第53回 訃報 金子國義。ある夜の出会い。文化はゲイバーでつくられる。

 

訃報。画家の金子國義氏が、2015年3月16日、永眠された。私がこのニュースを知ったのは、4月バカの日。だまされたかと思った。人の死をネタにするのは、気が引けるのだが、生前の先生と、わずかばかりでもご縁があったオカマとして、思い出話のいくつかを書いておこうと思う。
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金子國義公式サイト」に掲載された訃報。
私がまだ10代だった頃。18か19の頃に、新宿2丁目のバー「クロノス」で働いていたことがある。いわゆる“2丁目”から、新宿通りを隔てて、新宿御苑との間にひっそりと取り残された一角に「クロノス」はあった。今は「ジョナサン」のある裏手である。木造モルタル2階建て。古い雑居ビルの、細いギシギシ鳴る階段を上がり、突き当たりの手前。左側に、その店はあった。カウンターだけの小さな店で、マスターのクロちゃんと、その日替わりの従業員がひとり。けれど、いつも、店はにぎわっていた。すべてが、マスターのクロちゃん目当てのお客さんばかりだった。「クロノス」のことは、以前、「第5回 山谷の日雇いホモ老人とホモ内格差社会を考える。」でも取り上げたことがある。よろしければ、どうぞ。
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いまから考えれば、よくまぁ、「クロノス」で働かせてくれなどと言い出せたものだ。若さとは、バカさである。若さとは、勢いである。なぜなら、「クロノス」は当時の文化人や芸術家が数多く訪れる店として、知る人ぞ知るの名店であったのだ。そんな店に、よりによって、無知で、無学の若造が飛び込んで来たのである。それでも、なにを面白がってくれたのか、クロちゃんは快く、週1、2日のアルバイトとして雇ってくれた。
もちろん、この店の主役はクロちゃんその人であることは、バカな私でもすぐに理解した。出たがり、目立ちたがりの私でも、その店では黒子に徹し、黙々と洗い物と、慣れない手つきで焼きそば(クロノス名物であった!)を作ることだけに専念した。狭い店に、図体ばかりデカい私。お客さんの目からは、ウドの大木とでも思われていただろう。
店の雰囲気にも慣れてくると、お客さんのお顔をまじまじと拝見し、クロちゃんとの会話も耳に入ってくるようになった。それまでは、本や、雑誌の写真でしか存じ上げなかった方々が、目と鼻の先にいらっしゃるのである。雲の上の人たちである。ゲイバーでなければ、「クロノス」でなければ、出会うことなど叶わなかっただろう。私にとって、毎日が眩暈のするような刺激的な日々であった。
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金子先生のポートレート。口絵より。撮影は、飴屋法水
クロちゃんが、「ネコちゃん、ネコちゃん」と呼んでいたのが、画家の金子國義氏であった。無学な私でも存じ上げていたほどの、画伯大先生である。その人が、私の目の前で楽しそうにお酒を飲んでいるのだ! あこがれと、現実とが、狭いカウンター越しに向かい合っていた。私は、緊張のあまり立ちすくんだままであった。まさに、ウドの大木のごとく、である。
その夜、金子先生が「PARCO劇場」で『アリスの夢と題されたバレエを演出されることとなり、さぞかし嬉しかったのだろうか。ずいぶんとお酒を召して「クロノス」にお出でになった。ウドの大木のごとき私を見て、軽口のつもりで、酒の肴の笑い話に、「アンタ、突っ立ているだけでいいから、(アリスの舞台に)出なさいよ」と仰ったのだ。冗談だとは分かりながらも、若い私は、カッと血がのぼり、顔は赤くほてり、さながらウドが紅葉したのであった。
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『アリスの夢 金子國義とバレエ・ダンサー達』のポスター(1981年1月14日〜18日/PARCO西武劇場)
それ以降も、度々、「クロノス」でお目にかかった。ある時は、詩人の高橋睦郎氏と。また、人形作家の四谷シモン氏とご一緒であった。当時のお弟子さんであった赤木仁ともいらっしゃった。いずれも、私ごときが軽々しく話しかけられるような人達ではなかったが、皆さん、ゲイバーという気安さからか、ウドの大木を面白がって、気さくにかまっていただいた。
