたか?
「以前は「レズビアン」とさえ口に出せなかった私ですが、全然OKになりました。職場でこそオープンにはしてませんが、場所によれば聞かれればレズビアンですと言いますし、名前も本名を使ってます。人間関係でこじれて職場にアウティングされても、私も職場も「それで、なに?」でしょうし」

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 ●自分史講座で自分の死亡記事を書いてみた——44歳

Kさんが昨年から関心をもったのが「終活」。おひとりさまの自分の後半生を考えたとき、いやでも気になったテーマでした。私の事務所でのライフプラン講座においでになり(拙著は以前、読んでくださっていたそうですが)、それが機縁でパープル・ハンズの賛助会員にもなってくれました。LP研などの情報も、有益に活用してくださっているそうです。

「去年、おひとりさまの人が考える終活に関心を持ち始めたんですね。一般のおひとりさま女性のためのNPOにも参加しました。おなじころ、自分史を書く講座に出たんですよ。「自分の死亡記事を書く」という課題が出ました。享年や死因、そして生い立ちから略歴……。私は70歳で死ぬ設定にして書いていくなかで、今後の人生を自分はこうやって生きるのかな、というのが見えたら、なんだか精神的におだやかになれたんです」
「今後パートナーはできるかもしれないし、できないかもしれないし、でも、どっちもいい、私の人生だから、という覚悟みたいなものができた。ステキで明るくはないかもしれないけど、いろいろ焦って、○○でなければならない、と右往左往する感情からは解放されたんです」

最後に44歳レズビアンの日常を聞いてみました。
「仕事は忙しくて、毎日9時ごろまでは在社。金曜の夜、二丁目のバーに行ってオンとオフを切り替えて、翌朝目が覚めたら土日。店は1、2軒。オールはもうできないわ(笑)。土日の過ごし方は、今年は積極的に旅行に行こうと決めてました。宝塚大劇場、祇園祭……、一泊二日ですが私にしちゃよく行った。みんな一人旅です。あと、よく晴れている日の夕方はサンシャイン60の展望台に行くの。夕日がきれいなんですよ」

「出会い営業は、挫折したまま。いまはそんな気持ちがないですね。私が性的にあまりどん欲でないせいかな。女性でも肉食系の人はスゴいしね(笑)。ビアンも「きれい・かわいい」はモテの要素だけど、私は27、8で女から降りちゃったので、もうそれをやる気はなくてね(笑)」
いまは病気のとき少し頼める家事サービスとか、(高齢)おひとりさま向けの見守りサービス、死んだあとの片付け委任とか、あったらいいな。血縁だからといって頼めるわけでもないし——と、サバサバ語るKさんです。

1人でも、2人ででも、肩の力を抜いて自然体で、これからもセクマイ同士、一緒に歩んでいけたら嬉しいな、と思ったインタビューでした。

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【おまけコーナー】
キャミーちゃんのイラストでつづる、東中野さくら行政書士事務所のご紹介も今回が最終回。第4話は高齢・おひとりさまセクマイを支える「老後は見守りで安心の巻」。お一人暮らしの先輩がたがいらっしゃったら、ぜひ、弊事務所のことをご紹介ください。なにかお手伝いができるかもしれません。初回のご相談は無料です。

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