第54回 二丁目の成り立ちから、淫乱旅館の発生と進化まで。 これは、東京のエロ地理と歴史のお勉強なのだ!

 

ある夜の新宿2丁目。スーツ姿の若者が7、8人も、仲通りの路上でたむろして、キャアキャアと騒いでいる。オカマだから喧(かまびす)しいのは、当然か(笑)。ま、週末の夜の二丁目では、よく見かける光景ではある。
私は、毎月1回、第1金曜日に、仲通りと柳通り(花園通り)の交わる角地にある「ALAMAS cafe」に呼ばれている。「お花畑カフェ」と銘打ち、同じくドラァグクイーンの胡蝶蘭と共に、一日ママを務めているのだ。オープンカフェなので、通りに面して壁もなく、店内も丸見えだ。そこに、奇抜な格好の女装がふたり。そりゃ、目立つ。物見遊山のノンケ客がひっかかって、飲んでいってくれることもしばしばである。まずまず、招き猫効果はあるようだ。f6d1a4841545df6b261e866b1e718bbc
新しくなった「新宿公園」の看板。ピカピカ。

さて、その一群の若者たちは、「新宿公園」のトイレに行くのだという。「新しくなったんだってよ」「僕も行く」「僕も!」ってなことを、路上で大声で話し合っていたのである。時代は変わっても、公衆便所と聞けば血が騒いでしまうのは、変わらぬホモの性(さが)か。それにしても、そんなに大挙して押しかけていっても、無駄だと思うぞ(笑)。

ハッテンバとしても人を集めた「新宿公園」が、しばらく前から再整備のため閉鎖されていた。それが、いよいよ再開したのである。以前は、池があり、どことなく陰気で、湿っぽい場所であったが、それがキレイさっぱり。公園を囲っていた柵やガードレールも取り去られ、オープンな印象の、明るい、区民の憩いの場所に変貌したのである。味気ないといえば、それまでだが。

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写真上段・左、新宿公園のすぐ傍らにはお馴染みの「24会館」。写真上段・中、新宿公園は「太宗寺」の裏手にあたる。写真上段・右、謎の遊具。一説には、ウンコとも、チンコとも言われている。写真中段・左、新しくなってガードレールもなくなった。写真中段・中、案内板にホモ御用達のラブホテル「NUTS」の広告というのが二丁目らしい。写真中段・右、池のあった場所には噴水ができるらしい。写真下段・左、これがトイレ。まだキレイ。写真下段・右、カラスが集めた宝物。

かつて、この地は、“立ちんぼ”の男の子達がたむろする場所としても有名であった。宵の口から、明け方まで。昼間でも。ぼんやりとガードレールに腰掛けている男の子達の姿があった。通称「ハム子」。公園の「公」の字を「ハ」「ム」と読んだのだ。これは、ゲイショップ「ルミエール」の前を縄張りにする「ルミ子」に対する呼称として使われていた。ちなみに、今はもう無くなってしまったが、「ルミエール」のはす向かいにあった米屋の前にいたのは、「ヨネ子」である。それぞれ“立ちんぼ”する場所によって、呼称が変わるのが面白い。
呼称ばかりではなく、なんとなく、それぞれの場所で男の子達の気質も違っていたように思える。「ルミ子」は、よく言えば、商売熱心か。モーションをかけて、断られたり無視されたりしたら、「チッ!」と舌打ちをするようなタイプが多かった。それに対し、「ハム子」達は、ずいぶんおっとりしていた印象がある。売らなかったのか、売れなかったのか。あまり積極的に仕事をしている風もなかった。

