第43回 人生という旅と、母の覚悟。オカマの意地。 エイダン・チェンバース著『二つの旅の終わりに』

 

母に会う。丈夫でいるのをいいことに、ひとり暮らしでほったらかしの母から、年の瀬にメールが届いた。「ひさしぶりに会いましょう、話があります」という短い文面に、ひやっとする。すわ一大事!と思ったが、立て込んだ女装仕事を片づけて、都下に住む母のもとを訪れたのは、年も明けて4日のことだった。齢80を過ぎた老女のひとり暮らしである。ささやかだが精一杯の正月の膳が用意されていた。思ったより元気そうでひと安心する。
ひとしきり、たがいの安否を確かめ合う。ひさしぶりの対面である。話が弾むかと思えば、そんなこともない。一方的にしゃべる母と、気のない相槌をうつ私。
「実はね」と母が切り出した。「実はね」と前置きされた話にいい話がなかったのは、この人の息子を長いことやって来たので予想がついた。ところが、なにを言い出すかと思えば、「ルーツ探しをしてきた」というのである。
母は、複雑な生い立ちであった。それは辛い過去だったらしく、私は、彼女の出自について細かな断片でしか知らされていなかった。私も、そんな気配を察して、生い立ちを尋ねるようなこともしてこなかった。それが、珍しく彼女の方からこんなことを語り出したのだ。
彼女の母、つまり私の祖母は、「気丈」な人だったと、母は言う。彼女の父は、彼女が幼い時に、祖母と離縁した。母は、自分は「捨てられた」と言ったが、何があったかは、わからない。その後、祖母は再婚をした。この夫が非道い男だったらしく、連れ子で、継子であった母は、ずいぶんと苛められたようだ。祖母と再婚相手との間に子供、母にとっては異父弟妹が出来てからは、さらにつらい日々だったようだ。
子供の頃、弟妹は食卓を囲み、自分だけが土間で食事をさせられたと悔しそうに語る母。幼い頃から働きに出され、稼いだわずかばかりの金も養父に持って行かれたとも語った。言葉にはしないが、養父への恨みと、自分を守ってくれなかった彼女の母(私の祖母)への憎しみが、静かに静かに伝わってきた。
そんな母が、80を過ぎて、人生の末期に、突然、生父の故郷を訪ねる気になったという。幼い頃に離ればなれになった父親の、わずかな手がかりをもとに、彼の生まれ故郷に出向いていったのだ。もちろん、たどり着けるはずもなかった。それでも、東北の小さな町まで行ってきたというから驚いた。「同じ姓の家がたくさんあって、結局、わからなかったのよ」と笑いながら、彼女の旅の話は、そこまでであった。母は、とうの昔に死んでいる自分を「捨てた」生父に、なにを伝えようとしたかったのだろう。恨みつらみなのだろうか、それとも。
正月早々である。こんな話を聞かせられても、話の継ぎ穂にも困る。そのわりに彼女は晴れ晴れとした面持ちで、さっと空いた食器を下げ、ミカンをもった鉢を持って戻ってきた。炬燵にミカン。それは、絵に描いたような家族の団らんの象徴だった。
彼女の人生という旅の目的は、しあわせな家庭を築くことであった。不幸だった生い立ち。自分の母親との確執。生父への愛憎。それらを帳消しに出来るぐらい、自分が、しあわせな家庭を作ること。愛される、しあわせな母親になること。それは、彼女の執念であった。
ところが、人生とは、そんなうまくはいかない。彼女が結婚した相手、つまり、私の父は、長患いの寝たきりとなった。母は、仕事と看病と子育てと、苦労の多い人生を送るはめになったのである。それでも、父が死に、兄が結婚すると、彼女の肩の荷もすこしは軽くなったのだろう。しあわせな家庭への妄執がぶり返った。
 兄に子供が出来ると、大喜び。息子がしあわせな結婚をして、孫が出来た。そして、自分は「しあわせなおばあちゃん」になれるのだ! 自分が苦労してきた分だけ、帳尻合わせをするかのように「しあわせな母」であり「しあわせなおばあちゃん」という幻想にしがみついた。
