第32号 自己を肯定する:府中青年の家裁判から同性婚人権救済申し立てへ~「90年代世代の同窓会」⑧

 

 LGBT支援法律家ネットワーク(通称ローネット)が日弁連へ同性婚の人権救済申し立てを準備中ーー。このところ動きがめまぐるしいなか、また一つ、新しい歯車が動いたニュースでした。これはさっそく記事に、と思ったら、まきむぅ姐さんが報道にもあった山下弁護士に取材、記事にされていました。ぬ、抜かれた~!(笑)
ここは年寄りには年寄りにしか書けぬ人脈と視点でお伝えしなければと思って、今号はローネットのメンバーで人権救済申し立ての連絡先事務所の一つにもなっている中川重徳弁護士(55歳、諏訪の森法律事務所)インタビューです。

中川さんは「府中青年の家」裁判(1991~97年、下欄の写真説明中に別リンクあり)の弁護団長。原告グループ(現 特定非営利活動法人動くゲイとレズビアンの会)に学校時代の友人がいた縁で、都教委による青年の家利用拒否決定(90年)のときから事件に関わり、その後、91年提訴、94年の地裁判決、97年の高裁判決で勝利を得るまで足掛け8年、異性愛者ながら同性愛者と苦楽を共にした、まぎれもない「90年代世代」の一人です。

この25年、“中の人”として、あるいは支援者として、同性愛者を中心に日本の性的マイノリティの裏も表もーーハッテン場のなか以外はーー見てきた中川さんに、まずは渋谷区の新条例への感想から聞いてみました。
 パートナーシップ証明だけでなく、区の啓発努力にも期待

 ー渋谷区でパートナーシップ証明を出すことを聞いたとき、どう感じられましたか?
「条例にはいくつか問題点もあるけれど、同性愛者が生活しているということを、わかりやすい形で示した点で画期的です。とくに十代、若い当事者にとって、ゲイであれレズビアンであれ、行政からカップルとしてちゃんと証明書をもらえるというのは、自分たちがおかしな存在ではないという強いメッセージ性を持っていますね」
「90年代以来、府中裁判をふくめ各地でいろいろな人がいろいろなことを起こし、発信し、そのなかには途中で挫折したり姿を見なくなった人も、あるいは本当に命を失った人もいるなかで、いろいろなものが少しずつ降り積もり、オープンにしている人もじわじわ増えてきて、それが社会や政治を変えて25年後の今日の動きになったと思います」

 ーメディアが「同性婚」と書き立てるフィーバーぶりもすごかったです。
「社会が乱れるとかいう確信犯的反対派が出てきたのは、ある意味、思った通りでしたが、メディアの盛り上がりは予想以上でした。パートナーシップ証明に目が行きやすいけど、条例は、性的少数者を理由に差別があってはいけない、区が先頭に立って差別のない社会をつくる、そのための啓発をする、と書いている。これは大きな意味があって、役所や学校もこれを根拠にあれこれできるわけです」
「法律家のなかでも、若い人たちががんばって、弁護士会として性的マイノリティ向けの電話相談に取り組んだり、司法書士団体が声明を出したりと、取り組みが広がっている。昔に比べたら、多くの人に問題の存在が知られるようになって、訴えやすくなりました。もう海外の奇異な話ではない」

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なかがわ・しげのり 東京都出身、1988年弁護士登録、諏訪の森法律事務所。1990~97年、「府中青年の家」裁判の弁護団長。裁判中から同性間パートナーシップの公正証書作成などに、パイオニアとしても取り組む。多忙な事務所業務を縫って、性的マイノリティやエイズ問題に取り組むほか、近年はノーモア・ヒバクシャ訴訟(原爆症認定訴訟)などにもかかわっている。共著に「かがやけ性教育!―最高裁も認めた『こころとからだの学習』」(つなん出版)、「被爆者はなぜ原爆症認定を求めるのか」(岩波ブックレット)、「原爆症認定訴訟が明らかにしたこと―被爆者とともに何を勝ち取ったか」(あけび書房)
 真剣に考えれば、学説はこれから音を立てて変わる

 ーそれではローネットが準備している人権救済申し立てについて、かんたんにご説明ください。
「これは人権侵害があったとき、法律の専門家である弁護士会が申し立てを受けて事実を調査し、双方の言い分を聞き、裁判所や行政とは別の立場で人権侵害があるかどうかを判断する制度です。申し立て先は、日弁連や都道府県の弁護士会。判決に相当するものは、勧告とか警告とか、重さや切迫度、必要性に応じていくつかあります。強制力はないにしても法律家の判断として重みはあり、しっかりした申し立てをすれば、おのずと弁護士会の審査や判断もしっかりしたものになるので、次のステップとして裁判というときにも役に立つ。今年の1月ごろ、若手メンバーからやろうと声があがり、準備していたところに渋谷の動きがあって、アクセルがかかったという感じですね」

