第47回 天丼が引き合わせたふたりの男をめぐる、楯四郞の『浅草怨念歌』 色気より食い気か。食い気より色気か。「食」とホモ本について。

 

一人飯(ひとりめし)が長いと、品がなくなる。自分のことでお恥ずかしい限りだが、この間、いつもの定食屋で、いつものように一人飯。つい、ひょいと「よせ箸」をしてしまった。小鉢の縁に箸をかけて器ごと引き寄せてしまうことを「よせ箸」という。「ねぶり箸」「まよい箸」と並んで、とても行儀が悪いこととされている。気がつけば、スマホ片手だったり、本を読みながらの「ながら飯」だったり。人に見られていないという思い込みから、なんという行儀の悪さだろう。一人飯の弊害である。

私は、決して美食家などではないが、食べることは大好きである。こだわりもある。牛丼屋は、「松家」が3なら、「吉野家」2、「すき家」1の割合で順番に通うとか。その程度のこだわりだが(笑)。食べものに関する本を読むのも、大好きである。最近は、この連載のおかげでホモ本ばかりになったが、かつてはちょっと時間があって、読みたい本が見当たらない時、かならず食にまつわる本を手に取った。随筆からグルメガイドやレシピ本にいたるまで、なんでもいい。内田百閒『御馳走帖』、沢村貞子『私の献立日記』、山田詠美『風味絶佳』などは、愛読書である。

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内田百閒『御馳走帖』(中公文庫/1996年 発行/ISBN 978-4122026933)

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沢村貞子『私の献立日記』(新潮社/1988年 発行)

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山田詠美『風味絶佳』(文藝春秋/2005年 発行/ISBN 978-4163239309)

では、ホモ本で「食」が印象的な本はあるかと考えるに、思い当たらない。もちろん、プルーストのマドレーヌがあるじゃないかと言われれば、確かにそうだが、その通りなのだが……。思いつくのは、ジョゼフ・ハンセンのゲイの探偵が活躍する『ブランドステッター・シリーズ』には、推理小説の定石らしく必ず印象的な食事シーンが登場する。その程度である。
ホモの場合、「色気より食い気」ならぬ、やっぱり「食い気より色気」なのか。ホモ本には、おいしそうな男たちや、シズル感いっぱいの濡れ場はふんだんに登場する。ゴクリと生唾を飲み込み、舌なめずりをしたくなる本は、たくさんあるのだが(笑)。そもそも食欲と性欲は両立しないというのだから、それも仕方ないのかもしれないな、と思う。

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雷門のペーパークラフトは、「paper nano」(カワダ工業)より。お手軽工作キットのはずだが、作るのに、意外と時間がかかった。でも、ボケ防止に指先を動かすのは、悪くないかも(笑)。

今回紹介する本は、珍しく「食」が印象的なシーンが書き込まれたホモ本である。もちろん、お色気シーンも山盛り(笑)。色気と食い気が両立している、希有な一冊。楯四郞の『浅草怨念歌(うらみうた)』である。これは、『薔薇族』が、1993年に創刊250号を記念して出版した単行本で、かつて本誌に掲載され、傑作と誉れの高かった作品を再録している。表題作の『浅草怨念歌』から、その部分を書き出してみよう。

留吉は人の少ない方の卓に席をとって、油や煙で黒く煤けた店内を見まわした。
舌代と記した料金表がある。人が山と来るという縁起から銭という字を仙に替えて ── めし三仙、味噌汁二仙、新香二仙、煮物五仙、牛丼十五仙、天丼二十仙。
留吉は天丼をたのんだ。
温かい銀シャリの上で、太い海老の天麩羅が二本、湯気を立てている。  ── こんなにもうまい食い物が世の中にはあったのか。
赤い襷(たすき)に汚れた前垂れの、小生意気そうな給仕女の蔑視に頬を染めながらも、留吉は二つめの天丼もあっという間に掻っ込んでしまった。
しばらくの間、気の遠くなるような満足感を噛みしめていた。

