第56回 猥褻な、花。栗﨑曻と、時代に選ばれた街。

街は、時代に選ばれるのである。1960年代が、みゆき族溢れる銀座を選んだように。そう考えると、私の青年期であった80年代は、六本木の時代だったといえる。サーファーディスコの全盛から、バブル時代の象徴的ディスコ「マハラジャ」へ。若者は皆、六本木を目指した。いわゆる“ギョーカイ”の人達が華やかに遊び回っていたのも、六本木だ。
かたや、私は、六本木なんて軽佻浮薄。バカの行く街だと強がって、新宿の「ツバキハウス」やら、二丁目の「NEW SAZAE」に通っていたのである。でも、本当は、主流派(のノンケ)の若者たちが眩しすぎて、気後れしていただけなのかもしれないが。
そんな私が、六本木で憧れていた店がふたつあった。ひとつは「WAVE」。ここで、日本ではなかなか手に入らない環境音楽や、ニューウェイヴ系のレコード(!)を漁るのが楽しみだった。そして、もうひとつは、とうとう足を踏み入れることのないまま2001年に閉店してしまった「西の木」である。

「西の木」の名は、以前、働いていた二丁目の「クロノス」でも、時折、耳にしていた。が、自分など、とてもとても行ける身分ではないと諦めていた。なので、行ったことのない店を説明するわけにもいかない。ネットを探してみると、斯様な文章が見つかった。

東京・六本木の交差点を東へ、飯倉片町の方に向かって約百メートルも行くと、右側の路上に「西の木」の丸い軒灯がみえる。何の変哲もない小さなビルだが、はじめての者がその地下に下りて「西の木」の扉を押し、一歩足を踏み入れると一驚する。
百平方メートル近いワンルームになっていて、足が沈みそうな部厚い絨毯が敷きつめられ、特別に注文してつくらせたとびきりのセンスのソファと椅子、テーブルがそこここに点在している。壁面には例えば藤田嗣治の三十号もある、むろん本物の絵。卓上にはガレ、ドームの花瓶が無造作に置かれ、電気スタンド一つにしても仏、伊から主(あるじ)が選りぬきの由緒あるものを持ち帰ったものだ。そして、はじめてここを訪れたものが、何よりも驚き、溜息をつき、目を見張るのは、四方八方にある飾花の、この世のものとも思えぬ美しさである。幻想的な美術館とでもいえば、少しは栗﨑曻の「西の木」をいいあらわしていることになろうか。

(『サンデー毎日』1988年12月4日号掲載、早瀬圭一『人物一品料理 第94回 栗﨑曻 五十年の人生を花に託す』より)

東京の、いや全国の粋人、遊び心のある人の間ではつとに知られた(同書より)」サロンで、「銀座の一流クラブママや京都・祗園の芸妓たちは、一度は「西の木」に行きたい(同書より)」と願ったそうである。客には、芸能人や文化人達が数多くいた。写真家の加納典明が「山口百恵が当時のマネージャー、現ホリプロ社長の小田信吾さんと遅い食事をしていた(『週刊新潮』2001年5月24日号掲載、加納典明『天気晴朗なれど 第36回 クリちゃん』より)」と語り、加賀まりこをはじめ、ファッションデザイナー金子功らの名前が常連として登場する。さぞや、取り澄ました、肩の凝るような店かと思いきや、こんな証言もある。

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小池一夫 公式ツイッターより。

昔、六本木にあった西の木という有名なゲイバーで、男同士がキャットファイトが始め(注/原文ママ)、「あンたなんか、末代まで呪ってやるッー!」「あンたもあたしもゲイなんだから、末代なのよぉーッ!」という地獄を見たことがある。

これは、劇画原作者の小池一夫の公式ツイッターからのツイートで、「西の木」の愉快な一面が伝わってくる。こんなコントみたいなことが、極楽のような美に溢れた空間で繰り広げられていたのである。なんとも魅力的ではないか。

