第76回 「LGBTの方々」とはいったい誰のことなのか?~あるいは、私はLGBTでないというカミングアウト

「LGBTの人は割合で言えば約5%、20人に1人。つまりクラスに1人は必ずいる計算になるんですよ」

……こんな言い回しを、あなたも聞いたことがあるかもしれないわね。

まきむらよ。

194306f7035ed95ed16876b6e72b1f3d

「LGBTは、クラスに1人はいる」。
LGBTというものに親近感を持ってもらおうと、誰かが考え出した表現なのでしょうね。けれどわたしはこの表現を、少なくとも学校という場でお話させて頂くときには、もう二度と使わないと決意しました。

なぜか。
こんな話を聞いたからです。
4267d386336f10e9e93e5de64335af13

「クラスに1人はLGBTがいるんだって~!」
「うちのクラスだとたぶん、あいつがソッチ系っぽいよねwwwww」
「LGBTなんでしょ? 正直に言いなよ、ありのままの自分でいいんだよ(笑)」

LGBTがクラスに1人はいるという説明を受け、それではクラスの中でいったい誰がLGBTなのか、教室内で“犯人探し”が始まってしまった……という悲しい話を。

「LGBTとは、いったい誰のことなのか」
この言葉が日本で広く使われるようになった今こそ、もう一度問い直す必要があります。

「LGBTとはレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの略称で、いわゆるセクシュアルマイノリティの人たちのことです」。

こんな説明がなされつづける限り私たちは、「そもそも性のことについて誰かがマイノリティ扱いされること自体がおかしい」という根本的なお話を忘れ去ったまま、LGBT当事者/非当事者」という新たな壁を積み上げてゆくことになってしまいます。自分がどちらに属するのかわからない、あるいは決めつけたくないという人たちを、積み上げられてゆく壁の下敷きにして押しつぶしながら。そして、「LGBT非当事者」とされる人たちを、壁の向こうに押しやるようにして。

「LGBTとは誰のことか」。LGBTのためのコミュニティサイトと銘打つ2CHOPOのリニューアルによせて、今回はこのことを今一度、言葉の歴史を振り返りながら考えていきたいと思います。

★はじめに、なにもかも「同性愛者」扱いされる時代があった
「いい年した女のくせに結婚しないなんて、同性愛者なんじゃないのか?」
「男なのに化粧をしてる、さては同性愛者なんだな!」

男の子は男らしく、女の子は女らしく育つ。やがて成人し、異性とペアを組んで結婚し、子どもを育てて次の世代につなげていく――。それをしない/できない人間が、誰もかもまとめて「同性愛者」と呼ばれる時代がありました。大体1960年代くらいまでのことです(まぁ、今も続いていると言えなくもないけれど)。

この頃の考え方はとっても単純でした。「異性愛の反対は同性愛。ならば、男らしく/女らしく異性を愛することができない者はすべて同性愛者だ」というわけです。そして「同性愛者」というのは、「異常者」に等しい響きをもつネガティブな言葉でした。

そこで、人が「自分は同性愛者だ」と胸を張って名乗るための言葉として、もともと「陽気な、楽しい」といった意味の「ゲイ」を使うことになりました。つまりこの時代に、LGBTの「G」の誕生があったわけですね。

そして「ゲイ」という言葉のもと、いわゆるゲイ用語・ゲイアイコン・ゲイクラブシーンといった「ゲイ文化」が発達してきます。こうして、ゲイバーに集い、ゲイ用語で話し合い、ゲイに人気の女優や歌手をスターとして崇めながら、実際は男性同性愛者に限らない様々な「シスジェンダー※(size:1 color:red)異性愛以外の人たち」が「ゲイ」の合言葉のもとに連帯を深めていきました。

(※シスジェンダー……「男とされて生まれ、男として生きる/女とされて生まれ、女として生きる」。生まれた時に割り当てられた性別と、本人の自認する性別が一致する状態。)(size:1 color:red)

