第50回 淫乱旅館に警察が潜入! 1963年、「一条旅館」摘発の現場と舞台裏。

 

ついにきたか!という印象である。新宿2丁目のゲイバー摘発事件のことだ。このニュースが報じられたタイミングが絶妙で、渋谷区の「同性パートナーシップ条例絶対反対緊急行動」が起きた日と同じであった。
そのため、一部の血気盛んなゲイリブな皆さんが、この事件は、同性パートナーシップ条例を妨害する国家の圧力行為であり、ゲイ差別であると息巻いていた。オリンピック開催を控えたホモ浄化作戦だという説もあった。はては陰謀説まで飛び出してきそうな勢いであった。両者を結びつける根拠にも乏しい言説は、この世界はユダヤが支配している!などというトンデモ言説と似たり寄ったりだ。
むしろ、異性愛者と同等になることを目標とするゲイリブな皆さんなら、むしろ、この事件を喜ぶべきではないのか? ほれ、ゲイバーだって、ノンケさんたちのガールズバーと“同じように”取り締まってもらえたのだから。これこそ、平等ではないか、と(笑)。
c1e9ec8737b4dc356ac63b87291462be
2015年3月10日の「TBS News i」より。
冗談はさておき、事件のあらましを、2015年3月10日の「TBS News i」から紹介する。事件は、5日の夜、新宿2丁目のバー「DISCOVER」で、客とカラオケでデュエットするなど接待をしたために、風営法違反で、経営者の小笠原卓世容疑者(32歳)が逮捕されたというものだ。
……と、これだけを読むと、さぞかし凄い“接待”をしていたのだろうと考える人もいるだろう。もしかしたら、カラオケマイクではなく、股間のマイクを口いっぱいに頬張りながら熱唱していたのではないかと。いやいや。“接待”の詳細は明らかにされていないが、おそらくは、ただのカラオケである。単なる、普通の、当たり前のデュエットだったであろう。もし、そんなに凄い“接待”をしてくれる店なら、2丁目中の評判になっていただろうし、とっくに私が常連になっているはずだからだ(笑)。
冗談はさておき、では、なぜ、客とカラオケを歌っただけで逮捕されたのかというと、それがこの事件のミソである。
簡単に説明すると、飲食と“接待”を営業とする店は、「風俗営業2号」の届出をしなければならない。だが、それによれば、営業時間は深夜0時までに制限され(条例によっては1時まで)、店を出せる地域も限られる。多くのクラブや、キャバクラなどがこれに当たる。
“接待”をしなければ、「深夜種類提供営業」許可を取るだけで良い。深夜0時以降も営業することも出来る。というわけで、風営法が施行されて以後、いかに“接待”をしないで客に喜んでもらえる店にするかが、水商売の大きな課題となった。
必要は発明の母。「ガールズバー」なる業態が出現。雨後の竹の子のように増殖した。「ガールズバー」とは、オネエチャン達がバーテンとなり、カウンターの中でお客さんの相手をするというもの。お客さんの席に着いて、 肌がふれ合うほど近い距離で“接待”をしてきたこれまでのキャバクラなどと違い、あくまでも「カウンター越しの会話だけですから、接待ではないですよね」という言い分というか言い訳だ。考えるものだ。感心、感心。ところが、ガールズバーが盛況となると、今度は、カウンター越しでも“接待”に当たるとして、警察は取り締まりに乗り出し始めたのである。こりゃ、モグラ叩きである。
そこで、争点となるのが、“接待”の定義である。法律によれば、“接待”とは「歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなすこと」という、これまた玉虫色で曖昧な表現である。つまり、警察の顔色ひとつである。実際、客にビールを注いだだけで検挙された例もある。あれ、あれ。いまや、カウンター越しで話し込んでいるだけで摘発されてしまうのである。ましてや、お客とカラオケでデュエットなんてもってのほか!というわけだ。
a1e271caf93973038e74d1320c29dfef
さて、今回の事件で興味が湧いて、警察による同性愛の取り締まりの歴史を調べてみる気になった。古い資料を漁っていると、面白い記事を見つけた。
アドン』を出していた砦出版が、1977年から1982年まで発行していた『MLMW(ムルム)』という雑誌である。この雑誌は、当時としては画期的なゲイ雑誌で、ゲイのためのライフスタイルマガジンとでも言える内容であった。そのユニークさは、表紙からでも伝わるだろう。カルチャー色の強い誌面は、いま読んでも十分に面白い。いずれ、きちんと紹介したいと思う。ひとまず、今回は、中をパラパラと立ち読み。
c8e5548bdeb43a344608196046035643
ゲイ雑誌には珍しく、巻頭はファッションページ『(MLMW boys fashion) colorful game』。構成と文/砂山健、写真/飯沼仁、モデル/佐野敏行。
4f4d71d1c09bcccc93dd2ceeb40f7c74
コラム集『海外最新ゲイ・ニューズ・コラム 30&more』。『ハイト・レポート』の紹介記事がある。日本のゲイは、こうして海外の情報を受容していった。
