第51回 ハッテンバは、夢の楽園か? 「竹の家」を舞台にした、奇妙な“兄”と“弟”の物語。志賀淳『ごんぞうの男』

 

沈丁花の匂いが、夜の闇になやましく漂う頃。思い出すことがある。それは、楽園の思い出。夢の島での出来事である。新木場「夢の島公園」、そこは、ある種の人々にとって、まさしく夢の島であった。夜ともなると、多くのホモが集まり、思い思いの欲望を実現させていた。ハッテンバである。
時は、はるか昔。かの「殺人事件が起きる、ずっと以前。その名のごとく夢の楽園であった。私も、まだ若く、20代後半。友人にそそのかされるようにして、連れだって深夜の公園を訪れた。「じゃ、○時にここで待ち合わせということで」と、それぞれ自由行動となった後、おそるおそる深夜の公園を探検しに出かけた。
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Unforgettable 2000/2/11 夢の島ゲイ・バッシング殺人事件』「新木場殺人事件」については、このサイトに詳しい。
グラウンドを突き抜けて、細いあぜ道を歩く。その向こうに、川沿いの植え込みがある。そこが、もっとも“激しい”場所だと聞いたからである。すると、真っ暗闇の中、向こうから、白くぼんやりとした人影がやって来るではないか! 一瞬、幽霊かと思い、足がすくむ。それほど、辺りは暗く、人っ子ひとりいなかったのだ。しかし、その人影は、だんだんと近づいてくる!! ついに、その姿をしっかりと目にとらえると、裸のオッサンがケツ割れサポーター一丁でよたよた歩いて来るではないか!!! 暗闇に裸じゃ、そりゃ、目立つ(笑)。
ホッとして、安堵して、あたりを見わたせば、夜目にも馴れてきたのか、そこここで蠢くホモの姿を発見。私は、楽園にたどり着いた喜びで、小躍りしたいぐらいだった。すると、いきなり、植え込みに押しつけられてしまったのである。何が何やら分からぬ間に、足元に、さっきのケツ割れオッサンがうずくまっているではないか!!!! どうやら、あぜ道ですれ違ってから、引き返してきたらしい。オッサンは、私の足をなぜ回しながら、息を荒げて、しきりに「兄貴ぃ〜、兄貴ぃ〜」と呻くのである。明らかに、私よりひとまわり、いや、それ以上、年上のはずである。いくら暗くても、そのぐらいは分かるだろ(笑)。
狐につままれたような気持ちで、呆然と、なすがままにされる。オッサンは、次第に「兄貴の◯◯をXXXしてくれよぉ〜」とか、「兄貴ぃの◯◯を、俺の△△に……」と、すっかりその気である。今でこそ、「あぁ、そ〜ゆ〜設定ね」と軽く受け止めることも出来るのだが、あの頃、私はウブだった。それでも、サービス精神だけは旺盛である。なんとか、相手の妄想につき合おうと、馴れないタチ兄貴ぶりを演じたのである。「おい、テメェ、◯◯をXXしろよ」とか、なんとか。しかし、馴れないことはするもんじゃない。男ぶってみたところで、どうにも語尾が生ぬるくなる。心なしか、声がうわずっている(笑)。
オッサンも、私の動揺を察知してか、集中力が途切れたようだ。「兄貴ぃ〜」が、その内、「先輩ッ」に変わったり、言っていることが支離滅裂になってきた。どうやら、自分の性的ファンタジーを紡ぐのに必死の様子であった。悪いことをした。いまの私なら、百戦錬磨の女優魂を見せてやれたものを。見事に、ガラスの仮面をかぶって見せたものを、と、申し訳ない気持ちが続いている。
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「ホンリ」という、ホモ隠語がある。いまではあまり使われなくなったのか、耳にすることも減った。ホンリとは、本理想。本当の理想のタイプ。自分の性的ファンタジーにぴったりの理想の相手のことだ。この言葉の面白いのは、わざわざ「本当の」と付いているところだ。つまり、「本当じゃない」理想が、すべからく想定されているからである。