そしてついに1969年、ニューヨークのゲイバーで歴史的事件が起こります。「ストーンウォールの反乱」……警察の不当な弾圧に対し、「ゲイ」として連帯した人々が一丸となって抵抗した初めての夜です。

★つぎに、「同性愛者」が立ち上がるため「同性愛者でないもの」を排除した
49909dac7c5549603727397602f7ae77

「ストーンウォールの反乱」を境に、今でいう「ゲイリブ」、つまり同性愛解放運動が盛んになりました。しかし、ここで一つ問題が起こります。「ゲイ」の権利を訴えるためには、そもそも「ゲイ」とは誰なのかという定義が必要になったのです。

そのため、こんな議論が大真面目に交わされました。

「トランスジェンダーは本物のゲイじゃない。あいつらは男のままで男を愛する勇気がないんだ。社会が押し付ける『男と女』の形に自分を当てはめようとしている奴らなんだ」

「バイセクシュアルは本物のゲイじゃない。同性とヤるだけヤったらいずれ異性との結婚に落ち着こうとしている、いいとこどりの卑怯な奴らだ」

いわば「自分の方が本物だ、お前は偽物だ」合戦ね。とてもじゃないけど「ゲイの権利を訴える」ような状態ではありませんでした。

★そして、「私たちはLGBTです」という連帯が生まれた
そんな過去を反省して、1980年代後半に「LGBT」という連帯のあり方が生まれたのです。もともと「GLBT」という順番で使われることも多かったのですが、なんでもかんでも男を先にするのは男性中心主義的であるという考えから「LGBT」という順番に落ち着くことになりました。

つまり言ってしまえば、LGBT」は三重の差別から生まれた言葉であるということね。
・異性愛から異性愛でないものへの差別
・LG(同性愛)からBT(偽物の同性愛とされたもの)への差別
・男性から男性でないものへの差別

もちろん、ここで「男が悪い」とか「異性愛者が悪い」とかいう結論に落ち着きたいわけじゃないのよ。そうじゃなくって、言いたいのは、LGBTとは人間の種類ではなく、考え方の枠組みである」っていうことね。

LGBTの人たちとそうでない人たち」がはじめからいたわけではありません。人が「私たちはLGBTです」と名乗らなければ生き残れなくなるような差別的な状況があったからこそ、それに立ち向かうための考え方の枠組みとしてLGBTという言葉が作られたのです。

ところが、どうでしょう。現代日本におけるLGBTという言葉は、“LGBTの方々”だなんていうふうに、まるで人間の種類を言うみたいに使われてしまっているのではないかしら。

★今、LGBTという言葉は奪われつつある
15f34877fdecafb706253e1dceb13dd5
(写真:Ludovic Bertron from New York City, USA  [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons)

「○○兆円市場! LGBT市場を徹底解剖!」
「LGBTの方々に配慮して、このような表現は避けるようにしましょう」

現代日本語では“LGBT市場”とか“LGBTの方々”とかいった言い方で、ある特定のカテゴリの人々を指さす言葉としての「LGBTが定着しつつあります。「私たちLGBT」と自称するための言葉が、「彼らLGBT」と他称する言葉になってしまった、というわけね。

するとどういう問題が起こるか。大きく分けて2つの問題が起こります。

(1)「LGBT」という新たな一つのカテゴリを外側から眺めるような視点が生まれてしまう。
LGBTという言葉を生むにいたった、特定の性のあり方しか認めない頭の固さ――つまり、異性愛でないものを異常扱いし、男性でないものを軽視し、中心的なゲイ文化に馴染まないものを「本物の同性愛でない」とニセモノ扱いする――というような性の不平等で苦しむのは、いわゆるLGBTに限りませんね。

なのに「世の中にはLGBTという人たちがいます」という説明がなされてしまうと、LGBTというある種の「かわいそうな他人」が生まれてしまい、一人一人が性の不平等に対して自分のこととして取り組むことができなくなってしまいます。