その頃になると、ゲイバーという舞台が、ゲイ=男が好きという一点で、あらゆるヒトを結びつけることの出来る装置であることが分かった。それはもちろん、色恋の話ばかりではない。“普通”なら出会うべくもない、出会いが、いとも容易く起こるのである。私が見聞した、忘れられない出会いのひとつがある。それも金子先生のことである。
ある夜、ひとりの初老の男性が「クロノス」にお出でになった。初老と書いては語弊がある。カジュアルな装いであったが、粋な着こなしで、ハンチングをかぶり、サングラスをかけていらっしゃった。カウンターの角に座り、はじめての来店である旨を伝えていた。
お酒を出し、何気ない会話が続く。しばらくして、クロちゃんは、滅多にしないことだが、お客さんの素性を訊いた。その男性客は、笑いながら話をはぐらかしていたのだが、クロちゃんの目はいつになく楽しそう。ついに合点がいったのか、「じゃあ、貴方はこれからジャックさんね!」と宣言したのである。この店では、クロちゃんがお客さんの仇名を名付けることでも有名であった。
ジャックと名付けられた、その方こそ、四代目中村雀右衛門氏であったのである!! 名女形として名高い役者ではあるが、スッピン普段着で、よくも見抜けたものである。さすがクロちゃん、である。しじゅう、楽しげに会話をなさって、次の来店を約束して、ジャックさんは帰っていった。すると、クロちゃんは、すぐさま手帳を取り出してページをくった。黒電話を握りしめ、かけた相手が金子先生であったのだ。興奮した様子で、雀右衛門氏が来たことを告げ、次はいつ来るからあなたもいらっしゃい、と話して電話を切った。
はたして雀右衛門氏と金子先生の邂逅が、「クロノス」で行われた。糸を引いたのは、もちろんクロちゃんである。すっかり意気投合なさったふたりは、そのままどこかに連れ立って出かけていったのだった。
それからしばらくして、「クロノス」の壁に、大きなポスターが貼られていた。そこには、金子先生の書いた女形姿の雀右衛門氏の絵が。雀右衛門後援会主催の踊りの会のポスターだったように記憶している。その後も、金子先生は、雀右衛門氏の舞台美術を手がけられたりと交友は続いたようである
雀右衛門丈と金子画伯の縁を取りもったのが、ゲイバーであったことは、ほとんど、まったく知られていないことだろう。私も、ここで、はじめて書いた。「歴史は夜つくられる」などというが、「文化はゲイバーでつくられる」のである。そんな奇蹟を目の当たりにできたことは、若き日の私にとてもとても刺激的であった。
 ゲイ(ゲイバー)とは、出会いの装置である。知られていないことも多いが、この世の、多くの文化が、実は、ゲイとゲイの出会いで成り立っているのである。だって、コクトーが、ジャン・マレーと出会わなければ、映画『オルフェ』や『美女と野獣』といった傑作は決して生まれなかっただろう!
 男同士が互いに刺激し合いながら、新しい文化を創出している。そのきっかけとなる舞台がゲイ(ゲイバー)であった例も数多いはずなのだ。語られない歴史としてのゲイ(ゲイバー)について、そこでの人のネットワークについて、少しでも語っておくべきなのかもしれないな、と金子先生の訃報を聞いて、思った次第である。
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遺作となった『美貌帖』。カバーをめくると、金子先生の絵の世界がそっくりそのまま写真になっている、洒脱な装丁。撮影は、操上和美。写真の初出は、雑誌『流行通信』だったように思う。
さて、金子先生の遺作となったのは、奇しくも、自叙伝であった。絵でも、写真でもなく、本であったことが、なにか、私の気持ちに迫ってくる。2015年2月18日に初版発行されたばかりの『美貌帖』である。
書店に並んだばかりの時に買って、そのまま読まずに放っておいた。訃報を聞いて、慌てて読んだ。帯文に「その美意識(フェティシズム)の出自をすべて綴った初の自伝」とあるように、幼少から金子先生を虜にした“美しい”ものたちが、つぎつぎと紹介されている。
窓ぎわのテーブルに目を移すと、まず貝殻の標本箱。大きな海星(ひとで)。古い中国製の鉢に入れた浜木綿。サボテン。ペリエのポスターのために作ったペリエくん。ベラールが表紙を描いた「ヴォーグ」誌。セルジャ・リファールの『バレエ論』。マーサ・グレアムの写真集。ヴァン・ドンゲンが描いたブリジッド・バルドーのページが開いてある、ロ・デュカの『映画のエロティシズム』のドイツ版。