その頃からである。母が「次は、あなたの番ね」と口に出すようになったのは。彼女の幻想を補完するためには、もうひとりの息子である私のしあわせな結婚と、孫が必要不可欠であったのだ。とはいえ、私が同性愛者であることは、とうの昔にカミングアウトしていた。それなのに、である。顔を合わせるたびに、「次は、あなたの番ね」と言い出す母親とは、次第に距離を置くようになっていった。オカマの意地を張っていたのである。
ある時、またも「次は、あなたの番ね」と言った母親に、私は、自分が同性愛者であることを受け入れてもらえないなら、親子の縁を切るとまで言い放ったのである。彼女は、急に黙り込んだ。まるで、なにも聞こえなかったかのように。
彼女の人生の目的である「しあわせな母」「しあわせなおばあちゃん」の実現を阻害する、オカマの息子。しかも、自分が腹を痛めた子供である。彼女も、オカマの息子をどう愛していいのか分からなかったのかもしれない。そして、自分が母親の夢をぶち壊しにしているという負い目を感じ続けてきた、オカマの息子。私もまた、不幸な生い立ちの母をどう愛していいのか分からなかったのだ。とんだ家族ドラマであった。
そんなことをぼんやり思い出していると、彼女はいそいそと立ち上がり、「コーヒーでも飲む?」と言いながら、台所へ向かった。「いらない! ミカンとコーヒーは合わないじゃん」と答えたが、小さな背中に僕の声は聞こえていなかった。母は最近、耳が遠くなった。
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背景は、主人公のジェイコブ少年の敬愛したアンネ・フランクの肖像。もちろん『アンネの日記』の作者である。
さて、今回紹介する本は、エイダン・チェンバース著『二つの旅の終わりに』。著者のチェンバースは、本書で、「イギリス児童文学界の最高の栄誉、カーネギー賞を受賞、さらに、二〇〇二年には、児童文学への多大な貢献が評価され、小さなノーベル賞、とも呼ばれる国際アンデルセン賞を受賞とある(『訳者あとがき』より)。児童文学といっても、侮ることなかれ。私が、昨年中に読んだ本の中で、もっとも感銘を受けた本である。
物語は、17歳のイギリス人少年ジェイコブが、オランダのアムステルダムを訪れるところから始まる。彼は、第二次世界大戦中、オランダ戦線でドイツ軍と戦った彼の祖父が、当時、世話になったというオランダ人女性ヘールトラウに招かれて、病床の彼女を見舞いに行くのだった。
表題の「二つの旅」とは、ジェイコブ少年のオランダ旅行のことであり、また、死期の近いヘールトラウの送ってきた人生の旅のことである。少年と、若き日のヘールトラウの物語が交互に綴られていく中で、同名の祖父ジェイコブとヘールトラウとの間の秘密が明らかにされていく。 戦時下の極限状況の中で祖父ジェイコブとヘールトラウが選択した生き方に対比させ、ジェイコブ少年が悩み、迷いながら成長していく様が描かれる。
と、ここまでの紹介では、まったくホモ本ではないかのようであるが、ところがどっこい。「性と死、戦争と歴史、家族の秘密、さまざまな形の恋、安楽死や同性愛など先端的な問題までを含み、広く深く展開していく」(カバーに書かれた紹介文より)のである。
冒頭。ジェイコブ少年は、大好きな『アンネの日記』の、アンネ・フランク一家がナチスの目をのがれて隠れ住んだ、いまは展示館となっている秘密の部屋のある家を訪ねた町で、ひとりの少女と出会う。「その声には独特の深みがあり、それがまた魅力的」な少女トンと、カフェでおしゃべりを楽しむジェイコブ少年だった。
「もう行かなきゃ」トンはそう言うと、すっと体を離した。
(略)
 向き直ると、トンはテーブルの下でジェイコブの手を固く握りしめ、正面から顔を近づけて言った。
「もう一度会いたいな。観光客が絶対行かない場所に連れて行ってあげる。約束するよ。でも、ほら……ほんのちょっと話しただけだし。あとでしまったと思うかもしれないよ」
「いや、そんなこと ── 」
 同時に行われた二つの動作に、ジェイコブは言葉を失った。トンの唇がほんの一瞬、さっとジェイコブの唇にふれた。そして、握られた手がトンの股間に押しつけられると、そこには、ジーンズの下におさまったペニスと睾丸のふくらみがあった!