大正11年。奉公先からくすねた金を持って、貧しい田舎から家出してきた少年が、浅草で腹を空かし、天丼をかっ喰らう場面である。これを読んで、無性に天丼が食べたくなった。いても堪らず浅草まで出かけたことがある。

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各店の天丼くらべ。上段左/三定、上段右/葵丸進。下段左/土手の伊勢屋、下段右/大黒屋。三定は、見た目も上品。比べると、大黒屋が、いかに黒いかがよく分かる。

私は、天麩羅が大好きだ。浅草には天麩羅の名店が多い。テレビコマーシャルで有名になった「三定」、バスツアーのコースにもなっている「葵丸進」、120年も昔からの店舗が有形文化財指定を受けた「土手の伊勢屋」……ときりがない。そもそも天丼など、下賤な食べものである。あまり肩肘のはるような店は避けたい。そこで、伝法院の向かい。「大黒屋」に決めた。
ここの天丼は、黒い。濃い口の醤油でとっくりと煮詰めたタレに、天麩羅をどっぷりと浸してある。米粒が見えなくなるぐらいに天麩羅を載せた丼は、さぞかし辛いだろうと思うと、あにはからんや。意外とさっぱりである。江戸の味とは、こうだったのかと思いを巡らす。
必ず注文するのは、かき玉椀である。葛をひいた出汁に、黄金色の花が咲いている。しょうがをたっぷりと絞り込んであるらしく、体がぽかぽか温まる。上品な料理ではないが、絶品である。
美味しくて、好物の「大黒屋」の天丼だが、留吉のように2杯も平らげることは、もうこの歳ではかなわない。とても無理だ。

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天丼のフィギュアは、「ぷちサンプル 和食処」(リーメント)より。ミニ食品サンプルの大ブームを巻き起こした、記念すべき第一弾。以後、狂ったような細部へのこだわりの商品が次々とリリースされた。

さて、勘定である。ところが、留吉は財布を掏られたことに気がついた。全財産である。絶体絶命。その時、彼を助けてくれたのは、「色白の顔に青い剃り跡、眉が太く目が鋭く、二十七、八の、苦み走った男前」の哲次であった。言われるままに哲次の部屋に転がり込んだ留吉の、浅草暮らしが始まった。

 浅草は食べ物もうまい。そして安い。
「米久」の鋤焼、「中清」の天麩羅、「飯田屋」の泥鰌、「白夜」の五銭の珈琲に、カステラではさんだ三角形の羊羹 ── 哲次は毎日ちがった浅草の味を教えてくれた。
(略)
二人は今夜、公園劇場の蘇我廼家五九郎の喜劇で思いっきり笑った後「ちんや」の牛肉(ぎゅう)を鱈腹くい、ついでに「愛玉只(オーギョーチ)」を三杯も平らげた。愛玉只というのは台湾の無花果の実をつぶして作った黄色い寒天である。これを賽の目にして器に入れ砂糖水をかけて食うものだが、乾いた喉に快くしみる。 

こういった具合だ。短編ながら、次から次へと食べ物がでてくる。どれも美味しそうだ。だが、一番美味しそうなのは、やはり……

 真夏の宵、哲次は障子をあけて隅田川の風を誘い入れながら、下帯一つの裸で酒を飲む。彼は酒量が多いほうでなく、ビールの一本もあければたちまち顔に赤味がさす。
顔ばかりではない。色の白いからだ全体が足の先まで桜色に染まるのである。朱と群青を散りばめた彫物が色彩の上にまた色を重ねて、まるで錦織りのように輝いている。
留吉を圧する、噎返るような、男の裸身であった。


やっぱり、である。やはり、ホモ本である。ここら辺の描写にも、ぬかりがない。さて、哲次の世話になって、浅草の美味しいものをたらふくご馳走になった留吉だ。今度は、留吉自身が“ご馳走”になる番である(笑)。