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私は、2010年まで、「新宿公園」のすぐ近くで、古本屋「オカマルト」をやっていた。といっても、事務所兼倉庫代わりにしていただけで、ほとんど客らしい客は来ないヒマな店だった。ランチタイムに、気晴らしに「新宿公園」で菓子パンを食べながら、ぼんやり過ごすこともあった。そんな時に知り合った男の子が、いわゆる「ハム子」だった。もちろん、買ったりしたわけではないが、お互い、気があったのか、よく公園で会った。いろいろな話を聞いた。住む家がないことや、気前の良い客に買われた話……。はては、彼が思いを寄せている、別の「ハム子」との恋愛相談にのってやったこともある。彼の印象が強いせいか、「ハム子」は、いい奴が多いという思い込みがある。その彼も、「新宿公園」再整備のため公園が閉鎖されてしまってから、姿を見ることもなくなってしまった。今頃どうしているのだろう? アイツの性格じゃ、“立ちんぼ”仕事もうまくいくはずもない。無事でいてほしいと思う。
せまい2丁目の中の“立ちんぼ”さえ、その“場”によって気質も変わる。人が“場”を選ぶのか、“場”が人を呼び寄せるのか? “場”の持つ力とは、面白いものである。

いまでこそ、ゲイタウンと名を馳せる2丁目も、その前身は「赤線」である。1958年の売春防止法施行によって、花街であった2丁目は空洞化する。その後に、この“場”にやって来たのが、ホモ達である。

新宿のゲイバーは一九五〇年代に新宿通南側の「千鳥街」(新宿二丁目五番地、現在は御苑通りの路面になっている)や御苑通り西側の「要通り」周辺に数件が立地していたが、一九六〇年代になるとまず二丁目の旧「青線」地区に姿を現す。そして一九六〇年代末頃から旧「赤線」地区に進出し、一九七〇年代になると急激にその数を増やしていった。
(略)
こうして、新宿遊郭以来の長いヘテロセクシュアルの色街としての伝統を持つ新宿二丁目「赤線」地区は、廃止からわずか一〇年後にホモセクシュアルの街に転換しはじめ、きわめて短期間のうちに世界最大のゲイタウン「二丁目」に変貌を遂げる。

内藤新宿の遊郭から、赤線へ。そして、ゲイタウン「新宿二丁目」へ。花街色街としての“場”の遺伝子は、連綿と受け継がれているようである。上記の一文は、TG(トランスジェンダー)であり、性社会・文化史研究者である三橋順子氏の、『東京・新宿の「青線」について ─ 戦後における「盛り場」の再編と関連して」という論文から引用した。これが掲載されているのが、今回ご紹介する『性欲の研究 東京のエロ地理編』である。

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ホモ雑誌に掲載された淫乱旅館の広告。今は無き「新宿ビジネスイン」の、「君さみしくないかい そんな時あそびにおいでよ 同じ仲間じゃないか」というコピーが泣かせる。

面白い! さんざん語られ尽くされたエロではあるが、それを“場”=地理という切り口から読み解こうとする着想が、まず新鮮である。といっても、単なるガイドブックではない。巻頭、原武史井上章一両氏の対談『エロ地理三題噺 ─ 皇居前広場、電車の痴漢、団地妻』からはじまる。「明治以降一貫して厳かな場所だった皇居前広場は一転して戦後、男女が愛し合う、性行為にまで至ることもあり得る愛の空間になった」のは、何故か? それには、GHQと共産党が関係していたのではないか、なんて仮説が飛び出してくる。天下御免の刺激的な対談である(笑)。

続いて、加藤政洋・三橋順子両氏による対談『「性なる」場所の戦中戦後』。花街色街が、戦後の都市計画と密接に結びついて変化していく様が、貴重な資料をもとに説明されている。「一九五〇年代には西口のバスロータリーの公衆トイレが、女装男娼の拠点でした。本物の女性の街娼とはある程度棲み分けていて、一等地は本物の女性、ちょっと落ちるところに女装男娼が立つんです」などと、三橋氏ならではの指摘が興味深い。そして、新宿駅西口といえば、その後、ホモが集まるハッテン便所があったことでも有名だ。やはり、その“場”の持つエロのエネルギーが、ホモを呼び寄せたのだろうか(笑)。

さて、ホモ本的にもっとも注目すべきなのが、石田仁氏の『いわゆる淫乱旅館について』という論考である。実は、石田氏とは、この2CHOPOの連載がご縁で知り合った。彼は、『セクシュアリティの戦後史』『図解雑学 ジェンダー』などにも数多く寄稿している、優秀な社会学の研究者である。この本を献本いただいたのも、石田氏である。感謝、合掌。

