第16号 46歳、上川あやが今思うこと〜「90年代世代の同窓会④」年忘れ特別編

上川あや——MTFトランスジェンダー・アクティビスト、そして世田谷区議。90年代半ばからトランスジェンダーのコミュニティに参加してきた。時代は「性同一性障害」の診断と治療のガイドライン策定(1997年、日本精神神経学会)、それによる性別適合手術の「合法」化、そして戸籍の性別変更に道を開いた特例法(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律、2003年)の制定へとうねり、上川自身も時をおなじくしてトランスジェンダーを公表して区議選出馬、当選……。激動の現代トランスジェンダー史は、そのまま彼女の激動の前半生に重なる。
その上川も46歳、中年まっただ中。トランスの老後はなにが気になり、なにが課題なのか?
「46歳になった今、ようやく中年の自覚が出てきたけれど、未来展望は茫として描けず……。そんな私の話でいいのでしょうか?」。そう答える彼女にロングインタビューを試みた。
 ●90年代から25年、なにが変わったか

——トランスジェンダーのこの25年を振り返り、当事者としてどんなことをお感じになりますか。

まだトランスジェンダーという言葉もなかった90年代はじめ、私が自分自身の混乱を整理し受け入れるには、相応の苦労がありました。わずかな情報を頼りに新宿二丁目やゲイサークルに行っても、私の感じている違和感に共感してもらえず、居場所もない。日本でおそらく初めて開かれた性転換者の勉強会に参加できたのが95年。そこでトランスの人と会い、はじめて混乱が整理できました。
でも、当時はおなじトランスに会うのでさえ、サングラスにマスク。当然、本名も隠して。コミュニティに接点をもつことに多くの人が恐れをもっていました。やっと情報を得て医者を探し当て、ホルモン投与をしてトランジション(性別移行)が進んでも、その先にあるのは水商売か、社会的かかわりをすべて断って性が違うことを悟られないように暮らすか。望む性に移行したら、コミュニティにはもうアクセスしない(埋没系といいました)とか、町で会っても絶対声をかけないという「不文律」がありました。
それが今では、あえてコミュニティに接点をもたなくても、ネット上の豊富な情報を頼りに、性別変更まで一人でいく人だっている。若い子の中には自分がトランスであることをあまり隠さず、学生生活を謳歌する人もいて、ガイドラインでは15歳で、胸のオペもホルモン投与も可能。高校生で手術まで経て、実質、性別移行している子もいるんですよ、と先生向けに講演することもあります。

 ——法律があり、性同一性障害と言っても「ああ、アレですか」となってきたことは大きいですね。

でも、だれもがポジティブに受け止めているわけでもなく、問題はありますね。最近もあるFTMの大学生が就職内定を取り消され、相談を受けました。会社も表面上は違う理由をつけていましたが、トランスへの偏見が理由のようです。結局、彼は卒業までに性別適合手術や性別変更を急ぎ、身辺を整えることにしました。
一方、当事者の足下を見て不要な検査を強いるクリニックが出てきたり、海外での手術がネット申し込みの斡旋ツアーと化し、帰国後、トラブルになる人も少なくないなど、新しい課題が聞かれますね。

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上川あや(かみかわ・あや)
1968年、東京都生まれ。1998年、精神科医より「性同一性障害」であるとの診断を受け、先に開始していたホルモン投与につづき、以後、完全に女性として社会生活を送りはじめる。2003年4月、世田谷区議会議員選挙に立候補して当選、現在3期目。
2012年6月、在日アメリカ大使館により「国際勇気ある女性賞」(Woman of Courage Award) の日本代表に選ばれた。
上川あや公式ホームページ

 ●トランスジェンダーの老後問題とは?

——さて、本題の老後の話をうかがいたいと思います。ゲイは90年代世代が40代に入る2000年ごろから老後の話がチラホラ出るようになりました。トランスではその点、いかがですか?

