第15回 タチ?ネコ?セックスという名のごっこ遊びに縛られないで

 

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他のゲイ男性と知り合う時、相手がタチかネコかどうしても気になってしまう。相手がタイプであろうとなかろうと関係ない。一刻も早くその答えが知りたくなる。タチネコ論には否定的なのに、なぜか気になって仕方がないから困る。相手がケツを突く方か、突かれる方か、それとも両方やっちゃうのか。どうしてそんなことにここまで執着しちゃうのだろうか。

「キャシーはネコなの?タチなの?」

そんな質問をされた時は、「ネコです」と答えないようにしている。別にケツを突かれる方に快感を覚えることが恥ずかしいというわけではない。「ネコです」と言った瞬間に、相手の自分を見る目がガラリと変わるのがわかるからだ。こっちがネコとわかった瞬間、なぜか自動的にフェミニンで、受動的で、マゾで、奉仕が大好きだと思われてしまうことがよくある。いつかネットで知り合った人とそれで大議論になった。

「ネコなのに、サドなわけがない!」

そう頑なに主張する彼を見て、軽く頭痛がした。どうしてケツを突かれるという行為が好きだというだけで、勝手に人格をまるごと推測されなきゃいけないのだろう。

「やっぱりゲイカップルも、ネコの方が家事するの?」

これはストレートの友人から言われたことである。ゲイにもジェンダーの役割分担があって、ケツを突かれる方が当然「女性」となり、家事という「女性」に割り当てられた仕事をすることになるとでも思ったのだろうか。このネコという役割はとても厄介だ。どうしてケツを突かれるだけで、こんなにたくさんレッテルを貼られるのだろう。

ここで少し視点を変えてみる。もしもストレート男性が「お尻にバイブを入れてオナニーをするのが好きなんだ」と言ったらどう思う?頭の中にどんなレッテルが浮かんでくるのか、ぜひ気づいて欲しい。ゲイ、ストレート関係なく、男性ならアナルや前立腺に快感を覚える人は多いはずなのに、どうしてケツを責められる行為はゲイのものだと思われてしまうのだろう。

ずらずらと随分たくさん疑問を提示してしまったが、「ネコです」と答えないでどう自分を説明をするのかについてまだ話してなかった。ネコタチの話になった時は、ネコを役割ではなく、行為として扱うようにしている。「私はネコです」ではなく、「私はケツを突かれるのが好きです」という感じだ。何も変わらないと思われるかもしれないが、この違いは大きい。

セックスはいわば大人のごっこ遊びである。私たちは様々な役割に徹して、いろんな行為を楽しむ。ネコだったり、タチだったり、マグロだったり、縛る方だったり、縛られる方だったり、入れる方だったり、入れられる方だったりと、ごっこ遊びは数えればキリがない。しかし、時に人はそれがあくまでロールプレイだということを忘れてしまう。ただの行為がいつのまにか社会的な役割となって、勝手なレッテルと一体化して、人々の中でリアリティになってしまう。

そうやって肥大化してしまった「ネコ」という役割に縛られるのは心地よくない。ごっこ遊びならいつでも大歓迎だが、それで自分の豊かさをかき消されるのは嫌だ。セックスの最中に自分に割り当てられた役割と一体化する必要はない。ごっこ遊びと同じように、遊ぶ度に役を変えることもできるし、同じ役のままでいることもできる。たまには違うごっご遊びだってできてしまう。そこにそれ以上の意味も、それ以下の意味もない。

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