トンは、男だったのだ! 呆然とするジェイコブ少年に災難が降りかかる。椅子の背にかけておいたアノラックが盗まれてしまう。財布もなにもかも、そのポケットに入っていた。困り果てたジェイコブ少年は、ヘールトラウの孫であるダーンの部屋に身を寄せることになった。
大学生のダーンは、後に明らかにされるが、バイセクシュアルであり、なんとトンとも知り合いであったのだ。再会したジェイコブ少年とトン。
「大したことじゃない。でも、それだけでわかった。あの時のこと、ダーンに話した?」
「ああ」
「ぼくを女の子だと思い込んで、あとでそうじゃないってわかったことも?」
ジェイコブはうなずいた。
「ダーンはおもしろがっただろうね」
トンは、ジェイコブに諭すように語り始める。
ぼくみたいにゲイだって公然と認めている人間にとって、この町はよそにくらべれば暮らしやすい。でも、そのアムステルダムでさえ、相手がどう出るか素早く察することが出来ないと生きていけないんだ。
(略)
そう、予測するんだ。さもないと、われわれが暮らすこの素晴らしい世界、つまり、個性や、自分らしくあることの価値が重んじられているこの世界では……、建前はそうだろ?(略)いつも予測していないと、この素晴らしい世界では、自分らしくあることがぼくみたいにしていることだと、たちまち頭をたたき割られるか、もっとひどい目にあう。
トンと、トンの両親との確執や、ダーンと、彼の男と女の恋人との三角関係のエピソードを通じて、セクシュアリティや、結婚や家族といった現代社会のかかえる問題点が浮き彫りにされる。一方で、ヘールトラウの書いた手紙から、戦争という過去と、歴史に残された問題点が提起される。いよいよ旅の目的であったヘールトラウを病院に見舞ったジェイコブ少年は、彼女の残り少ない人生の決断と、祖父ジェイコブとの間の驚くべき真実を知らされる。物語の終盤。ジェイコブ少年とヘールトラウの、二つの旅が交差する。悩み、考え、旅の間に数多くの経験をし、トンやダーンをはじめさまざまな人間とふれあい、成長していくジェイコブ少年の物語である。
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エイダン・チェンバース著『二つの旅の終わりに』(徳間書店/2003年 発行/ISBN4-19-861744-9)
人生の終盤にさしかかった私の母も、ヘールトラウのように自分の人生という旅の物語を語り伝えたかったのかもしれない。秘密にしてきたことや、話せなかったこと。彼女にも彼女の経験があり、歴史があるのだと、あらためて知らされたのであった。
コーヒーを淹れてきた母は、ひと呼吸おいて、しゃべり始めた。死んだあとの葬儀のこと。雀の涙ばかりのわずかな遺産のこと。毅然とした語り口であった。そして最期に、こう言った。「遺産はね、楽しんで使い切っちゃいなさい。持ち家なんか建てたってしょうがないでしょ。あなたには遺す相手がいるわけじゃないんだから」 ……って、80にして、ようやく息子がオカマであったことを受け入れたのか。そんな物言いであった。でもねぇ、アンタ、そんな大した額の遺産でもないでしょ(笑)。

 

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