 ーこれまでも実際の事例でどう活用されてきたのでしょう。
「東京の七生(ななお)養護学校で、知的障がいのある子どもたちへの性教育にたいして、いわゆる『過激な性教育、ジェンダーフリー』として都議会でやり玉にあげられ、教員が処分されました(七生養護学校事件)。教員や保護者から東京弁護士会に人権救済の申し立てが行われ、じつは私もかかわったんです。2005年に都議や都教委の介入は「不当な支配」であるとして「警告」が出され、ひどいバッシングでショック状態だった教員や父母がとても勇気づけられた。また、審査のなかで弁護士会が都教委やバッシングした都議に反論を求めたところ、都議は完全無視するし、都教委も法にもとづいてやっていると紙一枚出して終わり。それが警告に記述され、相手の不誠実さ、不当さが記録に残った。これらはその後の裁判での勝訴につながっていったんです」

 ー社会の意識を変えていく、重要な方法でもあるんですね。
「人権救済申立の最大の意味は、専門家や社会がそのテーマを切実な課題として突きつけられ、真剣に考えるきっかけになること。たとえば、いま法律の教科書を見ると、同性婚についてけっこう否定説も多い。でもこれは、この2、3年で音を立てて変わると思います。愛し合って結婚したいという当事者をまえにして、同性だっていうだけで拒む理由なんて説明できるわけがないんですから。
府中裁判のときも同じです。裁判前、日本で同性愛者の権利を扱った論文を調べても、ほとんどが外国の話でした。数少ない先駆的著作をのぞいて、日本にも当事者がいて孤立しているのに、それを論じようという議論はなかった。なかには『私はその趣味はないが』みたいな前置きで論文が始まっていたり(笑)。でも、裁判が起きたことで、はじめて人権問題として教科書や判例集で紹介され、論文も書いていただけるようになったのです。
近年状況は確実に変わってきていますが、まだまだ同性婚の問題を本当に切実な人権問題として突き詰めようという論文は少ないでしょう。人が成長して、ある人と恋をし、生活し、人生をともにしたい、それをカタチにしたいと思ったとき、異性間なら婚姻というパッケージを使える。それがたまたま性的指向が同性だというだけで、どんなに好きでも婚姻は受け付けてもらえない。それはなぜなんだ、合理的に説明できるのか? と突き詰めて考えられてはいないのです。日本でもこれから問題になるであろう、みたいな他人事です(苦笑)。
今回の人権救済申立は、本当にリアリティをもって同性婚の問題が提起される初めての機会だと言えます。そうやって私も含め、研究者や実務家の努力が始まって、やがて世間もかわってゆく。いま、ローネットの若いメンバーと議論したり、研究者に問題意識をぶつけたりして、みんな熱くて、とってもおもしろい。若返った気がします(笑)」

 ー家族を形成する権利が同性だというだけで阻害されている不合理は、もっともだと思います。同時に、「婚」の押し付けや戸籍制度の問題、あるいはカップル優先ではなくシングル単位での保障を問う声も、当事者をふくめて強いと思うのですが……。
「正直、いまなにも無い状況で、その議論はあんまりピンとこない(笑)。例えば、学校にはさまざまな問題があるけど、もしある集団がそもそも学校から排除されてたら、やっぱりそれはオカシイからまず入れろ、が筋でしょ。日本の戸籍制度は強烈だから、婚姻を求めることで戸籍制度を肯定し、自分たちの関係性をツマラナイものにするのでは、という懸念はわかりますよ。でも、そもそも選択肢がないのがいちばんおかしい。選択肢としての結婚を求めて、それを使ったからといって、二人の関係がツマラナイものになるかは誰もわからない。まず使わせろ、そして使ってみて、それからゆっくり批判したらいいんじゃなかなあ。それはヘテロの場合にも言えることですが。でも、同性間の場合は選択肢を奪われて二級市民にされている、まずここを怒らなくては。
僕は別制度としてのパートナーシップ制より、端的に同性婚を求めたほうが筋が通ると思っているけど、ま、運動のなかでの紆余曲折はあるでしょうし、当事者が決めることです。パートナー制も、フランスのパックスみたいに異性間で大いに利用されて社会に定着しちゃう場合もあるし、それで婚姻制度の毒が緩和されるかもしれない。でも、同性婚獲得のたたかいは、一度は通らないといけない関門で、はじめからいらないというのは、いかがなものかな。やっと記念品みたいな証明が出るようになった段階で、もう同性婚批判している場合じゃないでしょう」

