第58回 小坪海岸を舞台に、ホモカップルと“おこげ”の奇妙なしあわせの形。中島丈博『おこげ』

 

GWは終わったものの、夏はもうすぐである。夏といえば、海。各地で海開きの知らせが届いている。勢いづいたホモ達が、ホモビーチに繰り出すのも、秒読みである。

さて、前回、「西の塩屋、東の小坪」と並び称された、ハッテンの聖地。ホモビーチの小坪海岸をスクープした、1984年8月24日号の『フォーカス』を取り上げた。この雑誌のおかげか、小坪海岸は、ホモのみならず、ノンケにまでその名をとどろかせることとなった。

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『フォーカス』1984年8月24日号(新潮社/1984年 発行)より、『おとこおとこおとこおとこ 湘南“小坪ホモビーチ”案内』の記事。

そして、その名を決定的なものとしたのが、1992年の映画『おこげ』である。ひょんなことで、とあるホモカップルと知り合った、主人公の小夜子。この3人の、奇妙な結びつきを描いた作品だ。この映画の冒頭、タイトルバックで、延々と、小坪海岸のホモビーチが映し出されるのである。

 

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監督は、中島丈博。脚本家として、『祭りの準備』『津軽じょんがら節』『赤ちょうちん』などの名作映画を手がける。また、テレビでも、女同士のドロドロとした争いを描いて、ホモにも人気の高かった『牡丹と薔薇』、大ベストセラーのドラマ化『失楽園』などがある。その中島が、みずから製作、監督、脚本を手がけるほどの入れ込みようで映画『おこげ』は作られた。後に、ノベライズした小説も発表。この作品へのなみなみならぬ思いが感じられる。今回は、この小説版『おこげ』を通して、当時のホモ達の様子や、“おこげ”なる奇妙な生き物(!)の生態を見てみることにしよう。

 

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映画『おこげ』(東京テアトル 配給/1992年 公開)より。

 

友人たちと海水浴にやってきた小夜子は、人混みを避け、知らず知らずの内にホモビーチ小坪海岸へと足を踏み入れてしまう。

 

 小夜子はとっさに悟るものがあった。

 いつか週刊誌のグラビヤにこうした男たちの集まる海岸の光景を撮った写真が載っていたのを思い出した。この岩場の一帯を占拠しているのは倒錯の世界の男たち、つまりここはかれらの解放区、ホモビーチではないか。

(略)

 完全にフリチンの男もいた。

 うつむけに寝そべり、盛り上がった尻を見せている。あるいは堂々と仰臥して形のよいペニスを丸出しにして陽にさらしている男もいる。

 艶やかな陰毛が太陽光線を受けて光り、海からの風にそよいでいる。

 

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延々と映し出されるホモの群れ。映画『おこげ』(東京テアトル 配給/1992年 公開)より。

 

小夜子がふと、海へと視線を向けると、そこには、腰まで水に浸かって抱き合って接吻している、とあるホモのカップルがいた。

 

 男同士の愛は世間から異端視される分だけ、純度が高いように思われる。普通の男女の愛がしあわせを求めているのに対して、倒錯の愛はひたすらに官能を求め、最後には死にすら立ち至るのではないかと、憧れを込めて想像していた。

 今度生まれてくるときには、あたしは男になりたいの。男になって同性愛を体験したい。そこにこそ至純の愛があると思うから。

 こんなふうに思い入れる女たちの中には、当然、ホモ達を美化し、ロマンチックな彩りを重ねて見つめる視線がある。

 でも、美しいものを、美しいと感じて何が悪いんだろう。小夜子はふたりのシルエットから目を離せなかった。

 

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左/村田雄浩扮する、剛。右/中原丈雄扮する、栃彦。映画『おこげ』(東京テアトル 配給/1992年 公開)より。

 