リアリティをもって老後について話すようになったのは、やはりここ最近でしょうか。以前、講演会で、70代で手術し80代で性別変更したかたに、「私が日本最高齢の性別変更だと思います。生きているあいだに性別変更できるとは思いませんでした」と御礼を言われました。残された時間と自分らしさとのせめぎあいは、トランスにとり切実な課題ですね。私が2004年にタイで手術を受けたときにも、顔の女性化と性器の手術を受けにきた50~60代の白人に多く出会いました。人生の折り返しを過ぎ、自分に正直に生きたいと願う切実さが印象的でした。

 ——やはり容姿容貌の変化は大きな課題ですか? たとえば上川さんは自分がお婆さんになることはどうですか?

まあ、それは仕方ないかな(笑)。でも、娘時代がないぶん、花の期間が短すぎる。トランスは体内に女性(男性)ホルモンを作る機能を欠くので、ホルモン補充をしています。友だちと、「私たちいつまでホルモンやるんだろうね」とも(苦笑)。ホルモンを止めれば、まさに更年期。容貌も衰え骨粗鬆症の可能性も高まる。移行した性別を技術で維持していることを普段は忘れているけど、今後どうやってランディングしていくのかも、課題かもしれません。

 ——ゲイがいつまでもジム通いで男性性を維持するのと同じ? 介護予防筋トレには役立つでしょうが(笑)。

介護といえば、身体接触の問題はありますね。社会生活とパンツの中身は関係ない! と元気なときなら言えるけど、自力でカバーできなくなった要介護の身ではそうもいかない。胸もあるけどペニスもあるとか、性別適合手術は受けていても陰茎や膣まで作っていない場合もあります。入浴やおしめや着替えの際、驚かれたり陰口叩かれたり、心地よくないことが起こりそう。介護の現場では、最後まで男女の性別がついて回りますね。上の年齢の友だちから、親の介護の話とともに、自分のときはどうなるのかな、と不安の声も聞きます。
会社では女性として働いてきて、戸籍の性別までは変えていない年上の友人は、地方にセカンドハウスを持っていて、向こうに友だちもいますが、村では絶対、住民登録はしないって。女性と認識されているのに、登録して男性だとわかったとき、狭い村で情報が漏れでない保証はない。身体が動くうちは村に住んでも、要介護になったらそこが終の住処にはならないと言っています。

 ——セカンドハウスなんて、そのかたはお金はあるようですが、ところでセクマイと貧困について、トランスではいかがですか?

広義のトランス*でスタンダードなコース(通常の異性婚をし、正規職を得ているなど)に乗っていればともかく、収入は世間の平均値に比べたら低いと思います。またMTFは転職が多く、FTMはバイト志向が強い印象です。手術希望の人はその費用もかかるし(健康保険は不適用)、手術で長い期間休めば退職にも繫がりがち。一度辞めると再エントリーが難しい時代なので、そこで轍(わだち)にはまる人もいます。多くの人は目前の生活を成り立たせるので精一杯で、その先の老後のことまで考えられない。メゾン・ド・ヒミコじゃないけど、老後はみんなで住もうよとは言いますが、まだまだ「あったらいいね」の話です。
 *トランスジェンダーのすべてがホルモン投与や性別適合手術を望むわけではなく、一時的な異性装などで心のバランスを回復する人もいる。手術や性別変更の要件としての診断名が「性同一性障害」である。

 ——パートナーシップと社会での対応は同性愛ではよく話題になります。トランスではいかがですか?