「まかしておきな。 ── じきに、極楽みてえな気分になるぜ」
いつの間にか、留吉の下着は剝がされていた。
くるっと剝けた少年の素肌を、男の右手が絶えず揉みほぐしていく。留吉の腰に男の腰の重みが乗った。留吉の唇に、男の熱い唇が移った。ある時は軽く歯を立て、ある時は舌先で静かに、男の口は少年の上体を巡撫している。ざらっとした男の剃り跡が触れるたびに、留吉の体は硬直していった。
頭の芯がピリッと引きつるような衝撃を感じて、少年は思わず半身を起こした。
男の顔が留吉の腹に吸いついている。般若の面が少年をまともに睨んで、じっとりと汗を滲ませている。力がすうっと遠のいて行く。
そうして ── 少年の内に渾々と湧き上がっていた甘美な泉水が一どきに白い飛沫を噴きこぼして、彼には未知の快楽を教えた。

留吉には想像を絶する、男の、行為(おこない)であった。しかし、確かにそれが行われた証拠には、いま、素裸の留吉が素裸の男の腕にすっぽり抱かれていて、目眩く法悦の余韻に浸っている。 

こうして、ぽっと出の17歳の少年の体を味わった哲次であったが、それで満足したわけではなかった。はたして、哲次の本当の狙いとは。そして、留吉の運命はいかに……。
 
著者の楯四郞は、1937年生まれの会社員であった。1972年に投稿した『弁天小僧暗闇描画』が編集部の目にとまり、掲載。これは歌舞伎『白波五人男』に材を取り、大胆な着想で、その作者 河竹黙阿弥の創作秘話に仕立て上げた作品である。もともとが女装盗賊の弁天小僧が登場する『白波五人男』である。そこにホモの味つけをこってりとほどこしてある。
その後は編集部の依頼を受け、次々と作品を発表。本書には、表題作の他に5作が収録されている。実に、うまい。いずれも、うまい。掌篇集『男の夏』は、怪談話から因縁めいた恋物語。はてはコメディまでを、各々2000字でまとめているのだから、その腕前がわかる。いまは、78歳になっていらっしゃるはずである。もう、お書きになっていないのだろうか。『薔薇族』廃刊と共に発表の場を失ってしまっていたのなら、それは、とてももったいない話である。

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楯四郞の『浅草怨念歌』(第二書房/1993年 発行)

 
二丁目にこの頃、食べもの屋が増えた。無論、昔から、二丁目には意外な名店があった。焼き魚と肉豆腐が美味しい定食屋「だるま」、中華料理「随園別館」、そばの「きんかん亭」、韓国家庭料理の「オンマキッチン」……などなど。「随園別館」を除いては、今はもう無くなってしまった。とてももったいない話だ。
最近では、「MARKLAND」や「ALAMAS cafe」など、これまでゲイバーやゲイクラブをやってきた店が、新たにオープンさせた食べもの屋が次々と出来ている。ホモが、ホモの色恋や下半身に向けた商売から、ホモでもノンケでも胃袋をターゲットにしたビジネスを開始したのである。そのはしりは、やはり、2001年に開店した「Cocolo Cafe」だったのではないだろうか。
このことは、ホモが満たされない色恋や下半身を解消しに来るための夜の街であった2丁目が、日常と繋がりのある生活の場へとシフトしつつある証拠ではないか。そんなふうにも思えるのである。感無量。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。それになぞらえていうなら、ホモが「色恋足りて、食事(=生活)を楽しむ」ということか。これでようやく「色気より食い気」になったわけだ(笑)。これからは、ホモ本でも、セックス描写ばかりではなく、「食」の描写も楽しめるようになるのかもしれない。

ところで、私の色恋は、いまだに飢餓状態。これ以上、一人飯が続くようなら、礼節どころか食事のマナーさえ忘れてしまいそうである。だれか、一緒にご飯を食べてくれる人はいないだろうか。もちろん、私の熟成肉のようなこの体も賞味していただいても、もちろん構わないのだが(笑)。

 

 

 

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