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さて、時代はバブル期を迎え、景気のいい話が聞こえてきた。街はあぶく銭を求めて活気づいていた。一方、私は、美容室の見習いを始めたばかり。朝から晩まで働いて、それでも月給は10万円にも満たなかった。当時の美容界はいまと違い、徒弟制が強く、技術のない新人の扱いなど、こんなものだったのである。六本木どころか二丁目に出るのさえ、月に一度か二度の、せめてもの憂さ晴らしだった。
仲通りから新宿通りに折れるすぐ角に、一軒の、時代に取り残されたかのようなボロボロの花屋があった。そこで花を買って帰るのも、楽しみであった。貧乏暮らしの部屋と、浮き足立った時代との落差を埋めるものが、一輪の花であった。せめてもの慰めだった。花が、つかの間、私を豊かな気持ちにさせてくれたのだ。
その店は、佇まいとは裏腹に、なかなか良い花が揃っていた。ミヤザキ君という店員がいた。懇意となって、売れ残りの花を安く売ってもらったりと、ありがたかった。ある時など、花の開いてしまった菜の花を、もう売れないというので、全部まとめて格安で譲ってもらったことがある。狭い部屋が一面、黄色い海。春満開。たいそう気分が良かった。
ミヤザキ君とのつき合いは深まり、花の知識も深まった。私の花好きは、彼のせいかもしれない。おかげで、私の生活に花は欠かせないものになった。夏には、がまの穂をひと抱え。秋には、ススキ。正月には、3メートルもある苔松とチューリップをひとり暮らしの部屋に飾った。ひどい時は、月の給料の半分が花代に消えていった。それでも、なんとかやって来れたのは、若さゆえだったのかもしれない。
のちに、彼とは、一緒に仕事をさせてもらったりもしたが、いつの間にか、音沙汰がなくなった。思い出して、ネットで調べてみると、たいそう立派で有名なフラワーアーティストになっていた。ひさしぶりに会いたいな。

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栗﨑曻作品集『花たち』より、『美男葛』(1979年)。撮影は、操上和美。

生け花の素養など無かったが、花を見るのは好きだった。中でも、心惹かれたのが、栗﨑曻である。先の六本木「西の木」の店主でもあり、華道家。雑誌『家庭画報』『婦人画報』や、『ミセス』などで花のページを飾っていた、人気の作家だった。この人の大きな作品が好きだ。東西を問わず、多種多様な花を、ワサッと盛り込む。豪快で、どこか猥雑である。猥雑を通り越して、猥褻と呼べそうな作品もある。『美男葛(びなんかずら)』と題された作品を見て欲しい。

実葛(さねかずら)の茂みに、真っ赤に熟し、艶々として、ぷっくりとふくらんだ烏瓜(からすうり)がのぞく。まるで、発情した男の陰嚢のようじゃないか。狙ったのであろうか、その下に、ずるりと下がっている鉈豆(なたまめ)は言わずもがなだろう。
そんな彼を評した、うってつけの文章がある。

 このあいだ買ったティファニイのランプ、というような話をするときの栗崎曻(注/原文ママ)は「このあいだ寝た男」の話をする美女の目つきだったり「ゆうべ買った15歳の娼婦」の話をする渋みがかった伊達男(略)であったりする。
花をさわっているときの栗崎(注/原文ママ)さんも、なんだか「いちゃついてる」感じや「サド・マゾ」など楽しんでいる感じさえあるほどだ。どういうわけか、あのひとがなにか好きなことに熱中している雰囲気はすべて猥褻である。
じっさいに、花というものはいやらしい(注/「いやらしい」に傍点)、などと彼が口走ったのをきいたこともある。

(栗﨑曻作品集『花たち』掲載、三宅菊子『美は猥褻である!?』より)

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栗﨑曻作品集『花たち』のプロフィールより。撮影は、操上和美。