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私自身も中川さんに直接お会いするのは10年ぶりだったかもしれません (事務所近辺のバルで)

 セクシュアリティを問う苦しさと豊かさを経験して

 ー25年前、まだ性的マイノリティの情報が少ない時代に、同性愛やセクシュアリティを考えたこともない人が全身にそれをぶつけられたしんどさを、中川さんは経験されたと思います。
「府中裁判は、弁護士になって2、3年目。弁護士としての青春時代をともにした思いです。性という、人が生きていくうえでとても大切なことなのに、大抵の人はきちんと言葉で考えたり議論したことがないテーマをめぐって、いかに裁判官を説得するか。被告(東京都)の俗論をただ叩くんじゃなくて、どうしてそれが俗耳に入りやすいのか、不注意に乗っかるとどう、ことの本質を見誤るのかという構造もろとも明らかにする。そのために法律だけじゃなく、性科学や性教育、ガラでもなくフーコーとかいろんなもの読んで、うんうんうなって考え、議論しました。サンフランシスコやニューヨークにも調査に行った。
個人的には子どもが生まれた時期だけど、男らしさ・女らしさに毒されない考え方、性のことをきちんと話題にする文化に触れたことは、本当に僕の人生を豊かにしてくれた(実行はたいして伴いませんが)。子どもたちが大きくなってからもーーいちおうヘテロだと思うが(苦笑)ーーAVなんてファンタジーなんだから、真に受けて相手を傷つけたりしちゃだめだとか、食卓でも話します。子どもたちも、わが家はそういうこともタブーにしないと心得ていて、もちろん言葉は選ぶけど、娘も含めなんだかんだ言い合っている」

 ー府中裁判準備で夜通しミーティングをしたとき、中川さんが、連れていかれたではあれ、風俗店での経験を苦渋しながら語った、あるいは僕らが語らせた記憶があります。あれはゲイのなかで自分のヘテロ性を自覚させる荒っぽい洗礼だったのでしょうか。
「覚えてます! ヘテロって、そもそも自分の性を見つめる必要性もないし、自分がヘテロだといって悩むことさえないことに気づかされました。徹夜のミーティングで、急にみんながいろいろ僕の性的な体験や意識についてをほじくってきて、なんだよなんだよって思ったけど、みんなが『ゲイ雑誌で男のヌード見てすごく興奮した。だけど、とても不幸な気持ちになって、そのことを考えないことにした』とか聞くと、いかにヘテロはお気楽に生きているかを痛感しました。同性愛者が自分の性について悩む構造を身をもって突きつけられた経験は……たしかに苦しかったですよ。でも、そのことで、もし自分が15歳のゲイだったら、30歳だったらを、多少はリアリティをもって感じられるようになったかな。
訴状を準備するなかでも、最初は都が持ち出した《男女別室ルール》にひきずられ、男女別室そのものを否定することに腐心した。そしたら、ゲイが自分の人権のためにやる裁判でなんでヘテロ界のことばかり語らないといけないんだと指摘されて。まさにその通り。同性愛者が青年の家を使うことで、いったいどういう不都合があるのか、それを言ってみろーー端的にこれを問うべきで、男女別室は煙幕。いくら煙幕を相手に切りつけてもことの本質には迫れない。ここに行き着くまで10か月ぐらいかかったよね。
この問題は、そもそもゲイ・レズビアンであることのなにが悪いんだ、性を意識して以来、自分を否定され、あるいは自分で自分を否定する、その苦しさはなぜなんだという問いにもつながる。東京都よ、言ってみろーーその思いを私も共有するには、徹夜合宿での経験みたいな手荒い洗礼が必要だったのかもしれない。
今度の人権救済でも、結婚から排除されるのはなぜなんだ、なぜ自分たちが否定されなきゃいけないんだ、説明できるもんならやってみろーーつねにそういう切り口と気迫で迫っていかないと、と話し合っています。差別された少数派が、社会に自分たちがやっていることのおかしさを気づかせ説得していくには、この論理と気迫が重要で、僕が府中裁判の経験から伝えられるのってそこかなと思います。そして、90年代世代の仲間へエールを送る気持ちで、僕もがんばるつもりです」

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府中青年の家裁判当時のなにかの集会で、23年前の中川弁護団長(1992年)。10月でも半袖シャツな人でした。なお左端は当時の筆者。こういうときは胸にACT UPのバッチをつけたりするのが流行っていたみたい……

 

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