Vol.4 海外の女装文化ってどうなってるの?[アメリカ編]

前回のアジア編に続き、今回はアメリカの女装文化についてお届けします。

とっても広いアメリカ。価値観は保守的なものから世界の最先端までまさに千差万別。

その中でも比較的自由な雰囲気と言われるロサンゼルスに住むShokoさんに今回はお話を伺いました!

■インタビューに答えてくれたShokoさん!

1bdc86ceca0c92e286573e5d5d7837ba
a9b7758a8aeb56874c94e96993b3e4a6

 


ーShokoさんが生活しているアメリカは、女装に対して寛容だと思いますか?

「女装行為はここアメリカの西海岸では一般的ではなく、コメディやドラァグクイーンスタイルなど、ハロウィンのように特別な行事の時にするものというイメージですね。しかも、大都市に限られています。ほとんどの人は、保守的なクリスチャンとしての教育からか、女装者は同性愛者か性的倒錯者であると考えられているという印象です」

ーロサンゼルスを女装姿で外出することは、危険を伴いますか?

「私の個人的な意見ですが、女装はアメリカ中央部の小さな町ではあまり許容されていませんね。しかし、アメリカはとても広大な国でですので、特にサンフランシスコは大都市であることに加え、常に新しい価値観をもたらす移民が多いので、人々は恐れを抱いたり、差別されることなく女装をすることができます。最近では、カリフォルニア州でトランスジェンダーの人々を保護する新しい法律ができました。例えば、トランスジェンダーが自認する性別の公衆トイレを使用することを可能にする、などですね」

ーアメリカで有名な女装者を教えてください。

「ミュージカル『キンキーブーツ』の成功(立花注:2013年第67回トニー賞で作品賞をはじめ最多6部門受賞)は、女装に対する国民の意識改革に貢献しました。これにより、世界の他の国々と同様、女装行為が今のアメリカ社会の中でますます受け入れるようになりつつあると思います。RuPaul Andre Charlesは、おそらくアメリカで最も有名な女装者だと思います。彼女がMACの化粧品とのモデル契約を締結した時、彼女は初となるドラッグクイーンのスーパーモデルでした。そして俳優、歌手、モデル、テレビ番組の司会、作家でもあります。現在、次世代のドラァグクーインを見出す“RuPaul’s Drag Race”と呼ばれる人気のオーディションバラエティ番組を持っています。

彼女の最も有名な曲は1992年の“Supermodel (You Better Work)”。正直、音楽自体はあまりピンときませんでしたが、パフォーマンスは素晴らしいと感じました。また、RuPaulは自身のことを『彼』『彼女』のどちらで呼ばれても気にしないようです。最近、オリンピック競技者のBruce Jennerは “Keeping Up with the Kardashians”においてトランスジェンダーであると告白しました。彼は女性の服装を着続けて生活しており、彼の告白は必ず国のジェンダー問題への意識を推進していくことでしょう」

ー日本の女装イベント「プロパガンダ」のような女装者のためのイベントはありますか?

「女装者のパーティについては、東京で毎月行われているプロパガンダとは異なり、アメリカで似たようなマンスリーイベントはないでしょう。その代わり、ロサンゼルスのゲイやレズビアンのイベントとして始まった最も有名な『ウエストハリウッドハロウィンカーニバル』の中で、毎年恒例のドラッグクイーン大会があります。ラスベガスでは、“Diva Las Vegas”という、イベントが1週間あり女装者がともに休暇を楽しむことができます。

また、ウエストハリウッド(ロサンゼルスの大きなLGBTエリア)ではトランスジェンダー月間が設けられていて、毎年11月にイベントがあります。他には、森の中での女装キャンプをが開かれているなどの情報は聞いたことがありますが、実際に見つけるのは難しいですね。女装撮影ができるスタジオをロサンゼルスで検索しましたが、残念ながら仕事として成立しているものは見つけられませんでした」

ー女装についての話を聞かせてください。

「私が初めて買った女の子アイテムは、確かヴィクトリアシークレットの下着でした。でも、最初に買った服は東京の原宿でなんです。私は体が大きくないので、日本の洋服の方がサイズが合うし、私自身かわいいデザインと鮮やかな色が好きなんです。だから今でも、渋谷、新宿、代官山など東京でほとんどの衣装を買っています。試着を重視するので、めったに通販で洋服を購入することはありません。

