第28号 母の介護と、お墓と、お見合い~「90年代世代の同窓会⑦」

パソコン通信に新時代の到来を感じた

90年代の同窓会ーーきょうお話を聞かせてくれるのは、自営でソフト開発やネットビジネスを手がける拓さん、50代です。関西の学校を卒業後に上京、80年代の後半から勃興してきたパソコン系企業に就職。友人がソフト開発会社を起業するとき自分も退職、行を共にして以来の自営です。ゲイ社会のデビューはパソコン通信からだそう。パソコン通信って、今の若い人はわかるでしょうか?

「荒っぽく言えばインターネットの規模の小さいやつです。ホストとなるパソコンに何本かの電話回線がつながっていて、そこに会員がモデムで電話してくる。掲示板やチャットがメインでした。PC-9801(NECのパソコン)とパソコン通信のホスト用ソフトを買ってくれば誰でもできた。もちろん機材や電話回線は安くはなかったけど。ニフティなど大手が提供する商用パソ通以外にも、草の根パソ通がいろいろあって、90年代の前半、ゲイのパソコン通信がいくつか立ち上がっていくんです。春日亮二さんのガンヘッドとか、ブルボンヌさんのUCギャロップなんかが有名ですよね」

なにがみなさんを引きつけたんでしょう。

「やっぱり恋人、友だち……横のつながりですよ。パソコン通信をきっかけにオフ会が開かれて、そこで初めて自分以外の生身のゲイと会った人がいっぱいいた時代ですから。二丁目に行けないーーコワいとか地方だからという人も多かった。ゲイ雑誌の文通欄は返事が来るまで1か月の時代です。パソコン通信は初めてゲイとゲイとをリアルタイムで繋いだんです。ゲイがそれに群がったのも無理もない。出会いに対するヒリヒリした渇望は、今じゃ想像もできないでしょうね。そして文通と違い匿名でコミュニュケーションができる、これもゲイにとっては大事なことでした」

90年代の中盤からは、パソコン通信とインターネットが競合しますが、パソコン通信はかなりあとまで根強いユーザーがいました。一方、ネットは90年代の後半、ホームページビルダーなどを使った個人ホームページブームが到来し、ネットスターが出現。続くブログの登場で「発信」が大衆化。ミクシーブームに象徴されるSNS時代は「出会い」が加速度的に拡大。ネット上にはゲイを表明し、何百人、いや千人を超えるマイミクやらフォロワーと繋がる人が当たり前に。さらに今では、GPS系アプリで近所にいるゲイが瞬時にわかる時代です。テクノロジーの発展は、ゲイの発信と出会いの欲望をどこへ連れていくのでしょう……。ほかにも拓さんはネットの仕事の観点から、インターネットについてもオモシロイ話をしてくれました。

「ネットが始まったころは、ネットサーフィンという言葉がありました。いろんなページを見つけて、出会いや知識が広がっていく感じがあった。いまは9モンなら9モン、ツイッターならツイッター、ニコ生ならニコ生にハマって、そこから出て行かない。ほかの世界に手を出す時間もお金もない。もちろん、一つひとつに奥が深い世界があるのでしょうが、ネットサーフィンという言葉は死語になりましたよね」
テキスト ボックス: パソコン通信も遠くなりにけり……
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パソコン通信も遠くなりにけり……

母の介護のために毎月、関西に帰省する

さて、そろそろ本題に入りましょう。私が拓さんに話を聞いてみようと思ったのは、関西に住むお母さん(80代半ば)の介護に、毎月帰省する生活をもう10年近く続けているからでした。

「母は70代半ばから年齢相応に足腰が痛いとか目が悪いとか言っていましたが、メインはうつ病です。そのころ年に4回ぐらい帰京していて、調子が悪いのに僕も気づきました。じつはうつ病で2度入院したのですが、1回目は、行きつけのクリニックが心療内科も併設していて、母から、入院したい、もう一人で生活できない、って座り込んだ。ちょうどクリニックで発作が出たみたいです。入院中は『なにかに守られているようで、ものすごく安心』とくり返すのです。阪神大震災の年に父を亡くし、地元にいる姉とは、母娘関係の難しさで折り合いが悪く、10年近い一人暮らしは心細かったのでしょう。いまは無理だろうけど、当時は居場所のない老人が長期の入院をするのは簡単だったんです」

それをきっかけに拓さんも毎月帰省しては実家で1週間程生活するパターンが始まり、今に至っています。

「自由業、ネットの仕事なのである程度のことならどこでもできる、そんな身だから可能なのでしょう。でも、二重生活が10年、すごくしんどいです。交通費はもちろん、すべての生活に2重の手間がかかる。そこへ最近は母のガンの問題が起こって」

大腸がんが見つかり手術。さいわい転移もなく、抗ガン剤もいらないということで、一段落しました。

「今、母は要介護2。介護認定って、歩けないとか目が見えないとか身体的障害なら介護度も上がるのですが、精神的な疾患は介護度の評価項目にはないんです。現在はヘルパーが週3回来て、デイサービスに2回通い、毎日忙しい(笑)。勤めていたのである程度の年金もあり、自活できているのはありがたいですね」

遠距離介護で毎月帰省、どんな感じですか?