その彼が、研究テーマに選んだのが、「淫乱旅館」である。といっても、いまどきの若者には、ピンと来ないだろう。氏の文章から、その説明を引用する。

 俗に、「淫乱旅館」と呼ばれる宿泊施設があった。男性同士が同衾、性交渉できる旅館のことである。性交渉のための宿泊・休憩施設といえば、一般には「ラブホテル」や「連れ込み旅館」が想起されるだろうが、淫乱旅館は単なるその男性同性愛者版にとどまらない。淫乱旅館の特質は、旅館の「中で」性交渉の相手を探せる点にある。つまり淫乱旅館とは「待ち合わせをしていない・・・男性同士が部屋を自由に・・・行き来し同衾することが可能な旅館」と定義できる。「淫乱旅館」は「インラン旅館」とも、「男色宿」とも「乱交旅館」とも記されてきた。

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「日本中から」「世界中のハイクラスな方々が」「ヤングプラザ 学生割引」「全室冷暖房」「東京のふるさと」……と、宣伝文句で店の特色が分かる。

な~んだ、ハッテンバのことじゃん!、と早合点する事なかれ。確かに、「それらの言葉すら今は死語になり、現在ではおおむね「有料発展(ハッテン)場」と言われている」。しかし、その発生と成立の過程には、大きな違いがあるのである!
そもそも「有料発展場」は、ホモがホモのために、ビジネスとして作った施設である。が、「淫乱旅館」はそうとばかりも言えない。石田氏は、ホモ雑誌の広告や記事をもとに、「淫乱旅館」のあった場所を、当時の地図や電話帳で丹念に調べ上げ、「淫乱旅館」の前身が、男女カップル向けの連れ込み旅館であったり、日雇い労働者向けの木賃宿であった例を多く見つけ出した。そのことから、彼は、戦後間もなく開店したノンケ向け連れ込み旅館などが、経年劣化し、客足が減り、その売り上げの落ち込みを男性カップルを受け入れることで補おうとした、と考えた。それが、思いの外、うまくいったのだろうか。ノンケをシャットアウトし、ホモ客専用にする店も現れた。次第に、ホモ専門連れ込み旅館から、「お一人様でもお気軽にどうぞ」(1978年1月号『風俗奇譚』に掲載された「多ち花」の広告より)と謳うようになって、淫乱旅館化していったと考察する。
資料に乏しいこのジャンルを、石田氏は熱心に、緻密に研究したのだろう。頭の下がる思いである。その功績により、「淫乱旅館」の発生と形成の歴史を通じて、「同性愛の市場の成熟」の過程を浮き彫りにしたのである。
昨今、所謂、“ゲイ・マーケット”についての文章を目にする機会も増えた。夢物語のような絵空事を並べててているものがほとんどだ(笑)。まぁ、それはそれでいいとして、石田氏のこの論考は、これまで読んだ“ゲイ・マーケット”論の中でも、もっとも実感のある、手ごたえのあるものであった。願わくば、数字的な部分が、より明らかになれば素晴らしいのだが。淫乱旅館の数とその推移、客数、売り上げなどなど、である。とはいえ、「淫乱旅館」は、ゲイ・コミュニティの中にあってさえ日陰の存在である。なにより、資料が乏しいのである。

そうだ! 私が「2CHOPO」から原稿料をたくさんもらって、それで、資料を買い集めればいいのだ。それで石田先生のお役に立てれば、本望である。ということで、2CHOPOの皆さん。原稿料、もっと、もっと、上げてぇ~~~~~っ!

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井上章一、三橋順子 編『性欲の研究 東京のエロ地理編』(平凡社/2015年 発行/ISBN 978-4-582-42717-2)

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小山静子、赤枝香奈子、今田絵里香 編『セクシュアリティの戦後史』(京都大学学術出版界/2014年 発行/ISBN 978-4-87698-392-6) *石田氏は、『戦後日本における「ホモ人口」の成立と「ホモ」の脅威化』を寄稿。

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加藤秀一、海老原暁子、石田仁 共著『図解雑学 ジェンダー』(ナツメ社/2005年 発行/ISBN 978-4-8163-3902-8) *石田氏は、『多様な性の世界』『ジェンダーの過去・現在・未来』を執筆。

 

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