私が最も好きなのは、フェミニンで若い女の子のように見える洋服で、いつもワンピースドレスを着ています。鮮やかな色、刺繍、アクセサリー、アジアンテイストが私を魅了するんです! これまで、普通の女の子の洋服の他にロリータファッションや日本の着物、チャイナ服、セクシーな下着での緊縛にも挑戦しました。たった一つ、私が苦手なのがドラァグクイーンのスタイルです。なぜかというと、大げさで自然な女性に見えないからです。

今、私は1920年代のフラッパースタイルの洋服に挑戦しています。これは日本のKawaiiスタイルと同じ感じだと思うから! でも、私は38歳なので年を取るにつれてドレスを着ても自身を見て楽しむことが難しくなってきました。そこで、私はより多くの質の高い衣装、ウィッグやアクセサリーを買って、果ては女性ホルモンを服用しようとしましたが、一日で目が覚めました。私が持って生まれた身体を自分で手術する夢を見て、とても怖い思いをしたからです。それに、この薄い地毛をどうやって治すか? 男性そのものの声をどうやって変えるか? こういった複合的な問題が、プライベートでも、社会でも、女性として新しい生活を始めることを非常に困難なものにしていると思います」

―女装姿での外出など、Shokoさんの女装エピソードを教えてください。

「アメリカでは、数回だけ女装姿で外出してみました。最初はサンフランシスコからラスベガスまで旅行へ。それらの都市の人々は開放的になる傾向があるので、私は女の子の格好をしていることで危険を感じませんでした。時には私に興味を持つ少年がいて、ストレートの私は少し不快に感じたほどですが、彼は私が魅力的だと感じたのだと思うと、むしろ光栄な気分です。

(しかし、小さな町では女装で外出しても安全であるとは思えません。人々に攻撃されたゲイの人の話がありますので……)

私が初めてアメリカで外出したのは、2013年の3月です。外出するために立花奈央子さんをわざわざサンフランシスコへ呼びよせ、2日半の弾丸旅行をしました。撮影の1週間前、ひどい盗難トラブルに見舞われてあまり気分がすぐれませんでしたが、奈央子さんが私を変身させ、Shokoとしての世界に足を踏み入れた時、私の心配はすっかり消し飛び、新鮮な空気を吸ったように爽快感を得ましたね! それは私の新しい人生が始まるようで、以前の感覚を取り戻すようなものでした。

私たちはサンフランシスコすべての有名な観光地で写真を撮りました。Fisherman’s Wharf からゴールデンゲートブリッジを横断しSausalitoへ。繁華街ではEmbarcadero、チャイナタウン、Lombard Street、日本人街。それから春の花が咲き乱れるゴールデンゲートパーク、午後には近くにあるナパバレーでワインの試飲も。

私は少し内気だったし、ウィッグの毛がいつも口に入ることや一日中ヒールの靴を履くことなど大変なことは沢山ありました。でも、少し変な目線を向けられながらも「女性」と呼ばれ、子供時代ぶりに婦人トイレが使えることに大きな喜びを得ました。

日常の何もかもを気にしない数日間の間に、自分自身に忠実に新しい感覚を吸収し、あまりにも早く私のShokoとしての旅は過ぎましたが、それは1週間前の古い自分を完全に葬ってくれました。この解放経験から、私の全く新しい人生が始まりました」

ー今後、女装どのように楽しんでいきたいですか?

「私はすべての人の性別への認識を変えたい。一つは、服が自己表現のためだけのツールであること。もう一つは、生まれた性別に関わらず、自らが望む自分自身を定義できること。少なくとも私は、他の人がどう考えようと恐れることなく、いつも本当の女の子になることを夢見ながらShokoとして世界を旅しています」

c5c332b1b9d9bc4273c1594f97f5ffa0

いかがでしたか?

Shokoさんが最後にお話してくれたのは、私と一緒に撮影旅行をした時のエピソードでした。

大きな戸惑いや不安を持ちながら、新しい自分として生まれ変わるその様子は見ていて胸が熱くなるものがありました。わたしが女装をする人の人生に深く関わっていこう、と強く思ったきっかけの一つです。

また、興味深いのはミュージカル「キンキーブーツ」の大成功です。原作は同名の映画ですが、ショービジネスの世界でも認められたことでドラァグクイーンや女装行為に対するイメージが大きく変わったことでしょう。

マイノリティが認められるために、数々の運動が行われていますが映画や舞台、小説を通して表現することで、より多くの人へと届き、受け入れられる素地になっていくのかもしれませんね。それでは、また次回をお楽しみに!

Top