第20号 63歳ゲイが語る40年のパートナーシップ~「90年代世代の同窓会⑤」新春お年玉編

「老後の新聞」では月一でインタビューをお届けしています。先月上川あや特別インタビューにつづき、今月もお年玉企画で、「90年代世代」からは少しずれますが、パートナーと40年来の同居を続ける63歳(当時)の先輩の鶴亀インタビュー(笑)をお届けします。
これは2013年1月のライフプランニング研究会で、「エルダリーゲイの話を聞く会」として開催されたもの。話し手は、音楽の仕事をされているマサキさんで、2012年の秋に友人や親族も参加してパートナーシップ40年のお祝いをされました。パートナーは20歳年上のケイさん。それぞれ今年は65歳と85歳で、お元気に新年を迎えました。

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 1960年代、70年代のゲイライフ

マサキさんは1949年、東京生まれ。中学時代(1960年代前半)からエラ・フィッツジェラルドやビリー・ホリデーに傾倒するおませな洋楽少年は、小学生のころには自分のなかのゲイネスに気づいていました。

「小さなときから女の子と遊んでいました。だから男の子のいじめの対象になりやすいことは自覚していて、攻撃されないよう身を守るために、勉強できるとか、音楽が好きな早熟少年としてとか、みんなからすこし距離をとる方法を考えていたのかもしれません。一人称はボク。オレって使えなかったですね」

大学の英語学科に進んだのもジャズの影響でしたが、大学は60年代末の紛争で封鎖中。もっぱら音楽サークルの活動とジャズ喫茶でのバイトに明け暮れます。バイト先の店では若き日の村上春樹氏とも一緒だったとか。でもそんな時代、同性愛の情報なんてあったのでしょうか?

「ありましたよ。『風俗奇譚』などの風俗雑誌に同性愛モノが載っていたり、神保町の専門書店にはそんなコーナーがあったり。あと輸入雑誌を扱う書店で、一見トレーニング雑誌なんだけど、とてもきれいなメールヌードを載せていた洋雑誌(コレが当時のゲイポルノだったんでしょう)を意を決して買ったこともあります。71年には『薔薇族』が創刊されるけど、69年のストンウォール事件後のアメリカの熱い動きが英語でなら日本にもそこそこ入ってきていました。僕は英語をやっていたので『フロント・ランナー(原刊1974年)も原書で読んでいたし、『アフター・ダーク』というブロードウェイなどのエンターテイメント情報を中心とした輸入雑誌が当時とてもゲイ色を高めてオシャレだった。ゲイカルチャーのハシリで、僕らもそんなオシャレな一員なんだという思いもありましたね」

1990年に北丸雄二さんが翻訳する15年もまえに、『フロント・ランナー』を読んでいたのにはビックリ。

「のちに大塚隆史さん(美術家、作家、タックスノットオーナー。1948年生まれ)と出会ったとき、彼も僕と同じ情報をキャッチしながら生きてきたことがわかって意気投合。彼はそんなゲイスピリットをラジオ「スネークマンショー」で発信、そのリスナーの集い(今でいうオフ会)を開き、顔の見えるゲイのネットワークを作っていった。僕もそのなかに加わっていきました」

日本のゲイライフは90年代から、と安易に言ってしまうのですが、その時代なりに天窓をいっぱいに開き、世界からの情報を受け止め、プライドをもってゲイライフを生きてきた先駆者たちはいるのです。とくに「スネークマンショー」は35年の歳月を超えて今なお新鮮。若い人にはとくに聞いてみてほしい内容です。
ところで当時のセックスライフはどうだったのでしょう?