「1週間ぐらい一緒に生活をしていると 母の生活のクオリティが上がってくるんですよ。食べる量が増えたり散歩の距離が延びたり。でも、1週間いるといろんなメンドウが沸いてくる。向こうは頼ってくるーー鍵がない、財布がない、時計がないって。こっちもイライラしてきて、それが潮時で「そろそろ帰るね」って(苦笑)。ありがたいことに一人暮らしさせると適度な緊張感があって気はシャキッとするみたいです」

じつは女性と結婚したい、家庭が持ちたい

拓さんは母の遠距離介護をしながら、自分がゲイであることは最大の親不孝という気持ちをぬぐい去ることができないと言います。

「うちは姉も子どもがおらず、僕で家が絶えるのがすごく申し訳なくて。そう言うと友だちにも、なんでそんなこと気にするのと怒られるんだけど、なぜでしょうね。うちはべつに旧家でもないし、誰が困るわけでもないけど、なんか申し訳なくて。自分が死んだとき、家やお墓はどうなるか。今ある墓に入るんだろうが、それもいずれ無縁墓地になる。でもどうしたらいいかわからなくて……」

それで今でも、女性と結婚しなきゃ、結婚したい、と思っています。

「数年前まで母に結婚を迫られてました。今じゃ法事で会う親戚もなにも言わなくなった。さすがにこの歳になると、なんかあると思ったんでしょう。じつは結婚紹介所に入って、いっぱいお見合いしていた時期もあるんですよ」

結婚紹介所、ですか!?

「相手の女性には、じつは僕はゲイなんです、それを前提に結婚したい、って言いたかった。体の関係? がんばればできると思います。いや、僕は完全なゲイですが、女性と結婚しているゲイっていっぱいいますよね。それに夫婦なんていずれセックスレスになるものだし……」

結婚紹介所って、どんなことをするのですか?

「僕の入っている結婚紹介所は月会費5千円です。毎月たくさんの女性のデータが送られてくる。そのなかから気に入った人がいれば料金を払って、お見合いをするんです。東京だと京王プラザホテルのロビーの土日の午後なんて、そんな人がいっぱいですよ。何人もの相手とつぎつぎお見合いして、フィーリングが合いそうならつぎの約束する。そして縁談がまとまると成功報酬を払う仕組みです。おもしろいのは「性的交渉」に至ったらこんどは違約金。でも、誰が申告するんでしょうね。(笑)」
「ゲイ向け友情結婚のサイト(男女で結婚したい人の相手探しサイト)も使ったことあります。でも、やっぱり若い子に負けてしまうんです。集団お見合い、オフ会みたいなの行ったけど、やはり若い子のほうが引き手は多いでしょ? じゃあ、若さが少ない分、経済力で勝負できるかといえば、そうでもない(苦笑)。でも、僕自身は世間体のために結婚したい、カモフラージュ用の妻がほしいわけじゃない。自分も愛情のある家庭をもちたい、そう思ってるんです。最近の子殺しのニュース聞くたびに、いたたまれなくなります。僕が引き取って育てたいと本気で思います」

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いつまでたっても一人前になれない

愛情のある家庭を自分も持ちたい。それをゲイカップルで営む夢はないのでしょうか。

「これもまた怒られるかもしれないけど、ゲイのカップルにものすごく幻滅してまして(苦笑)。ゲイって結局、3か月で別れるじゃないですか。回転早すぎますよ。僕自身? つきあったり、同居した経験はありますけど、最長で3年だったかな。でも最後はつきあってる状態じゃなかった。同居すると鬱陶しくて。それじゃ女性とだって続かないだろうって? まぁそうなんですけどね、やってみないとわからないじゃないですか?」

50代の拓さんの、結局、悩みはなんなのでしょう。

「仕事、家庭、介護……自分はいまどれも中途半端な感じ、宙ぶらりんで、コレという手応えが感じられないんですよ。母が本当に悪くなったら東京を整理して関西に帰郷する必要がある。でも、いまはそこまで行かない。仕事も自営でダラダラ継続していて、食えはするがすごく儲かるわけじゃない。男女の夫婦なら家庭を持ち子どもができれば、子の学齢でイベントが続くけど、ゲイはいつまでたっても追い込まれない。浮遊しながら一生を送る感じ。真綿で首を絞められるような気持ちです」
「そこに老化という問題があります。ある程度の年齢になると、二丁目でもオモテに出ているゲイっていないですよね。親の介護で帰郷したのか、それこそメンタル悪かったりHIV感染してたりして、いなくなる。ロールモデルが無いって、こういうことなんですかね。社会の目から見ると、結婚して子どもを持たないと、いつまでたっても一人前じゃないんですよ。永遠に半人前の人間として評価されてしまいます」

じつは世田谷区民でもある拓さんは、上川あや議員を応援したり、話題の渋谷区での動きにも関心をもっています。

「テレビでも、いつまでもゲイは嘲笑の対象。腹が立ちます。渋谷区の条例が、すぐにそんな問題を解決するとは思わないけど、ここからいろんなものが動きだすとは思う。ただ、自分のなかの一人前コンプレックスーー女の人と家庭を構えて一人前という意識が、どうしても抜け切らない。これだけ男とセックスしまくっておきながら、おかしいでしょう。こんなこと言ってたら、怒られますよね」

いえ、私は怒ったりしません。拓さんとどこかでおなじ思いのゲイは、意外に多いんじゃないでしょうか。私も弟夫婦たちと引比べて、そんな半人前感をどこかに引きずりながら暮らしています。それにこのインタビューは「ジャッジ」する場じゃありません。これもリアルな、しかも90年代以来、ネットを通じてさまざまなゲイ活動を見てきた人の本音として、ここにとどめておきたいと私は思ったのでした。

夏目漱石は、『吾輩は猫である』という長い(ユーモア)小説の最後のほうで、突然、こんな一文を記します。
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
110年前の小説の一文がまるで自分のことを射抜いている気がするのは、私だけでしょうか……。

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