こうした、ホモに勝手なファンタジーを投影して依存する女たちのことを“おこげ”と呼ぶ。「お釜の底にくっついているのがおこげである。オカマ、つまりホモと仲よくして、いつもくっついて歩いているような女を暗喩」している呼び方だ。

小夜子が“おこげ”になった理由について、作品中では、子供の頃に父親から受けた性的虐待が原因であるように描かれている。自分が性的存在であることへの嫌悪や、自らの女性性を受容できないことが、ホモへの依存を生み出していると説明される。

 

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小夜子の部屋で、睦み合う剛と栃彦。映画『おこげ』(東京テアトル 配給/1992年 公開)より。

 

物語は、小夜子が、レズビアンだと噂のある仕事仲間から誘われて連れてこられた新宿2丁目のホモバーで、小坪海岸で接吻していたホモカップルと再会したことから、思わぬ展開を見せる。

家族から見合いを勧められて辟易している、鞄職人の剛。妻帯者の隠れホモの、栃彦。バブル期の週末である。ホテルはどこもいっぱい。行き場所を失ったふたりのために、小夜子は、自分のアパートを使ってくれと申し出る。それがきっかけとなり、小夜子、剛、栃彦の、奇妙でいて、楽しく充実したつき合いが始まるのだった。

 

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清水美砂扮する小夜子の部屋での、団らん。(映画『おこげ』(東京テアトル 配給/1992年 公開)より。

 

しかし、物語は二転三転。剛はついにカミングアウトをし、栃彦はホモだと奥さんバレてしまう。ふたりは別れ、小夜子はDV男とつき合い始める。波瀾万丈なドラマが繰り広げられる。

さすが、数々の名作、ヒット作を送り出した脚本の名匠である。中島丈博は、わずか2時間ほどの映画に、ページ数にして230ページ足らずの小説に、当時のホモを取り巻く風俗や、ホモ差別の実態、ホモ用語の基礎知識、はてはホモは先天的か?後天的か?の議論までを、要領よく詰め込んである。感心する。

 

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「あの子をそんな片輪者に産んだおぼえはありません」千石規子扮する剛の母。(映画『おこげ』(東京テアトル 配給/1992年 公開)より。

 

剛がカミングアウトした時、彼の母親は、こう叫んだ。

 

剛はちゃんとしてるわよ。あたし、あの子をそんな片輪者に産んだおぼえはありません

 

一方、栃彦も、偏見に充ち満ちた中で、息をひそめて生きている。

 

「あいつらのケツの穴はどうなってんだろうな」

「こういうの見ると、勃起すんじゃないか」と、昼食の皿にのっかっているフランクフルト・ソーセージを箸につまんで見せて、それを口にくわえて見せた。

 女子社員たちは涙を流さんばかりに笑い崩れていた。

 うけている話題を終わりにしたくなくて、上司は更にエスカレートさせた。

「あいつらエイズ撒き散らしやがってよ、このままほっときゃ、日本国中エイズだらけじゃないか。あの種族は根絶やしにするんだ。全国のホモやおかま一ヵ所に集めてさ。ガソリンぶっかけて焼き殺すんだよ、あっはははは」

 爆笑が渦巻き、同席していた栃彦も笑った。自分だけが笑わないと怪しまれてもいけないと思って笑ってしまったのだが、その笑いは途中でこわばった。

 

ガソリンぶっかけて焼き殺すって言われてもねぇ(笑)。いまでこそ笑い飛ばせるが、当時のホモ達は、こうした差別をあまんじて受け入れざるをえなかった。わずか、20年ばかり前のことなのである。

 

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男同士のアナル舐めのシーンは、日本映画史上、これが最初ではないか?(映画『おこげ』(東京テアトル 配給/1992年 公開)より。

 

紆余曲折あって、DV男の子供を連れ、借金取りに追われる小夜子。その噂を聞きつけた剛が、小夜子を訪ね、再会。

 