「LGBTの人たちを応援します! 俺は男だから、我慢しなきゃいけないことも多いけど……」
「LGBTの人たちを見て、愛のかたちは人それぞれでいいんだって思えました! 私も早く愛する人を見つけないとね、いつまでも独身女でこの仕事続けるわけにいかないし(笑)」

そんなふうに根本的問題を置き去りにしたまま、性の不平等をあたかもLGBTだけの問題であるかのように勘違いしながら、とどめのように“LGBT当事者”からこんな一言が発せられるのです。「私たちLGBTとちがって、ノンケは悩んだこともないんだろうな~」。

(2)LGBTという言葉が指す人々の多様性が見落とされてしまう
繰り返しますがLGBTとは人間の種類ではなく、考え方の枠組み」です。なのに「LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなどといったセクシュアルマイノリティの総称」という説明をされてしまうと、なんていうか「いわゆるそっち系の人たち」みたいなもやっとしたひと群れの人間のイメージが立ち上がってきちゃうわけよね。

そこでたとえば、こういう残念なことが言われはじめます。

「LGBT当事者としてのご意見をお願いします」
「LGBTの方々は総じて高学歴で、クリエイティブな専門職に就く傾向にあり……」

もうね、またか! って感じよね。性のことでひとまとめにフォルダ管理されて一定の役割やイメージを押し付けられることそれ自体が苦しいからLGBTという考え方を作り出したのに、まったく、同じことを繰り返してどうするっていうのよ。

LGBTを説明する時によく言われる「性のあり方は虹のグラデーションのように多様だ」っていうことを本当に奥底から理解したならば、自然とわかるはずです。誰ひとりとしてLGBTを代表なんかできないことや、LGBTの総意だとか傾向だとかいうものを想定すること自体がLGBTという考え方の枠組みに反しているということを。

だからもうそろそろ、おしまいにすることを考え始めなくちゃいけないわね。

★「LGBTの方々」とは、いったい誰のことなのか~あるいは、私はLGBTでないというカミングアウト
「私たちLGBT」と自称することで、LGBTでない人」や「LGBTなのかどうかわからない/決めたくない人」を閉め出してしまうくらいならば。

「彼らLGBT」と他称されることで、根本的に性のことで人間が区別され差別される問題自体から目をそらしたままLGBTという新たなカテゴリを生んでしまうだけならば。

私は今一度、カミングアウトをしたいのです。
もともと“出てゆく”という意味を持つ、カミングアウトをここでもう一度したいのです。

私に「LGBT向け商品」を売らないでください。
私に「LGBT当事者の意見」を求めないでください。
私は、LGBTではありません

信じています。人が“LGBT向け”をわざわざ必要としなくなる日を、人がLGBTを自認するかどうかに関係なくLGBTカルチャーを楽しめる日を。「LGBTの方々」とか「LGBT市場」とか「LGBT当事者向け」といった言葉が、LGBTという言葉の歴史をかえりみることなく使われはじめた今だからこそ、私はあえてLGBTを名乗らずに書き始めようと思うのです。

あなたは、あなたを生きている。私は、私を生きている。そうやってみんな違う中で手を繋ぐための魔法の呪文が「LGBT」なのよ。「LGBTの方々」という存在が本当にいるとすれば、それはLGBTのことを“LGBT市場”とか言って目を¥マークにしながら見る人の頭の中ではなく、こんな長い文章をここまで読んでくれるようなあなたを包むようにして微笑みかけてくれる画面の向こうの誰かたちのことでしょうね。

ということで、読んでくださってありがとうございました! また来週月曜日にね。まきむぅでした◎

 


【関連記事】
▶2014/2/17 第34回 あなたは虹色の旗で誰かをぶん殴ってはいませんか?
▶2014/3/24 第39回 「LGBT」は「同性愛」のお上品な言い方ではありません

Top