私のパートナーはFTMで、性別変更もしています。法的な結婚はしていませんが、事実婚といえば病院などでは通じますし、説明がメンドウなら「妻」で通します。でも、以前、彼がちょっと入院したとき、書類に妻と書こうとして、書き慣れてなくて思わず「毒」って書いて、彼に大笑いされました(一同爆笑)。重篤な病気とか相続とか法的婚姻が要件になれば、今後、婚姻するのかも。婚姻届って、やっぱり出すのに勢いが必要で、出会って数年はその勢いがあったけど(笑)、その時期に性別変更はかなわなかった。おたがい意に沿わない性別での結婚には、「僕はあんたの妻になりたくない」「私もあなたの夫になるのはイヤ」って(笑)。
パートナーシップでは、FTMにカップルが多い印象はあります。二人で仲良く手をつないでジェンダークリニックに来て、「そのカノジョがみんなかわいい」という都市伝説があります(笑)。性別変更して男女にならないと法的結婚はできないけれど、婚姻してなくても見かけ上、男女に見えるので、事実婚だといえば、税金や相続以外は通じる場合もあるでしょうね。トランスした性で異性愛という人たちも多いので、性別変更すれば婚姻など男女前提の制度にも乗れ、同性愛カップルのように書面がどうとかには関心が低いかもしれません。
ただ、一人暮らしの人もかなり多く、性別の問題などからいろいろ公的サービスにつながることにも消極的、あるいは最初から諦めていらっしゃる人もいる。孤立の問題は深刻ですね。

 ——葬儀とかお墓は話題になりますか? 戒名は「信士・信女」など性別ハッキリ系ですが、抵抗を感じるという話を聞いたことがあります。

身近に戒名の悩みは聞いたことないですが、葬儀とトランスは昔から大問題でした。見た目が変わり、親戚に会えない、と。トランジションしてしまうと、過去の人間関係を整理せざるをえない人も多くて——私は選挙ではじめからフルカミングアウトでしたが(苦笑)。あと、自分が死んでも、遺影は親戚を驚かせないためにトランジションまえの写真を出すとか。セクマイとお正月問題も同様で、以前は帰省しない人がよくうちで年越ししましたね。

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アメリカ大使館でのLGBTプライド月間レセプションで(2013年6月)。右隣は、今月から2CHOPOでの連載が始まったNPO法人SHIPの星野慎二さん。(写真提供:星野慎二さん)

 ●小さな声を届け続ける

——多くの性的マイノリティが生きづらさを抱えています。社会が私たちの存在を認め、同性婚を一例とする法制度を調え、私たちにも生きやすいように変わっていくために、上川さんのような政治の場にいる人の果たす役割は重要だと思います。

みなさんの期待はわかります。私自身、社会を変えたいと声をあげ、議員になった人間です。ただ、その前段として役所のなかにいて感じるのは、行政職員に、性的マイノリティのニーズへの実感が乏しいことです。役所には、私は困っている、変えてほしい、どうにかならないか、などと来庁し訴えてきたり、電話やメールを送ってきたりする人が大勢います。そうした日々のリアリティのなかに、性的マイノリティの存在は見たことがない。人口比から一定数存在するとは理解するが実感がない。区民の要望を受け付ける広報広聴課の課長も、そうした手紙やメールはこれまで見たことがないといいます。
一方、世田谷区役所には5,000人の正規職、2,500人の非正規がいて、その中には私にカミングアウトしてくれた当事者も十数名いるのですが、これは責めているのではありませんが、二の句はかならず「職場には内密に」なんです。その存在はあくまでヒミツなんですよ……。
欧米では、国が同性婚を認めていない時分から、域内でそのパートナーシップを認めてきた自治体が少なくありません。世田谷区でも独自に工夫できないか、私も保坂区長とすり合わせて議会で前向きな答弁を得ていますが、現場の課長や部長にどうも熱意が見られない。上川一人が言うだけで、そんな区民どこにいるのか? 一人でも「変えてほしい」と言ってきた人がいるのか? こんなに忙しいのに……と疑問符を浮かべられてしまうと、打ち消す材料すら乏しい。こういう状況は変えないと。私は区民で区税も払っている同性カップルを区長室にぜひ連れていきたいと思い、声もかけているんですが、多くは熱意に乏しくカップルの足並みもまたそろわない……。
課長や部長は「そんな人いるの?」、当事者職員は「秘密でお願いします」、当事者の多くはだんまりか尻込み……。私一人が議会で熱く求めているだけで、当事者不在なんですよ。

 ——上川さんはよく同性婚の情報をツイートしますよね。トランスなのに?