64f1ae9bb96bb0407d1807944f8a77c4
人気イラストレーター竹内条二によるコミック『INVADER vs. CAPT. GEORGE』。古さを感じさせないのは、さすがである。
72b160375c86d2dff815a4d103b4ec1d
三島由紀夫の同性愛にフォーカスした評伝『唇秘三島由紀夫 ─ 透かし彫りの迷宮』。文/三木良、イラスト/長谷川サダオ。
c0c767173523c991921296a588d858f9
パンツを履いたままという奥ゆかしいヌードグラビア『雨の日曜日』。写真/上村和之、モデル/青柳潤一。
02ed694e0d0f28cd61486b1183472347
『document 1950年代の影』。副題に「“ブランスウィック”という名のゲイ・ゲットーの向こうに,もうひとつの世界があった。」とある。
紹介するのは、その13号、1979年9月号に掲載された『document 1950年代の影』という記事である。当時のゲイバーやハッテンバの様子が克明に記されている。だが、著者名は記載されていない。
「砂川屋」は現在では日本で一番古い歴史を持ついわゆる、“ゲイ・ホテル”である。創業が昭和18年というから、第二次世界大戦のさ中に誕生したことになる。
(略)
 創業当初は(戦後の一時期も含めて)五〜十人の学生を書生という形で抱えており、彼らを目当てに来る人々が中心であった。
まず、なにより、昭和18年(1943年)創業ということに驚かされる。また、書生たちは客を取っていただろうから、ウリ専とハッテンバが一体となった業態であったのだろう。これも興味深い。
 東京オリンピックが一九六四年に開催されたその前後、いわば「第一次ホモ・ブーム」ともいうべき現象があった。一九六〇年以降の明確な高度資本主義形成への意志に従った高度経済成長政策の成功による、豊かさとある種の開放感と、ある種の危機意識の中で、いわゆるアングラブームとみあった形でマスコミが競って記事にし、また実際この当時、雨後の筍のようにゲイ・バアが続々と開店し始めたのである。
 砂川屋が近所の人々から苦情を受け始めたのもちょうどその頃だった。「それ」が何事であるのか知る人が増えつつあったこともあったのであろう
 ある日、砂川屋に刑事が訪れ「このような状態をこのまま続けていると、営業停止にする」と言ってきた。
これがきっかけとなったのか、「砂川屋」はしばらくの間、休館することになった。その間、客達は、ライバル店であった「一条旅館」に流れたようだ。「一条旅館」はその時、開店して1年ほどで、「いつも盛況だから、あそこは面白い、あそこはものすごいことをしている、と、噂が尾ひれをつけて広がっていた」ほどの盛況ぶりであった。
 夏の暑い土曜日でした。私が行ったのは午後九時頃でしたでしょうか、あの一条旅館へ入る小路に行きますと、何か目つきの鋭い男達が、二、三人ずつ屯しているのです。
(略)
 夜0時半頃でしたでしょうか、突然玄関の方でドヤドヤという音がしたかと思うと、「警察だ、全員そのまま動かない!」という声です。私は瞬間、「あっ、取り締まりだ」と思い(それが何を取り締まるのか、何が取り締まられることなのか、など考えていませんでした。当時にしても、そうした後ろめたさが、私たちにはいつもついてまわっていました。男同士の愛、ということすらも社会的規範と相容れないと思うところも何かしら感じていました)、二階から物干し台につながる細い階段を飛び上がって屋根に出て、となりの家の屋根づたいに裏の道路へ出、停めてあったトラックの荷台の中で震えながら隠れていました。
 玄関前の小道には装甲車が三台並べられ、そのうちの一台には投光器が据えつけられて玄関に向けてライトが照らされていました。あとで聞いたのですが、中にいた人は一人ずつその光の中を(ほとんど皆裸同然でした)連れ出されていったのだそうです。
この時、連行されたのは64人で、調書を取られ、始末書を書かせられた。素直に取り調べに応じればひと晩で帰されたそうだが、否認し続けた人は1週間も拘留されたという。その調書は、「AはBにオカマを貸し、さらにCの◯◯をくわえ、その両手でDとEの◯◯を握り…云々』とまるでポルノ小説だった」そうだ(笑)。それにしても、64人というのは、多い! 「一条旅館」の繁盛ぶりがうかがえる。
刑事達は事前に、客として館内に潜入していたという。「あとで皆気づいたのですが、そういえば、皆裸同然か浴衣一枚でいるのに、その二人は浴衣姿なのに靴下をはいていたので不審に思ったと書かれているのが、なんともリアルである。
また、後日談として、こんな、ちょっといい話も紹介されている。
無事?逃れたのは四、五人だったそうです。その中には、個室をとっていたお爺さんもいました。その人が二時間もくどき続けた中年の男が、実は刑事で、あんまり必死に口説いたので情が移ったのか、乱交に加わっていなかったからなのか、警察の手入れの直前警察手帳を出して、「私は刑事だ、これから取り締まりが行われるが、あんたは見逃してやるから部屋にじっとしていなさい」といわれ、がたがた震えながら部屋の中にいた、という笑うに笑えない話もありました。