「小夜子、ここにいれば?」

 ぼんやりと無限の茫漠の中をさまよっていたかに見えた小夜子の顔に、はじめて現実に触れた衝撃があらわれた。

「だって、ここにいてもいいの?」

「いたいだけいればいい。小夜子たちがいてくれれば、僕もさびしくないしさ、ほかにいくとこがなきゃ、いなよ。ちょうどいいじゃない」

 束縛を嫌ってしきりに剛の腕から離れていこうとする洋介を、剛は膝の上に引き戻しながら、「なあ、なあ、洋介」とあやすように話しかけた。

「ここにいなよ。おじさんとこの子になれば?」

 

そして、子供を連れた剛と小夜子は、栃彦の待つ新宿2丁目へと向かうのであった。つまり、男の出来損ないであるオカマと、そのオカマにくっついている、女の出来損ないの“おこげ”が、疑似家族を作ろうとするエンディングである。同病相憐れむか? あまりに夢がない結末ではないか。そのラストシーンに、当時の私は、暗澹たる気持ちにさせられた。くそ! こんなモン、二度と見るか!と憤ったものだ。

しかし、同性婚の実現の可能性さえ間近となった、いま。ホモが普通で当たり前の世の中となった、現在。あらためて見直し、読み直してみると、時代の限界と制約の中で、精一杯の生き方を模索するホモや、傷ついた女たちの姿が、なかなか胸を打つのである。

 

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これが、当時の、穂のが望んだ最高のしあわせの形だった!?(映画『おこげ』(東京テアトル 配給/1992年 公開)より。

 

さて、劇中で、3人が邂逅した2丁目のバー「安麿呂」は、実は、かつて私がアルバイトをしていた「クロノス」がモデルとなっている。ここの名物マスターのクロちゃんを元に、ツユちゃんというキャラクターが造形されている。劇中、ツユちゃんのセリフで、印象的な一文を引用する。

 

「こんなに沢山ホモがいて、それで世間に認められて、全然、差別もされないなんて尋常じゃないわよ。あたしたちは変態性欲の異常者なのに、最近はちっともうしろ指さされないんですもの、ヤになっちゃう。これは二十世紀の陰謀なのよ、ホモなんて普通で陳腐だなんて思わすことによって、変態の持つ攻撃性を麻痺させようとしてるのね。あくまで日陰の存在であるからこそ、それを認めない世間に対してパワーが持てるのに、危険視もされず、こう居心地がよくっちゃ、怒りもひねくれもできやしないじゃない。ホモの人権が回復されると同時にホモはパワーを失うんだわ。こういうパラドックスは歓迎しないわねえ」

 

中島監督が、この小説の完成稿だか、ゲラ刷りだかを、クロちゃんに読ませて、その感想を聞きに来た時。私は、たまたま店にいたのである。クロちゃんの評論は、歯に衣着せぬ物言いで、皆が一目置いていた。さて、「どうだった?」と訊いた監督に、クロちゃんは、「まぁ~、よく書けてるわよ」と言った。その「まぁ~」が、感嘆の「まぁ~」であったのか、「まあまあ」の「まぁ~」であったのか、当時の私は判断がつかなかった。それでも、20年を経て、見直し、読み直して、クロちゃんの「まぁ~」の意味が、いまでは、少しは解った気がするのである。

 

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中島丈博『お・こ・げ』(マガジンハウス/1992年 発行/ISBN 4-8387-0400-3)

 

最後に、告知! 2015年5月9日(土)、渋谷のクラブ「amate-raxi」が始める新しいゲイ・ミックス・パーティ「LOVE」開催です。DJはTomo Asahinaと、ATTほか。パフォーマンスにTOYBOYのポールダンスあり。ゴーゴーボーイにはYOSHIHIRO、NAWOTO。DQには、今をときめくDITAと、今も現役で頑張るマーガレットでおおくりします。遊びに来てね!

 

LOVE(2015/05/09)

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イベントの詳細は、http://www.amrax.jp/schedule/event.php?id=1871にて。

 

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