「やっぱり当時もいろんなハッテン場があって、僕はもっぱら映画館(笑)。『平凡パンチ』などに新宿の○○座、池袋の××館が……なんて潜入ルポ記事が出ると、だいたいどこかわかるから行ったのが高校時代。大学時代からは恋人ができたけど、男とは遊ぶもので、パートナーシップとかは考えていなかった。逆に、社会に対して、自分たちはこんなにたくさんの男と遊べるんだぞ、と裏返しの優越感を感じていたりしてましたね」

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マサキさんがもっとも敬愛するジャズ歌手、ビリー・ホリデー。一貫して「声」に興味を持ち続けてきたマサキさんは、オペラではマリア・カラスが大のお気に入り。ゲイのディーバ好きの伝統は、昔も今も変わらないのかも。
 20歳年上のケイと出会って

音楽サークルの活動では、プロのバンドから声がかかりはじめるも、72年に卒業後は両親の手前もあり一度は就職します。仕事の合間にレッスンに行ったりライブハウスで歌ったりしていたころ、20歳年上のケイさん(当時43歳)—-その後、現在までの40年余をともにするパートナーと出会います。

「出会いは二丁目の新千鳥街のお店。ケイは7年同棲してた人と別れ、会社でも不遇だった時期で、マスターが「男をつけてあげよう」って僕の友だちを紹介することに(笑)。見た目クールで編集者、詩も書くインテリというのに興味を引かれたこともあり、その友だちに頼まれて一緒に彼の家までついて行ったら、次の日から毎日、僕のほうに電話がかかってくるようになりました。夏が出会いで、12月には一緒に暮らすことに。僕は実家を出るいい機会だったし、彼の家は本とレコードの山なのもよかったし。まだ若かったのでいつでも別れればいいやって軽い気持ちで」

ケイさんと暮らし始めたあと、マサキさんは2年で会社を辞め、音楽専業に生きることを決意します。「収入のある彼と暮らさなければ、音楽の道に行こうとは思わなかったかも」と語ります。
そして一緒に住み始めて10年、今の家に転居するときに、マサキさんは両親に「これからもずっと彼と暮らそうと思っているので、一緒に引っ越す」と告げます。同居開始のとき(そのときは間貸し人として説明)に父親が挨拶に行って以来、正月には二人で実家を訪れ挨拶をする関係は続いていましたが、父親は「ずっととは、性的なことも含めてか」と聞いてきたそうです。「そうだ」と答えると父親は「それならいい」と。それが両親へのカムアウトでした。

「両親は、逆に性的にも結びついているしっかりした関係だと思ったようで、怒りもしなかったし、母も泣きもしなかった。前からわかっていたと思うんですが、よく理解してくれたと両親には感謝しています」

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このインタビューの模様は、『AERA』(2013.7.1)の拙稿でも一部を紹介しました。〈会場からはさまざまな質問が飛んだ。83歳と63歳の2人暮らしの日常やお金、住まい、介護のこと、そして万一の時や相続など。長続きの秘訣や2人が結んでいる養子縁組についても質問は多かった〉……

 40年、長続きの秘訣は?

では、お二人のパートナーシップについて聞いてみましょう。

「彼も、音楽専業になった僕も、仕事時間が不規則だったので、逆に一緒に夜遊びに出られたりしてよかったのかもしれません。音楽の趣味も、彼は聞かなかったジャズを聞くようになったし、僕も彼の影響でオペラにハマったし。20も年下の子がいつもジャズをかけているのを、彼はよくガマンしてくれていましたよね。今、逆に20歳下の子がAKBとかのべつかけてたら、僕は止めてって言ってしまいますね(笑)」
「40年、なぜ続いたのか。みんなウソだというけど、僕たちケンカしたことがない。言い合いとか、別れようとか危機に陥ったことがないんです。それは僕が「臆病」だからかな。気持ちが齟齬するときがあっても、僕が引いて流して、深刻な対立にしないようにしているとそのうち忘れるもんです。「チャーミング・シニア、クレバー・ジュニア」、人呼んでCS/CJの法則と言ってますが、年上は上から目線でかぶせずチャーミングに、下は甘えてばかりいないでクレバーに、これが年の差カップルのコツ(笑)」
「なにがカスガイだったんだろ。一時、ネコを飼っていたことがあるけど……。ともかく二人でいるとラクで、ウチに帰ればリラックスできるんですよ。僕はあまり旅行したいと思わない、休みなら彼とウチにいたい人なんですね」