年上が好きなホモにとって、相手の理想の年齢がある。自分が20代なら、相手は30代前半が良いとか……。それが相対的であればいいのだが、そうとも限らない。自分が30代になった時、相手の理想が40代前半へとスライドしていけば、なんの問題もないのだから。問題なのは、自分の年齢が、理想の相手の年齢を追い越してしまった時である。60にも、70にもなって、「兄貴ぃ〜!」「先輩ッ」って言ってても、それじゃあ、もう、相手は死んじゃってるよ(笑)。
というわけで、「本当じゃない」理想が登場となる。実際は理想と違うが、自分の性的ファンタジーとうまくつき合ってくれる相手、ということだ。これは、相互に演じ切らなくてはいけない。非常に演劇的な技能が求められる高度なセックスなのである。
さて、日常生活では、なかなかそうした「演劇的な」関係性へと入り込むことは難しい。ところが、ハッテンバという非日常空間では、それがいとも容易く実現する。普段は、べったらオネエなのに、ハッテンバで野郎ぶっても、それはそれで許されるのだ(笑)。互いにファンタジーをぶつけ合う刹那に、真の楽園が現出するのだともいえる。
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平野剛によるトビラ絵。この極度にS字状に湾曲した腹部は、マニエリスムの影響であろうか(笑)。
今回紹介する本、志賀淳の『ごんぞうの男』も、そうしたハッテンバでの出会いと、「演劇的な」関係を描いた作品である。舞台となったのは、「淀屋橋から地下鉄で動物園前まで行き、光を明るくまき散らす宵の飛田商店街を歩いて、はずれに近い細い露地を入ったところ」にあるT旅館。この立地からして、T旅館とは、日本最初のゲイホテルとして名を馳せた「竹の家旅館」がモデルとなったであろうことは、容易く推測出来る。
 二階のはずれの大部屋へ何気なく入って行った私は、ほの暗い部屋の中にふと異様な人のけはいを感じてギョッとなった
(略)
 それは思わず呼吸(いき)を飲むように刺激的な光景だった。
(略)
「もっとそばへ寄れよ。遠慮せんでもええよ」と手で私を招くようなそぶりをみせると、わざと浴衣の前をはだけて、夜目にも隆々と躍動している逞しい男のものを誇示するように、ごつい手で荒っぽくしごいてみせるのだった。
(略)
「よう、あんた、バックて見たことないんやろ……。今、俺がスゴイ奴やってみせたるさかい、そこで見とれ」
 私の気が遠くなることを、彼は平気でささやくと、無造作にうつぶせの男の体の上に、その大きな体をのしかけていく。
(略)
いつか私はぴったりと彼の体近くに寄り添った。
 私は活力に充ちた若い男の体の魅惑に魅き込まれたようになって、とうとう我を忘れて派手にうごめく肉体の秘密の接触部分にそっと手を触れてしまった。
 ぬるぬるとした鋼鉄のような太い男のものが、容赦なくズブリズブリと相手のANUSに差し込まれるのが、しっかりとした手触りで分かる。スゴイ。ためいきが出そうだ。
「どや……。すごいやろうが」
 彼は怒りもせず、私の興奮した顔を見やってにやりと笑う。
(略)
 彼の荒々しい呼吸が私の頬を打った。
 私は強い力で布団の上に押し倒されそうになった。ごりっとした鉄のような肌ざわりだった。瞬間、私は茫と眩むものを覚えて、その場に崩折れた。男の重い体が私の上にズシンとのしかかってきた。
 息づまるような胸と、強烈な男の体臭 ── 。
「やめて。お願い……。こんなところじゃいやだよ、僕」
(略)
「ええやろう。そっと抱いてやるよ」
彼は欲望に上ずったような声で言う。
 でも、私があんまり激しく抵抗するので、さすがの彼も少し辟易したように腕をゆるめると、不満そうに頬をふくらませて、
「なんや、お前……。そないに俺のことが嫌いなんか?」
「そうじゃない。みんなに見られて、僕恥ずかしくていやだよ」
 と彼の強い腕から逃れようともがくと、
「なにが恥ずかしいや。チェッ、気どるんやないよ、こいつ。俺に入れてもらいとうてウズウズしとったくせに」
