第46回 息子のためにスカートをはいた父親の美談と、釈然としない思い。1954年の雑誌『千一夜』の、ふたなり特集。男か女か、二形か!

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TBS News i「同性カップルに“結婚相当”証明書、渋谷区が条例案」より。

きっと今頃の2CHOPOは、渋谷区の「同性間パートナーシップ証明書」のニュースで沸き立っていることと思う。気の早いオカマは、もう引越準備を始めているかもしれない。当然、私のホモ本コーナーでも、伊藤悟の『男ふたり暮らし』あたりを面白おかしく紹介すべきなのかもしれない……が、しない。絶対に、しない(笑)。もうお分かりのことと思うが、私はひねくれ者である。みんなが喜んでいることには、ことごとく水を差したい性格なのだ。なので、違う方向から攻めてみることにした(笑)。

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伊藤悟『男ふたり暮らし』(太郎次郎社/1993年 発行/ISBN 978-4811806228)

最近、目にした記事で、ヘンに心に引っかかっているものがある。Amebaが運営するニュースサイト「Spotlight」に掲載された『息子のためにスカートを履く父親…その理由には我が子への愛情が秘められていた』という記事である。

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Spotlight「息子のためにスカートを履く父親…その理由には我が子への愛情が秘められていた」より。

ドイツの田舎町に住むNils Pickertさんは、女の子の格好をしていたい5歳の息子さんが好きな服装で歩けるように、スカートを履いて一緒に街を歩くことにしたのです。
(略)
普段からスカートをはいたりマニキュアをつけたり、とにかく女の子のファッションを好んでいるようで、家の中だけでなく外でも同じように可愛らしい服装でいたいと望む我が子を見て、自分が我が子のロールモデルになるべく、彼もまたスカートを履いて一緒に街を歩くことを思いつきました。

(「Spotlight」に掲載されたBryan Ferguson『German Dad Wears Dress In Solidarity With Dress-Wearing Son』の翻訳記事より。)

という内容の記事。美談である。実に感動的である。この記事は、Facebookで57万もの「いいね!」を集めたのも当然かもしれない。私も女装オカマのはしくれである。思わず胸に込み上がるものを感じたし、目頭だって熱くもなった。幼い子供にとって、絶対的に自分を守ってくれる(であろう)と信じることの出来る父親がいることは、彼がこの先、生きていく上の自信を持つ拠り所となるだろう。素晴らしい話じゃないか!
……とはいえ、この読後感のスッキリしなさは何であろうか? それは、この父親のとった行動が、必ずしも“問題”の解決に繋がっていないからだ。これじゃ、ただの過保護のバカ親じゃないか!?と、ひねくれ者としては考えるわけである。もっとも、この父親が、実は、女装願望があり、子供をダシにしてその欲望を実現したと考えた方が、もっとずっと面白いし、本当の意味で感動的ではある(笑)。

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さて、今回、紹介するのは、1954年の雑誌『千一夜』。その1月号が、大々的に特集を組んでいるのが、『特集 性の倒錯異聞 男か女か二形か!』だ。雑誌全体で130ページ中、23ページもの大特集である。内容は……

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佐伯英之『君の名は!! 半男半女(ふたなり)』、女だと育てられたイネちゃんの辿った悲惨な半生を綴った告白手記。

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須澤太郎『ふたなりの醫學的考察』、国立医科大病理学教授による「半陰陽」の分類と解説。

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河田勇作『ふたなり男性を救うには 男を創る方法』、泌尿器科医が「女性化男性」に施す男性ホルモン投与の“治療法”を解説。

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座談会『男か女か? 人工の花婿と花嫁』、MTF2名とFTM2名と司会者を交えた座談会。日常生活でのさまざまなエピソードが語られる。

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山下哲之助『ふたなり女性を救うには 女体整形術』、婦人科医長が「半陰陽女性」に施す形成手術の方法を解説。

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近見哲『男か!女か! 美女豹変』、シンガポールで捕らえた中国人捕虜の少年兵を拷問すると、実は、彼は「半陰半陽」であった。次第に“彼”を愛し始めようになった軍曹はいかに!?、という内容の短編小説。

他にも、『ニュース・ストーリー』と題された囲みコラムが3本も。『男性に訣別する』『處女の名は男性ホルモン』『結婚詐欺で訴えられる』。

これだけの総力大特集である。世の中の関心の高さがうかがえる。というのも、この特集が組まれた、前年の1953年。アメリカの元G・Iのジョージ・ヨルゲンセン軍曹が、デンマークで除睾術と陰茎除去の手術を受け「性の転向(注/当時はそう呼ばれた)」を行ったというニュースが、世界中で話題になったからである。
この特集において、着目しなくてはならない点が、2点ある。ひとつは、インターセックス(半陰陽)とトランスセクシュアル、トランスジェンダーとが混在混同している点である。これは、当時の人間の理解の限界であったのかもしれない。
もうひとつは、正しい(完全なる)男ないし女にすることが救済であるという思想に貫かれていることである。この思想は、現在でも続いている。これは、ある意味、危険だ。それは、半陰陽のままで生きるという選択肢を、あらかじめ奪われてしまうからである。ま、それを望む人は少数かもしれないが……。それでも、セクシャルマイノリティの多様性とやらを訴えてきた私としては、釈然としない問題でもある(笑)。