ただ、長くなればなったで、べつの局面も出てきます。

「男同士、セックスは無くなりますよね。僕らはそうなったあとは、セックスの話はしないことにしている。オープンリレーションシップは、外でやってきたことを話したり、外でやることをお互いに許すことだけど、それで失敗した友人も見ているので、僕らは聞かず語らず」
「セックスって個人の財布みたいなもの。相手の中身を覗き込むのはあまり上品なことでないし、それぞれ使いたいものがあるわけで、そこは自己責任でご勝手に、と。セックスと恋愛を結びつけて考える人もいるけど、僕はそれがあまりない、セックスに過度の意味付けを与えてないんですね。彼がどうなのか、話してないのでわからないけど、彼が気持ちまでも浮気している確証をもったこともないし、僕が問いつめられたこともないし」

逆に法律的には転居を機に、養子縁組をします。

「おたがい双方の家族とも行き来があって、養子縁組という家族の枠に入ったことが彼側の家族にとっては逆に安心だったみたいです。親戚の法事や結婚式にはいっしょに出席しているし、40周年のお祝いにも来てくれました」

そして20歳年上のケイさんは、お元気ですが80歳代の現実も迫ってきます。

「僕は自分の両親が死んだときも、彼のもとへ帰ってくれば安心感があるので、あまり家族を亡くした喪失感に落ち込まなかったのですが、彼が亡くなる場合はどうなるのかは自分でも想像がつきませんね。彼が健康に気を使って日々、散歩にも努めてくれているのは、僕にたいする愛情だなと思っています」

そのマサキさんだって、このとき60代。

「日常で自分の年齢を意識することはあまりないです。ウチに帰れば僕は精神的には23歳、彼は43歳、出会った日のまま(笑)。顔にしわやシミがないにこしたことはないけど(笑)。でも、40歳過ぎたらホント早いですよ。あっというまに60、70だから」

会場に広がる苦笑も、テープにはしっかり録音されていました。

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パートナーシップは、「長きが故に尊からず」(長いというだけで偉いワケじゃない)かもしれませんが、「仲良きことは美しきかな」もまた真実。日本もこういう姿が近未来に見られるようになるのでしょうか。(San Francisco Pride Paradeで、永易写す)
 準備しておいてよかったこと

久しぶりに聞いてみたテープは、マサキさんの人柄もあるのでしょうが、内容豊富でホントにオモシロく、整理の都合上ここでは割愛しましたが、古式ゆかしいゲイの先輩たちのフリンジの効いた華麗な物言いや小ネタの数々をここに再録できないのは、惜しくてしかたありません。ジャズ、ロック、シャンソン……ジャンルごとのLGBT色の違いを語ったくだりなど、ちょっとした音楽のクィア批評としても聞きごたえありました。

いちおうこれはライフプランニング研究会での企画だったので、「ゲイのライフプランのコツは、経済力のある年上のパートナーをつかまえること」がオチでは、ホントはイケマせんね(笑)。でも、マサキさんは音楽で人びとを楽しませるために、神様がその才能はもちろん、パートナーや理解のある両親を与えてくれた、これもギフト(才能の意)かな、と思ったことでした。

そんな才能のない私たちも、マサキさんから学ぶことの一つは、その友人歴の長さです。お名前の出た大塚さんとは今も変わらぬ30年来の親友だし、ケイさんに連れられていったバーで知り合った友人(70年代の新宿らしく若い作家や絵描き、役者も多かった)も、みんな40年のお祝いに来てくれたといいます。友人を大切にすること—-「なーんだ」と言われそうですが、なかなかできないことかもしれません。ニックネームとアドレスだけはたくさんスマホに入っていても、いざというとき誰と助け合えるのか。いや、その人の本名は?……考えてしまいます。

最後に、フロアから出た質問の一つ、「エルダリーになった今、準備しておいてよかったこと、逆にもっとしておいたらよかったと思うことは?」に、マサキさんはこう答えてくれました。

「しておいてよかったのはカミングアウトかな。僕がいまでもノビノビやれるのも、家族にカミングアウトできたからだし、仕事場とか僕の周囲は、みんな知ってくれています。もちろん、社会的にだれにでもしているわけじゃないですけどね」
「しておいたらよかったこと? もっと浮気しておけばよかったかな(笑)」

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