第48回 ズレた隙間から覗く、“すっぱだか”の人間の姿。デビッド・セダリス『すっぱだか』

電車が定刻通りに、ホームに滑り込んできた。乗り込もうとした私は、一瞬、たじろいだ。ドアが開いた真正面に、こちらを威嚇するように車椅子がド〜ンと鎮座していたのである。乗っていたのは、60代ぐらいの男性。気むずかしそうな顔をしたオヤジだった。「アレ、降りるところだったのかしら? それは失礼なことをした」と、私は片足を宙に浮かせたまま逡巡した。だが、介助の人が傍にいるわけでもなく、駅員が手伝いに駆けつけてくる気配もない。私は、瞬時に状況を察知して、このオヤジはここでは降りないだろうと結論。車椅子をすり抜け車内に乗り込んだ。急に怒りがこみ上げてきた。「なんでぇ、邪魔くせえなぁ。なにも、入り口すぐに停めることないじゃんか」と思ったのである。

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最近よく目にする、「ひと声マナー」の広告。これは、目の不自由な人についてのもの。でもねぇ、声をかけりゃ良いってもんじゃないんだよ。それをまずは理解すべきだね。

改札から一番近いこの車両めがけて、ひとりの青年がホームに駆け込んできた。彼もまた、乗り込もうとして、一瞬、たじろいだ。そりゃ、そうだ。行く手を遮るかのように車椅子が置かれているのだから。彼は、車内に乗り込むと、そのオヤジに「降りるんですか? 手伝いましょうか?」と声をかけた。イイ奴である。好青年である。
ところがである。そのオヤジは、吐き捨てるように、こう答えた。「け・っ・こ・う・で・す」 一語一語区切るように、まったく愛想のない返事である。それどころか、怒っているようにも聞こえる。明らかに不愉快で不機嫌な声であった。車内の空気は、一瞬にして固まった。青年はいたたまれなくなったのか、きまり悪そうに無言で隣の車両へと歩き去っていった。
私は怒った。「このクソジジイ。せっかくの人の好意を!」と思ったのだ。私は青年に同情していた。肩入れしていた。それは、その青年がちょっと可愛かったせいもある(笑)。

電車が出発し、目的の駅に着くまでの間、私は考えた。青年の親切と、このジジイの心ない態度について、考えた。確かに、このジジイの態度はいただけない。が、彼はたまたま虫の居所が悪かっただけかもしれない。出がけにイヤなことがあったとか。奥さんと喧嘩して家を出てきたのかもしれない。もしかしたら、HDが壊れて、貯め込んだエロ動画2TBが一瞬にして吹っ飛んでしまったばかりかもしれない。そうだったら、私だって誰彼になく八つ当たりもしたくなる(笑)。
それなのに、街に出たら、好意的で、親切な、善意の人達から、声をかけられるのである。「お手伝いしましょうか?」とかなんとか。それに対して、いつも丁寧に、にこやかに応対しなくてはいけないのだ。相手は、なにしろ善意なのだから。
「それも、大変よねぇ」と、私は思う。人間、放っておいてもらいたい時もある。だが、車椅子に乗っているというだけで、彼は日常、プライベートな領域に、第三者の善意と親切がズカズカと入り込んでくるのだ。それに対し、いちいち“良き障害者”として振る舞わなければいけないとしたら、それは大変な苦労と心労だ。

もし、私がこのジジイだったら、どうだろう。私は、人一倍、外面(そとづら)が良い人間なので、そんな場合でも、「ええ、大丈夫なんですよ。ありがとうございます。ご親切にどうも」と作り笑顔で応対するだろう。おまけに「今日は良い天気ですねぇ。出かけるのにはうってつけですね」ぐらいのお愛想も言うかもしれない。なにしろ、“良き障害者”という印象を与えなくてはならないのだ。んで、ヘトヘトに疲れて、ストレスを溜め込むのである。……ンなこと、出来るかぁ! エロ動画2TBが消え去ったばかりなら、なおさらだ。「うるせぇよ。ほっといてくれよ!」と叫びだしてしまうかもしれない(笑)。

吊革につかまった私と、車椅子に乗ったジジイ。この位置関係では、視線は互いにすれ違う。ジジイがどんな気持ちでいるのか、その顔の表情をうかがうことも出来ない。ズレているのだ。このズレこそが、私とジジイのズレである。もしかしたら、健常者と障害者の間にあるズレなのかもしれない。

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この世界には、実は、多くのズレが存在している。普通の人は、それに気づくことなく、当たり前に暮らしている。わずかなズレに、つまずくこともない。しかし、不幸にして、ささいなズレにも苦労する人もいる。一方、そうしたズレにばかり気がついてしまう人がいる。気になってしまう人がいる。面白がる人もいる。デビッド・セダリスも、そうしたタイプのひとりだ。

いつも少しだけまわりとズレてる僕がいる。まわりの人も少しずつズレている。その隙間から見える人間たちの裸の姿が、ほんのりと切なさを帯びたユーモアで描き出されていく。
(デビッド・セダリス『すっぱだか』、カバーに書かれた紹介文より)

今回紹介するのは、デビッド・セダリスの短編集『すっぱだか』である。彼は、1956年生まれ。発表する作品が次々と全米ベストセラーとなっている人気の作家だ。この『すっぱだか』は、少年時代からのちょっぴりズレた体験を、年代を追って17の短編にまとめている。登場する主人公の名は、デビッド。彼の親や弟妹も実名で登場する。限りなく私小説に近い。