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今回は、本連載始まってはじめてのトランセクシャル、インターセックスを扱った本の紹介である。どうせ、昔のホモエロ本を期待している読者諸氏にはもの足りなかったのではと思う(笑)。だが、そんな諸兄に朗報である。『千一夜』1954年1月号には、ちゃんと、きちんと、律儀に、ホモエロ小説も掲載されているのである。
新庄誠治『悦虐の奴隷』は、「女形の身でありながら現役兵として兵隊にとられた男が、北満の前線基地で、同性である兵を愛し、肉体交渉を持ち乍ら、一方、野獸のごとき性慾に飢えた古年兵に犯される」というお話。

……しかし私と野村兵長とは……そうです秘密があるのです、それは道に迷って曠原の中で夜を明かした時、私には入隊した当時から蔭になり日向になりして優しくしてくれていた野村兵長が、私がぐつすり疲れて草むらのしとねに身を投げだして眠つている間に、何と私のズボンを何時の間にかはがしてしまい、股下の紐までほどこうとかゝつていたのでした。
(略)
……あゝ俺は何と云う恥ぢ知らずなことを考へたのだろう、俺はお前が男性であることを百も承知でいながら、あゝ俺は狂つているんだ、許してくれ新庄、俺はお前のアレを確かめずにはおれなくなつたんだ。
(略)
“野村兵長!新庄二等兵は野村兵長が好きでありました。が新庄は今まで……”
私はこれだけをやつと声に出して言うと好きで好きでたまらなかつた野村兵長の逞しい腕の中へ身を投げかけていました。

この新庄二等兵は、復員後も野村兵長を忘れがたく、十年を経ても一人で暮らしている。

 あの人以外の人を愛する気には到底なれません。野村兵長の愛撫を思い出しますと、いまでも私の体ははげしく震えてくるのです。間違つているのでしょうか、男が男を愛してはいけないのでありましようか。神様。
(略)
たつた一度の悦虐の境地に魂を奪われてしまつた私は、正しく悦虐の奴隷でなくてなんでありましようか。それでも私は幸福だと信じているのです。

絶叫にも近い問いかけで、この小説(告白手記?)は閉じている。戦下での体験が、同性愛者としての自覚を与えた。戦争には負けたものの、戦後の同性愛者の自己肯定への戦いはこの時から始まっていたのである。そう考えると、感慨が深い。

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1954年1月号『千一夜』(桃源社/1953年 発行)

私は、スカートをはいた父親の記事のスッキリしなさが、とある記事の読後感と似たものであると思い至った。それは、抗がん剤の影響で頭髪が抜けた友人のために、クラス全員が丸坊主にしたという話だ。これまた感動的な話であるのだが、釈然としないものを感じたのだった。傷ついている相手に共感を示すことは、その傷を癒すのに効果的である。その意味では、クラスメートのとった行動は素晴らしい。だが、これまた、直接は“問題”の解決に繋がっていない。
安易すぎる。そう思うのである。“問題”の本質が入れ替わってしまっている。そうとも考えられるのである。だが、間違っているわけではないし、良いことでもある。だから、タチが悪い。正義を信じるものほど、残酷になれる。自分がそのクラスにいたら、イヤだな。正直、そう思ったのである。髪を切りたくないだなんて、とても言い出せなかったろう。ましてや、それ、論点ずれてるよ、なんて口が裂けても言えなかったろう。

物事は、「ルビンの壺」である。図と地。どちらを見るかで、まったく違ったものになってしまう。壺だと信じている人には、横顔など存在しない。逆もまた然り。だからこそ、壺が見えている時にこそ、横顔を見つけ出すことを心しておかねばならない。

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有名な「ルビンの壺」の図。

もうひとつ、気がかりなことがある。イスラム国である。後藤さんの殺害である。斯様なことは許されざることである。断固として抗議したい。……ところだが、怒りにばかり気を取られている内に、いつの間にか憲法が変えられて、戦争できる国になってしまっては、彼も死んでも死にきれないことだろう。壺だと思っていたら、いつのまにか横顔であった。そんなことになってしまってはいけない。
とはいえ、ひねくれ者の私は、後藤さんのニュースで日本国中が沸き立っているときには、「なんでぇ、オカマは見殺しだったくせして」と嘯いていたのである。もちろん、オカマとは、遙菜さんのことである。メディアを含め、世論や、政治家達の、ふたりの取り扱いの温度差に釈然としないものを感じていたからである。そんなことに気づくとは、つくづく難儀な性格だと思う。

今回の「同性間パートナーシップ証明書」は、とても喜ばしいことである。と同時に、これが、同性愛者の生き方を“家族”という制度に収束させ、限定してしまうことのないようにしたいものだ。“家族”にならなければ、法的な庇護が受けられないなどというものヘンな話である。そもそも“家族”という制度の完全性をも、まずは問いかけなくてはいけない。この問題の持つ別の横顔が、ひねくれ者の目には見えてきてしまうのである。

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