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その男とは、立派な体格と巨根で、T旅館でも名うての色男ヨッチャンであった。こうして、二人は出会った。二人はつき合い始める。そして、たがいを知るほどに惹かれ合っていくのであった。よっちゃんは、「ごんぞうの男」である。ごんぞうとは、沖仲仕、つまり港湾労働者である。その筋骨隆々とした体躯は、日頃の肉体労働の賜物であったか。性格も「飾り気のないざっくばらんな気性」。若い頃は、女に「寄り道をしたとあっけらかんと語る。ノンケっぽさも魅力の青年である。年は、25歳。
「僕もヨッチャンのこと、なんだか兄さんみたいな頼もしい感じがするんです。だってアンタは強い男だもん。僕、つい甘えたくなっちゃう」
そう言って、「赤くほ照った気持ちでうつむく」僕は、なんと48歳! 教師の職を辞め、実家の寺を継いだ住職であった。
「それでええんや。俺の前では女になって甘えたらええんや。俺もその方が興奮するよ。俺は昔からそうやったけど、俺よりも年上の奴を可愛がるのが、最高にええんや。MARAが立つんや。」
(略)
「ありがとう、兄さん……。じゃ、今日から僕、ヨッチャンのことを、兄さんって呼んでもいい?」と甘えるように言うと、
「俺もこれからお前って呼ぶで。ええやろう。センセは立派な人やけど、どっか無邪気で可愛い感じやから、俺にはその方がぴったりくるんや。言葉なんかもぞんざいなしゃべり方するけども、センセ気い悪うしたらあかんで」
「そんな。うれしいですよ。僕もその方が気が楽なんです。兄さんに甘えたかったけど、僕一生懸命にかくしてたの」
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口絵より。これが「ごんぞうの男」か? 25歳には、とっても見えないが……(笑)。
というわけで、25歳の兄さんと、48歳の弟という、二人の「演劇的」な関係はしあわせに続いていく。しかし、つき合いが1年を過ぎ、ヨッチャンの母の死、そして、僕の養父の死と、現実の悲劇が二人を襲う。おたがいに肉親を亡くし、孤独の身となったふたり。僕はついに、ヨッチャンを自分の養子に迎え入れることを心に決める。それをヨッチャンに打ち明けるのだが……。
「そりゃ俺やってお前といっしょに暮らしたいよ。そやけど、お前とこの俺とじゃ身分が違いすぎるもんなあ。俺みたいな奴がお前のそばにくっついてたらお前に迷惑かけるもんな」
ヨッチャンは頑なに拒むのであった。それはなぜであろうか?
全編ほとんどがヨッチャンのノロケ話と、濃厚なセックス描写。後半になると、いきなり日記文へと、文体も変化してしまう。お世辞にも完成度の高い小説とはいいがたい。……が、ところがどっこい。ヨッチャンの謎を巡るラストシーンにかけて、明確な文学的テーマが浮き彫りとなるのである。「これは、やられた!」 私は思わず、唸ってしまった。
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志賀淳『ごんぞうの男』(第二書房/1975年 発行)
あまり良く言われることのないハッテンバである。しかし、ハッテンバでは、こんな出会いも出来るのだ。夾雑物なしに、ありのままの姿をぶつけ合うことが出来るのも、ハッテンバの良さである。もちろん、多少の“演劇性”には目をつぶっていただきたいが(笑)。
話は変わる。最近、ツイッターなどで見かけるが、恥ずかし気もなく「嫌韓」「嫌中」を名乗っているゲイのアカウントがある。バカじゃないかと思う。バカじゃないかと思うついでに、想像をしてみた。そいつらがハッテンバで、理想のタイプを見つける。良い顔、良い体、良いチンコの三拍子そろい踏みである。後を追い回し、ついに手を出す。「兄貴ぃ〜、すげぇッス!」とか「先輩ッ、たまんねぇッス!!」とか、さんざん楽しんでおいて、ふと無口な相手のことが気にかかる。話しかけて気づく。相手が在日外国人であったのだ! さて、どうする?
そんなことを想像してみる。所詮、国籍でさえ、その人の付属物のひとつでしかない。そんなものに惑わされて、理想のイイ男を見逃してしまうようでは、ホモとしてまったく情けないと思うのだが、いかがであろうか。『ごんぞうの男』を読んで、ふと、そんなことを考えた。

 

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