短髪に、ヒゲ。厚ぼったいまぶたで、切れ長の一重。まるで、そのままホモ雑誌の表紙を飾れそうな風貌である。その彼が、よく脱ぐのである(笑)。買い集めた作品集にも、花と一緒に写った、裸の彼が数多く登場する。彼は、花そのものだけではなく、花を生ける行為自体を作品化しようとしていた時期がある。渋谷の「PARCO劇場」で、ステージ中央に大きな花器をしつらえ、褌一丁となった栗﨑が、花を投げ込んでいく(活けていく)パフォーマンスを行った。どうしても観に行きたかったのだが、その頃の私には、チケット代が高価過ぎた。いまでも後悔している。

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栗﨑曻作品集『花たち』より、『芭蕉』(1978年)。撮影は、鈴木勝己。

彼が、花との出会いについて、幼少期の思い出を、作品集『飾花』のあとがきに書いている。

ハダカになって、湯けむりの中へ歩いていったとたんに、私を立ちすくませたのが幾つもの花 ── どれも男達の背中に彫られていて、色濃く匂うぼたんの花にうすくれないの大輪芍薬、風に散った桜のはなびらが男の肌に降りかかっているなど、すべての花が湯けむりの中から、私に迫ってくる。
(栗﨑曻『飾花』より)

栗﨑は1912年、福岡生まれ。子供の頃に銭湯に行った時、おそらく、炭鉱で働く男達が来ていたのだろう。たくましい男たちの肌に咲き誇っていた花々が、栗﨑少年をとらえたのである。はたして、少年が見つめていたのは、花か、男のハダカだったのか。
彼が、はじめて花を生けたのは、皮肉にも母親の葬儀だったという。彼の母は、大の花好きであったそうだ。

 母が生を終えた時、まだ少年だった曻君は、屋敷の中に咲いていた花のありったけを、母につきそわせて送ることにしたそうである。花の色は、とむらいにはふさわしくないはなやかさだったが、彼は、送る人の心ではなく、送られる母の心にしたがった。さらに母の棺を飾って、なお余りある花は、活け花を習ったことのない少年が、家にあった花器のことごとくに活けたという。
(栗﨑曻作品集『花たち』掲載、古波蔵保好『「花」の縁起』より)

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栗﨑曻作品集『花たち』より、『葦』(1978年)。撮影は、操上和美。

出来過ぎなほどのエピソードに綴られた生い立ちは、どこか作りものめいている。しかし、私は、語られた歴史にも、語られたなりの真実がある、と考える。嘘か誠かなんて、不粋な詮索はしないでおこう。
そんな彼が活ける花も、どこか、“嘘くさい”。そう言えば、失礼に聞こえるかもしれないが、私にしては、最大の賛辞である。自然の中では、決して隣り合うことのなかった花たちが、多種多様、ひとつの花器の中に活けられている。見事に、調和しているのである。え? この花と、あの花を一緒に活けるなんて!と、厳格な華道家は驚くかもしれない。「師を求めて活け花を習ったことがついに一度もなく、自分の意識と感性を頼り(栗﨑曻作品集『花たち』掲載、古波蔵保好『「花」の縁起』より)」にしてきた栗﨑の面目である。けれど、栗﨑の花は、“不自然なほどの自然美”をたたえて、咲き誇るのである。見事。

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栗﨑曻作品集『花たち』(文化出版局/1980年 発行/ISBN 978-4579500277)
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栗﨑曻『飾花』(文化出版局/1984年 発行/ISBN 978-4-579-50043-7)

時代はいま、渋谷の街を選んだのかもしれない。大がかりな再開発と、クリーンアッププロジェクト。キレイで、そして、LGBTにやさしい人権都市へ。かたや、時代が変わっても貧乏暮らし。歳取った、独り身のオカマの私には、ますます気後れしてしまう街になっていく(笑)。この街には、どんな花が似合うのだろうか? 栗﨑曻なら、この街に、どんな花を活けるのだろう。そんなことを考えた。

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