冒頭の10ページが、こんな調子だ。部屋に置かれた“美しい”ものたちについて、延々と描写している。次いで、「生家」「四谷の家」「大森の家」と、各章に分かれ、それぞれを過ごした時代について、そのときどきの“美しい”もの、“美しい”ひとのことが書かれている。
白眉は、やはり、「四谷の家」の章で、23歳からのひとり暮らしの様子を描いている。登場するのは、石かずこ篠山紀信コシノジュンコ唐十郎森茉莉(敬称略)……と、錚々たる方々である。私が(私たちの世代が)憧れ、尊敬する、先輩方だ。それが、無造作に登場してくる。これまた、眩暈を起こしそうだ。中でも、詩人の高橋睦郎氏が、金子先生に澤龍彦氏を引き合わせた件(くだり)や、金子先生のアパートに三島由紀夫氏を連れて行ったという件(くだり)が面白い。
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金子先生のお母様(右)と、詩人の高橋睦郎氏(左)。本書には、55枚の自選アルバムも収録されており、金子先生の美意識の一端や、交友関係などが知れる貴重な資料となっている。
 三島さんと再び出会ったのは四谷のアパートに遊びに来てからちょうど一年後、帝国ホテルで開催された谷崎潤一郎賞の受賞祝賀パーティの時だった。
 (略)
 僕は、こんな厳粛なパーティに出席したのは、はじめてだったが、知った顔も何人かいたのでいつもの気分ではしゃぎまわっていた。
 その時、突然三島さんが僕の前に現れ、「君はピーターパンみたいだね」と言った。そしてパーティが終わる頃になって、僕と高橋睦郎を「あとで寿司でも食べよう」と誘ってくれた。
〈九兵衛〉で、三島さんは鮪のトロばかり食べていた。「なんでも好きなものをお食べ」と言われたので遠慮なく注文し、十分にご馳走になった。そしてその四日後、あの事件が起こった。三島さんが「今までずっと探していた青年がひとりあったよ」と言った言葉の意味を、その時やっと僕は理解した。
この一文を読むと、トロばかり注文する三島由紀夫を、ちょっと蔑む、バカにしている若き日の金子先生がいる。鼻持ちならない若者である。が、“美しい”ものに憧れ、そのためなら女装さえも軽々と楽しんでしまうような金子先生は、三島にとって「ピーターパン」のように、眩しく見えていたのかもしれない。“美しい”ものに取り憑かれた芸術家がふたり、しかし、世代も違い、生き方も違う。その美学の表現の仕方もまったく異なるふたりである。このふたりの邂逅を取りもったのが、高橋睦郎氏だというのも、また面白い。
高校生だった金子先生が、バス停で、オープンカーに乗っていた男から声をかけられ、ま、早い話、ナンパである。「散々連れ回されたあげく、たどり着いたのは新宿のバーだった」。そこで、金子先生はマスターから、意外なことを知らされる。「あの人が『禁色』の悠ちゃんよ」。
 自分の知らないあいだに僕は、浮かんでは消える既視感に戸惑いながら、『禁色』の世界の周縁を行ったり来たりしていたのだ。
こんなことが起こるのも、バーならではであった。昨今、若い世代のゲイ達のゲイバー離れが進んでいると聞く。2丁目のゲイバーにも若者が減っていると言われている。そりゃ、ヤル相手を探すだけなら、アプリの方が断然便利だ。好みのタイプでフィルターをかければ、確率も増す。色恋がゲイバーの、ゲイバーたるレゾン・デートルであることは否定しない。それだけなら、テクノロジーの進歩とともにアプリやネットに取って代わられても仕方ない。が、ゲイバーは、それだけではない出会いの場でもあるのだ。
かつて寺山修司は、「書を捨てよ、街に出よう」と言った。それをもじって言うなら、「スマホを捨てよ、ゲイバーに行こう」である。かつての私のように、思わぬ出会いや、文化の創出の現場に立ち会うことが出来るかもしれない。眩暈にも似た刺激に充ちた場が、ゲイバーなのである。というわけで、「2CHOPO」でも、ゲイバー入門企画がはじまると聞く。乞うご期待である。
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金子國義『美貌帖』(河出書房新社/2015年 発行/ISBN978-4-309-27558)
最後となったが、金子先生、心よりご冥福をお祈り申し上げたい。

 

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