3fad7a7c07b736bea4c8ecebc1543e03
1979年9月号 No.13『MLMW』(砦出版/1979年 発行) 誌名は、My Life My Way(わが人生、わが道を行く)の頭文字を取ったもの。

2011年。新宿区大久保のハッテンバ「デストラクション」が警察の手入れを受け、閉店となった事件が耳に新しい。この時の罪状は、公然ワイセツ幇助であった。昨今、ハプニングバーと呼ばれる、ノンケのハッテンバのような業態の店が、同様の罪状で摘発される事件もよく耳にする。皮肉なことに、取り締まりだけは、同性愛も異性愛も変わらず、平等なのである(笑)。
いや、もしかしたら、同性愛の方が優遇されているのではあるまいか? それは、ウリ専である。その業態は、完全な管理売春であり、違法行為である。が、この領域には、まだ取り締まりは及んでいない。“お目こぼし”にあずかっているのだ。
ゲイリブの長い歴史の中で、同性愛社会の“負”の側面は、厄介な問題であった。一部の狂信的なゲイリブの人達は、そうした側面がゲイに対する偏見を生み、差別の原因となっていると、ハッテンバやウリ専を糾弾する。浄化しようとする。つまり、「いい子になるから、認めてくれよ」というわけである。
それじゃあ、いかんだろ! 今回の事件は、単にゲイ差別だと矮小化してしまわず、その向こうにある、国家と個人の自由の問題と考えるべきである。その上で、“接待”のなにがいけないのか?、ハッテンバ(ハプニングバー)のどこが“公然”ワイセツなのか?、自らの意志で自らの体を売ることのなにがいけないのか?に考えを巡らせるべきだ。そして、同じ立場の異性愛者たちと共闘することが、ゲイリブをより厚みのある活動にしていくのではないだろうか。対症療法だけでは、完治はしない。痛みをともなう根本治療もまた必要なのである。

 

Top