たとえば、『不完全障害』という作品は、大学生となったデビッドが、寮費を安くしてもらうのと引き替えに、障害者のルームメイトと暮らす話である。

僕は、ペグと一緒の部屋に移りました。ペグは、退行神経疾患の面白い女の子でした。彼女は不完全障害(インコンプリート)の四肢麻痺であると診断されていて、自分は何も完全(コンプリート)に出来ない、というジョークを飛ばすのが好きでした。
(略)
ろれつがほとんどまわらないので、電話交換手と話そうとしても、配達ピザになにかを注文しようとしても、酔っ払いがイタズラ電話してると思われて、電話を切られてしまいます。
(略)
車椅子に乗った人は、他の人に自分が見えていない、という気持ちになります。車椅子を押す人も、やはり他の人から見えなくなってしまいます。寮の外で僕らに唯一話しかけてくる人は、車椅子のところにしゃがんで叫ぶので、僕らはまるで唖みたいです。「こんどの日曜日、教会でトニー神父さんがギターの伴奏でミサを行うのです。おいでになりませんか?」
するとペグが、もっと近寄ってと頼んでから、近づいてくれた人の耳元でささやきます。「わたし、生きた子猫の歯を集めて、それで悪魔のネックレスを作ってんの」
「ええ、そうでしょう」。話しかけてきた人が言います。「それがわたしたちの、隣人愛というものです」

ペグと、彼女を教会に誘った人との会話のズレを、口元にシニカルな笑みを浮かべながら面白がっているデビッド(=著者)が目に浮かぶようではないか!

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デビッド・セダリスのポートレート(『すっぱだか』のカバーより)。なかなかハンサムで、好青年風である……が、一筋縄じゃいかなそうな性格が、眉間の皺に表れている(笑)。

こうした人々の日常のささやかなズレを照射し、少しばかり露悪的に描き出すのが、著者セダリスの特徴である。それは、彼自身がゲイであることと無関係ではないだろう。『僕は男の子が好き』という作品を読めば、それがわかる。

この先生は、はじめて妊娠したとき、「最初の子は男の子であってほしいの。そしてその後で女の子を産みたいわ。なぜかというと、順番がその反対だと、男の子が普通じゃない可能性が高いの」と僕らに言った人なのです。
「『普通じゃない』って、手とか足とかがないってことですか?」。僕は尋ねました。
「それって、普通じゃない以上のことでしょ。それは悲劇です。そんな残酷でいやなことを言う人は、お口を縫っちゃってもらいなさい。わたしが『普通じゃない』っていったのは ── 」彼女は手の甲を頬に近づけ、、「
これ・ ・、って意味で、普通じゃないことなんです」と言ってから、みんなの前で内股歩きをしてみせました。
(略)
先生がホモセクシュアルの話をからかい半分にすると、僕は必ずクラスの誰よりも大声で笑いました。秘密結社のメンバーの誰かがいじわるされて、服を更衣室のトイレに突っ込まれてしまったとき、先頭に立ってはしゃぐのも僕でした。自分がそうされたときは、安堵の表情で立ちつくす他のメンバーを眺めていました。
同性愛者たちめ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・。お前たちの番だったかもしれないのに、と僕は思いました。

自分が同性愛者であるという自覚。つまり「普通じゃない」ズレた存在であるという認識が、彼に独自の視線と視点を与えた。彼は、幼くして、ズレにつまずいたのである。

そんなとき僕は、みんなの視線が僕にそそがれるのが恐くて、大声で笑ってる連中と一緒にはしゃいでいました。でも心の中では、僕のことだ、先生は僕のことをからかってるんだ、と思っていました。人を笑いものにするときは、それが自分に跳ね返ってくることを覚悟するのが公平なやり方だと思います。それなのに、そんな安易なやり方で笑いを誘うのが僕には不快でした。

デビッド少年が、サマーキャンプで出会ったジェイソンとの初体験を描いたのが『僕は男の子が好き』である。だが、ゲイの“きらめく青春の思い出” 物語になんてなるはずもない。著者は、その思い出さえも、「それが自分に跳ね返ってくることを覚悟」しながらも、シニカルに笑い飛ばそうとするのである。
ちょっとしたズレが気になってしょうがなくなる人、ズレにつまずいてひざ小僧をすりむいたことのある人。そんな人に是非とも読んでもらいたい一冊である。

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 デビッド・セダリス『すっぱだか』(草思社/2003年 発行/ISBN 4-7942-1186-4)

さて、ホモだってことが知られただけで、“例の”質問攻めにあったことがある人も多いだろう。「どんな風に(セックスを)するんですか?」「男役なんですか?女役なんですか?」……といった類だ。彼らの多くには、悪意はない。ちょっとした好奇心なのだ。知的関心かもしれない。
悪意がないだけ、対応にも困る。ついつい“良き同性愛者”を演じさせられてしまうからだ。それを考えると、ちょっとだけ車椅子のジジイの気持ちが分かったような気もしないではないのである。
え? 可愛い好青年から声をかけられたら……? もし、私がこのジジイだったら、もちろん、思いっきり同情をひく素振りを見せて、介助どころか下(しも)の世話までお願いするつもり満々である(笑)。

 

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