私の友人にも、ゲイやレズビアンが多くいます。彼らが無視、あるいは二級市民扱いされることへの違和感や怒りがあります。法律には、それを使う人に限らず、社会の認識さえ変える強いアナウンス効果があります。異性愛も同性愛も平等な存在だと、ひろく理解してもらうためにも、同性婚法制は必要だと思います。
ただ、そう感じる一方で私は、非当事者のトランス。私がとれるのは、あくまでサポートロール(応援役)です。それが本当に必要だというなら、闘わなくちゃいけないのはゲイやレズビアンの当人。そして、闘わなければ権利はない、No fights, No rightsです。台湾でも最近、30組近い同性カップルが婚姻届を出して不受理になり、裁判も始めました。欧米でもどこでも、リスクを引き受け、実際に汗をかき、動く人たちにより道が開かれてきたことを、日本の多くの仲間にも知ってほしい。そんな思いで情報をツイートしています。

 ——たしかに海外の同性婚を羨むだけではなにも変わりません。

最近、性別変更後に法的婚姻をしたFTMと女性の夫婦で、第三者からの精子提供で生まれた子どもとの父子関係を法的にも認める画期的な最高裁判決がありました。かつては自分がどうトランジションするか(だけ)が課題でしたが、いまは家族形成へも挑戦は広がり、権利の回復には裁判も辞さない。闘うステップが上がってきました。
同性愛の人はなんで裁判やらないんですかね。96年の「府中青年の家裁判」以後、ありませんよね。プライバシーが問題というけど、「父になりたい」裁判は、実名も顔も晒さず家族を守りながら闘い勝ちました。方法を考えましょうよ!

 ——来春は統一地方選。区議ももう4選目です。

来年も挑戦します。私は、自分が正しいと思っていることを曲げられるのが嫌い。理不尽にはファイトが湧いてきます。そして、議会は市民の生活に直接かかわる「公共性」を問い直す場所。ずっと議員でいたいとは思わないけど、その場での議論にやりがいを感じます。
私自身、かつて性別一文字が変えられないために、家が借りられず、正社員をあきらめ、健康保険で医者にかかることを躊躇し、つねにマジョリティから取りこぼされてきたという怒りや悲しみから議員になりました(『変えてゆく勇気』岩波新書、に詳述)。当選後は法律もでき、私自身、性別変更し、私が超えたかった壁は越えることができた。実際、1期目が終わるとき、続けるべきかどうか迷いました。
でも、社会には同じように、こぼれ落とされてきた人たちがいる。そして社会の偏見を恐れて沈黙し、役所もそれを無かったことにしている問題も多い。きちんと勉強し議論することで、誤りを認めさせ、変えられることは多い。今はその実感をもちながら仕事をしています。
ただ、最近は若いころと同じ勢いで仕事ができなくなってきて(笑)、いのちを削っている感じです。ツールとして選挙や政治家を選んだけれど、これが私の終着点かというと疑問も。やっぱり基本は安心して静かに暮らしたい市民なんですよ。でも、それを多くの人にかなえない社会が嫌。なので当面、政治家は続けていくと思います。

(2014年12月10日 世田谷区役所にて)
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当日は台湾立法院(国会)に上程中の婚姻の平等法案作成の原動力となった団体、台湾伴侶権益推動連盟・常務幹事の徐蓓婕さん(左隣)、その通訳も兼ねて現地の事情に精通する北海道大学大学院教授の鈴木賢さん(中国法専攻、左端)も同席。徐さんのインタビューでも、台湾の動きなどを踏まえ、活発な応答が行なわれました。

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